君の名を呼ぶ 救出編(13)
冷たい風がヒヤリと全身の体を撫で上げる。
女を突き飛ばしたフードの男がナイフ片手に朱色の男へ突進した。
刺さる。そう誰もが思った次の瞬間、ブワリと熱気が教会内を駆け抜け、フードの男が悲鳴を上げる。
薄暗い教会内を照らし出す程にフードの男は燃え盛っていた。
奇声とも雄たけびともつかない悲鳴を上げながらフードの男は教会の出入り口に向かって駆け出すも、途中で力尽きたのか音を立てて崩れ落ちた。
「…火蜥蜴と契約しているのか。」
やや驚いた様子でセオフィラスが呟く。
魔族の中には精霊と共に生きる種族もいるが、普通の魔族が精霊と契約を交わす事は本当に極稀である。
朱色の男は己の手から小さな炎を揺らめかせながら笑う。
「よく分かったな。」
「……。」
ラオが仮面を外し、投げ捨てた。カランと遠くで音が響く。
音もなく元の色に変化する髪。
朱色の男は己の火で照らし出された顔を見て大きく瞠目した。
魔族であれば一度くらいは見たことがある、現魔王がそこに佇んでいたからだ。
それから朱色の男は額に手を当てると声を上げて笑い出す。
可笑しくて堪らないと言いたげなその笑い声はラオの神経を逆撫でしてしまったようで、ラオの紅い瞳が不愉快そうに眇められた。
「あっははははは!あの餓鬼の言ってた事は本当だったってかぁ?」
「餓鬼?」
「あぁ、アンタの婚約者だって言い張ってた女だ。ククッ、まさかなぁ…?」
楽しそうに挑発してくる朱色の男にラオの魔力が勢いよく弾け飛んだ。
つい先ほど短気過ぎると言われたばかりであったが、そんなことなどどうでも良い。
…此処に美緒がいる。
出入り口で声をかけられた時に嗅いだ匂いは美緒のもので間違いなかったのだ。
「おっと!そう怒るなよ。他の奴隷に比べりゃ丁重にもてなしてやってるぜ?」
「ふざけるな…!」
「第一あんな餓鬼のどこが良いんだ?チビだし餓鬼だし、無駄に気も強い…あぁ、でも触り心地は悪くなかったかもなぁ?」
ニヤニヤと笑う朱色の男の言葉にラオの怒りが更に強まる。
触ったのか。美緒に。…己の唯一の至宝に。
ザワリとラオの黒髪が揺れる。
朱色の男は魔を束ねる王を目の前にしても臆する事無く佇んでいた。
それは勝利する確証を持ち合わせた者の目をしている。…気に食わない。
ラオが片手を朱色の男へ向けた途端、その手の平から勢いよく雷電が渦を巻いて駆け抜ける。
だが朱色の男も同様に手をラオへと向けると先ほどよりも何十倍もある炎を生み出した。
二つは中間でぶつかり合い、混ざり、互いに相殺されて凄まじい音と熱風を吹き起こして掻き消える。
これには流石のラオも目を見開いた。
…違う。火蜥蜴と契約したとしても此れ程までに強い炎を生み出す事など不可能だ。
朱色の男の輝く金の瞳を見たラオはハッとする。瞳の細長い瞳孔は火蜥蜴のものと全く同じである。
「貴様…火蜥蜴を喰らったな。」
相手の力をより自身の物にする方法…他者を食い、その身に取り込むことだ。
だがそのような事ばかり繰り返していてはやがて世界の精霊全てがいなくなってしまう。
精霊を喰らう事は何世代も前の魔王が禁止させたはず。だがこの目の前にいる男はそれを無視して火の精を己の力にすべく喰らったのだ。
禁忌を犯したというのに朱色の男は事も無げに笑う。
「何が悪い?強者は生き、弱者は死ぬ。この世界じゃ当たり前の事だろうが。俺は生きるために弱者を殺しただけ…お前だってそうだろう?魔王。」
己にそぐわぬ者を殺し、弱者を切り捨て、時には力で捻じ伏せて。
そうして今魔王として君臨しているではないか。
朱色の男の言葉にラオの顔が歪む。
「そうだ。だが精霊を喰らう事がどれ程の大罪か、貴様は分かっていない。」
「ハッ、知る必要もねぇ。」
エミリアとセオフィラスが朱色の男を護衛していた別の男達を叩きのめし、教会の脇の扉から奴隷たちを解放する。
だがセオフィラスは焦っていた。
息子の婚約者の姿がどこにもないのだ。
「ハインツ、リールァ様をどこへやった?!」
エミリアの怒りが滲む声にハインツと呼ばれた朱色の男が振り返る。
彼は己が昔娼館へ売り飛ばした女をゆっくりと見やった。
「リールァ様、ねぇ?お前、何時から俺にそんな口を利けるようになった…?」
ゾクリと背筋を寒気が駆け抜ける冷たい声にエミリアはビクリと肩を震わせたものの、気丈に拳を握り締めてハインツを見据えた。
「最初からよ。私はもう貴方の玩具じゃないわ。」
「そりゃ残念だ。」
抱き心地だけなら最高だったのになぁと嘲笑うハインツにエミリアの顔がサッと朱に染まる。
しかしエミリアが何かを言う前に二人の間に素早く身を滑らせたセオフィラスによって、突如襲った炎の渦は四散した。
羞恥と怒りに震えるエミリアを背に庇いながらセオフィラスはハインツを見る。
自身の邪魔をされたハインツの顔から笑みが消えた。
「ったく餓鬼一人のために市場がめちゃくちゃだ。俺が何年かけてココまでデカくしたと思ってやがる…?」
溢れ出す殺気と共に熱風がラオの体を包み込む。
ラオ自身も幾多もの精霊を使役しているが火蜥蜴の力を全て掌握しているハインツの力には、彼の持っている精霊の力はやや足りない。
ジリジリと頬を撫でる熱に眉を顰めた。