君の名を呼ぶ 救出編(12)
集会の会場となる場所はお世辞にも綺麗とは言い難い。
使われなくなってからだいぶ時間が経ってしまっているせいか、教会内の椅子は腐りかけ、壁も所々剥げかけている。
薄暗い中では既に大勢の買取人がヒソヒソと話を交わしていた。
小さな声ではあるけれど、大勢がそのように話しているからか声は小波のように教会全体に木霊している。
隅のあまり目立ち難い場所へ移動した三人は教会の祭壇があるべきはずの場所を見やった。
そこには頑丈そうな檻に入った輝くような品々が置かれており、未だ数人の男が数多くの品を運び出している様子からしてこの裏市場の大きさがよく分かる。
あれほどの品々を集めることなど小規模では不可能だ。
多方面の者とも通じているのかもしれない。
腐りかけの椅子はそれでも倒れることなく三人の体重を支える。
ラオは仮面越しに檻や品々を眺めたものの目当ての恋人の姿が見えないことに落胆した。
今すぐにでも助け出したいが、何処にいるのか分からぬ状況で安易に手を出すのは躊躇われた。
傷一つなく助け出したい。
ラオたちが訪れてからも教会内に立ち入ってくる人々の波は留まる事を知らないように流れ込んでくる。
仕舞いには入りきれずに窓から覗き込んでくる輩まで出てくる始末だ。
人数が増え、息苦しく狭くなった空間にラオが苛立ちを吐き出すように小さく舌打ちを零せば、耳聡くそれを聞きつけたセオフィラスが苦笑する。
「そう苛立つな。此れだけ人が来ているんだ、もう直ぐ始まるのだろう。」
「それくらい分かっている。」
「…こんな時に言うべきではないだろうが、お前はもう少し其の短気さを治した方が良い。」
余計な世話だと睨み付けてきたラオの視線を軽く肩を竦めてサラリと受け流すセオフィラス。
二人のそんな様子にエミリアが小さく微笑した。
セオフィラスからあまり親子関係は良くないと聞いていたが、そう感じているのは当人たちだけで、周囲から見れば彼ら二人は立派な親子である。
ちょっとからかい癖のある寛容な父親と、ちょっと短気で父に反発する息子。
どの家庭でも一度は見られそうな極普通の光景は、どう見ても不仲には見えない。
そんな事をしているうちに教会の出入り口が錆びた音を響かせながら閉まった。
祭壇へ視線を向ければ、数々の品の脇にあの朱色の髪の男が座っている。その周りには男を護るように数人の男たちが剣や槍を手に佇んでいた。
「紳士淑女の皆様、今宵はようこそお越し下さいました。」
やや際どい格好をした美しい女が深く頭を垂れる。
「皆様お待ちかねの集会をどうぞお楽しみ下さいませ。」
声高らかにそう言うと女は祭壇脇へと下がる。
数人の男が檻の中から品々を出し、買取人に見えるよう持ち上げた。
瞬間、人々の間から悲鳴にも似た声が漏れ出し、そこかしこから何百何千万という値段が品に付けられていく。
その勢いの凄まじさにセオフィラスの口元が一瞬引きつった。
慣れた様子のエミリアと興味の無いラオは値段のつけられていく品々をただ黙って眺めている。
「人は後か、」
金で造られたカップや皿、高級毛皮の上着などばかりで一向に人身の出てくる様子がない状態にラオがポツリと呟く。
騒がしい中、しっかりとそれを聞き取ったエミリアが頷いた。
「はい、人身は市場の中でも最も高値で取り引きされるので最後へ回されますの。もしも出されるのであれば、リールァ様は恐らく今夜の目玉として最後の最後になりますわ。」
それでは時間がかかり過ぎる。
どうすべきか思案していたラオとセオフィラスの横をフードを目深にかぶった男が通り過ぎた。
その男の手元に光った鈍い銀色に楽しげな笑みを浮べてセオフィラスはエミリアとラオへ顔を向ける。
どうやらそこまで待たずとも良いようだ。その言葉に二人が胡乱げにセオフィラスを見るのと、前の方から悲鳴が上がるのは同時だった。
甲高い女の悲鳴に視線が集中する。
そこには最初に登場した女の首元にナイフを当てるフードの男がいた。
鋭利に光る刃物を目にした買取人たちはそれはもう聞き取れない程の悲鳴を上げながら我先にと教会の出入り口へ押し寄せる。
固く閉ざされていた扉を無理矢理こじ開けて逃げて行く人々。
「此れで邪魔な者は居なくなった。」
したり顔でそう言ったセオフィラスにラオは小さく溜め息を零す。
確かに買取人は邪魔であったが、あの男も間が悪い。
顔を上げれば未だフードの男は女にナイフを向けていた。
座っていた朱色の男が立ち上がる。
「やってくれたなぁ?ったく、市場は信用第一って知ってるか?」
言葉のわりにあまり気にした様子のない朱色の男にフードの男は激昂した。
早口過ぎて途中聞き取れない部分はあったが、お前のせいだ、殺してやるといった類の言葉を発していることだけは理解できる。
朱色の男は笑う。口元を弧に引き上げて冷たい金の瞳を細めた。
「その女は殺したけりゃ殺せ。俺の部下でもねぇ。この市場に来た時点で身の保障なんてもんはされてねぇからな。死んでも俺らの責任にはならない。」
そもそもその女はただの気紛れで飼ってただけで、殺されてもコッチとしては痛くも痒くもならねぇよ。
低く笑う朱色の男にナイフで脅されている女も動揺した様子で助けを求めていた。
滑稽だと事の様子を眺めていたラオたちにも朱色の男は視線を向ける。
「アンタらも俺に用があるんだろ?」
「…気付いていたか。」
「あぁ、他の客に比べて落ち着いていたし、何より売りもんには興味無さそうだったからな。」
ニヤリと笑った金の瞳をラオは僅かな苛立ちを含めながら見据える。
買取人のいなくなった教会内の空気がピンと張り詰めた。