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君の名を呼ぶ 脱出編(9)

 






食事の男が去ってから多分二時間近く経ったと思う。


騒がしかった廊下は今は水を打ったようにシンと静まり返っている。


それまでは定期的に聞こえていた見回りの足音もなく、見張りの男は酷くヒマそうな顔でたまに欠伸なんかしてる状態だ。


…これはもしかしなくても集会が始まったんじゃないの?


格子がはめ込まれた扉の小窓に歩み寄ると鎖の音に気付いた見張りが振り返った。




「ねぇ、今日はあの女の人は来ないの?」




いつもお風呂に連れて行ってくれる気の強そうな人。


そう言うと見張りは面倒臭そうな、それでいてつまらなさそうな顔で「来ねぇよ。」と言う。




「ったく、俺だって集会出たかったっつーのに。」




ブツブツと不満を漏らす男はそれ以上あたしに構うつもりはなかったようで扉の脇の壁に寄りかかったっきり振り向かなくなった。


そうか、あの女の人は集会に行ったのか。


しかももう集会は始まった。やるなら今しかない。


あたしはゆっくりとした足取りでベッドまで行き、小さな棚の上にあったカップの水を飲んだ。


そして手に持っていたカップを落とす。


パキィーンとやや甲高い音が牢屋内に響き渡る。


これで見張りは振り返るはずだ。確認することは出来ないけれど人間こういった物が壊れる音には敏感なものなのだ。


すぐに両手で首を押さえてあたしは呻く。


苦しそうに、上手く呼吸が出来ていないかのように、数歩後退って倒れるようにベッドへ体を沈み込ませる。




「ふ、ぐ…ぁ、」




体を震わせ、苦しげに喘ぐあたしを見た見張りが扉の向こうで慌てたように声をかけながらガチャガチャと乱暴な音を立てて鍵を開く。


大股で部屋を横切って倒れ苦しむあたしの顔を覗き込んだ。




「おい、どうした?!」




かなり焦った顔をしている見張りの男を、服の胸元を掴みながら見上げる。




「はっ、胸…が、苦し…、」




以前見た感動ものの映画のラストシーンを頭の中に思い描けばポロリと涙が零れ出た。


そんなあたしの様子にいよいよ男が焦燥に駆られた様子であたしを抱き上げようとベッドに膝をつく。


………今だ!


伸ばされた手を掴んで、男の急所を渾身の力を込めて蹴り上げる。


予想もしていなかったのか。突然の出来事を理解し切れなかったのか。


驚いた顔がすぐに苦悶に満ちた表情を浮べて見張りの男はベッドへバランスを崩して倒れ込み、あたしはパッと立ち上がった。


平然と佇むあたしに演技だったと気付いた見張りの顔が歪む。




「このっ、ガキが…!」


「ごめんなさい。でも、騙される方が悪いのよ。」




未だ痛みで起き上がれずにいる見張りの男。


あたしは自分の右足首に繋がる鉄球を持ち上げた。


一歩近付くとあたしの次にする行動に気付いた男の顔からサッと血の気が引く。


止めろ、来るなと叫ぶ男にもっと近寄り、ニッコリと営業スマイルを浮べてやる。




「大丈夫よ、痛いのはほんの一瞬だから。」




言って男の顔面にあたしは容赦なく鉄球を叩き込んだ。


鈍い音と共にカエルが潰れるみたいな奇声が聞こえ、男が動かなくなる。


鉄球を持ち上げてみれば男は鼻血を出したまま気絶していた。ご愁傷様。


あまり触りたくはなかったけれど男の服を探って牢屋の鍵とナイフを一本失敬することにした。


枷の鍵らしきものは見当たらない。


それは若干予想していたことだったので毛布で男の全身を隠すように包み、割れてしまったカップの破片などを適当に棚の影に隠す。


鉄球を持ちながら開きっぱなしの扉まで行き一度部屋を振り返る。


これだけ薄暗いのだから濡れた床は見えないだろう。それに毛布をかけた見張りも、あたしが眠っているように見えるはずだ。


一度廊下を見渡して人がいないことを確認してからサッと部屋を出て音がしないように気を付けながら扉を閉め、鍵をかけた。これなら見張りの男が気が付いたとしてもすぐには出られない。


これでどれだけ時間を稼げるかは分からないが出来る限り早く逃げなければ。


あたしは鉄球を持ちながら足音が響かないよう細心の注意を払いながら暗い通路を駆け出した。


男たちの話通り見回りが減らされているのか足音も人の話し声も何も聞こえない。


だけど、それはそれで困る。


だって出口までの道のりをあたしは知らないのだ。


誰かを捕まえて逃走経路を聞かなければきっと出られない。ウロついている間に集会が終わりましたなんてことになったらまた牢屋へ連れ戻される。


あの男のことだ。殴るとかそんな柔なお仕置きで済むはずがない。


ゾッとしつつ長い通路を走っているとコツコツと軽い音が前方から聞こえて来た。


慌てて立ち止まって近くの細めの通路に身を滑り込ませ、耳を済ませる。音は今まで聞いてきたような重いものではなく、女の人やあたしが歩くような軽い音だった。


そっと壁から覗き見れば思った通り薄暗い通路の向こう側から小柄な人影が歩いてくる。


女の子だ。あたしと同じか少し下くらいの子は薄暗い廊下を一本のロウソクで照らしながら、一歩二歩とゆっくり歩いていた。


一本では心許ないのか肩を竦め、たまに足元の出っ張った石に躓いて転びそうになる。


飛んで火に入る夏の虫。


あの子には可哀想だけど今のあたしには絶好の獲物である。


通路で息を潜めて女の子が歩いてくるのを待つ。


ロウソクの明かりが揺ら揺らと通路に影を生みながら近付き、あたしがいる通路の前を女の子が通り過ぎようとした。






 

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