鬼ごっこは命がけ?!
「――…セスさん!なんなんですか、これは!!」
武器や法具を片手に後ろから追いかけてくる大群は留まることを知らずに雪崩のように離れない。
あたしとベルーガを肩に担いだまま物凄い速さで疾走するセスさんは、息一つ乱れた様子もなく返事を返して来た。
「だから言っただろう。全力で逃げると。」
「でもこんなの聞いてません!」
「一々そこまで言わなければならんのか?」
「当たり前ですよ!!心の準備ってものがあるんです!!」
それこそ土埃が舞い上がりそうな勢いで追いかけてくる人々の目は異様にギラついている。
ラオの出した御触れには‘無傷で’という条件が付いていると思ったけど、どう見ても無傷で捕らえる気なんてなさそうだ。
やっぱり髪と瞳の色を変えたくらいでは全員の目を誤魔化すことは不可能だったらしい。
…それにしても流石前魔王だわ。
かれこれ二十分近く逃げ回っているのに全くもって疲れておらず、逆に「最近の魔族は体力がないな。」と少しだけ不満げに呟いているセスさんには悪いけれど、あなたに勝てる人なんてそうそういないと思う。
そう考えていれば肯定するかのようにベルーガがぺろりとあたしの頬を舐めた。
綺麗な琥珀色の瞳があたしをジッと見つめてくる。
何でもないわと頭を撫でてやれば気持ち良さそうに目が細められ、頭をこすり付けてきた。
あぁ、すごく癒される。
可愛いベルーガに緩く微笑むのも束の間、セスさんは普段と変わらぬ口調で予告した。
「飛ぶぞ。」
「え?っ、きゃあぁあああぁっっ?!!」
何が、とか何処から、とか主語を聞く前にジェットコースター並の浮遊感が全身を包み込み、あたしは情けないけれど思い切りセスさんにしがみ付きながら叫んでしまう。
だって崖よ?何十メートルもある断崖絶壁の上から、何の躊躇いもなく飛び降りたのよ?
驚かないわけないじゃない!!
煩いなとぼやきつつ、ストンと地面に降り立ったセスさんはあたしを下ろした。
見上げればずっと遠くの崖の上から大勢の顔が覗き込んでくる。
「此れだけ離れていれば追い付けんだろう。」
走っていた間に付いたズボンの汚れを払って、セスさんは座り込むあたしを不思議そうに見下ろした。
「何をしている?早く立て。」
「立てるものなら立ちたいです!」
突然の紐なしバンジーを強行されたせいであたしの腰は完全に抜けてしまっていた。
それに気付いたのかセスさんは可笑しそうに笑う。睨むと軽く謝罪の言葉を述べてあたしを背負い、歩き出す。
これなら城にいた方がマシだったわね。
城から逃げ出して一週間近く経つけれど、日に日に追っ手の数が増えるばっかり。
出来る限り同じ場所に滞在しないよう気を付けているのに、報奨欲しさにあたしたちを追いかける人たちはどこにでも出没する。
時には食事をしていたお店のウェイトレスだったり、時には宿屋の店主だったり、道端で通りすがった人だったり…それもう様々な職業の人々が参加してしまっていた。
疑心暗鬼になってしまいそうで嫌だわ。
この間なんて食事に睡眠薬が盛られていたのよ?
セスさんが気付いて止めてくれなかったら、今頃あたしはラオのところね。
高い木々が生い茂る森の中を、あたしを背負ったセスさんはサクサクと進む。いつかの時ラオがそうだったように、セスさんが歩くと進行方向にある草木が自然と道を譲るのだ。
セスさんの足元にはベルーガが音もなく付いて来ている。
…そういえば、お父さんに小さい頃、こうしてよくおぶってもらったな…。
結構厳しい人で大きくなるにつれてほとんど会話は減ってしまったけれど、子どもの頃は我が侭を沢山聞いてもらっていた気がする。
そっと目の前の背中に頭を寄せれば「眠いのか?」なんてお父さんとは全然似ても似つかない声が優しい響きを持って聞いてきた。
本当は違ったけれど、小さく頷いたあたしに森はまだまだ長いから寝ても良いと穏やかに言う。
…お父さん。
温かな背中に父の面影を重ねながら目を閉じ、心地よい微睡みに身を任せてしまうことにした。
パチパチと小さく何かが爆ぜる音にふっと目が覚める。
ぼんやりとした視界に白が映り込んできた。
「…ベルーガ…、」
金の瞳を瞬かせてあたしの顔を覗き込んでくる可愛らしいその名を呼ぶと、白と黒の美しい毛並みをスリと寄せてくる。
柔らかな背を撫でながら起き上がれば薪を見つめていたセスさんが顔を上げてあたしを見た。
「起きたか。随分良く眠っていたぞ。」
笑いの含んだ言葉通り、周囲は既に暗く、遠くではフクロウのような鳴き声が静かに響いている。
人が生み出す音が何一つとして存在しない森の中は静寂が満ちていて、木々の隙間から覗く赤と青の月明かりが優しく森へ降り注いでいた。
「…すみません。」
「まぁ良い。今日は何かと慌ただしかったからな、疲れたのだろう。」
あたしは包まれていた毛布の中から出て、それを綺麗に折りたたんでからセスさんに渡す。すると持っていた布団を地面へスルリと落としてしまった。
正確には地面へ落ちる前に宙で消えてしまったのだけれど。
セスさんは旅に必要な荷物を空間の隙間に勝手に入れているらしい。欲しいものを欲しいときに出せて便利だと言っていた。
何度見てもあたしには手品のようで見慣れない。
毛布が消えてしまった場所を少し眺めた後、セスさんの横に座る。
薪には少し強めの火が燃えており、その上にある小ぶりな鍋がふつふつと小さく煮えていた。
時間の感覚がよく分からないけれど眠ってしまってから、かなり時間が経ってしまったみたい。
「今日は野宿ですか?」
「あぁ。…嫌か?」
「いいえ。あたし結構こういうの好きですよ。」
バリバリのアウトドア、とまでは行かないけれど、キャンプとかバーベキューとかは元いた世界で何度もやっていた。
だから野宿というのもあまり抵抗はない。
さすがにテントはないので天気の心配とか、日本とは違うので猛獣とかの心配はあるが。
ポイと傍にあった太めの木の枝を薪にくべるとセスさんは穏やかにそうかと笑う。
彼もこういう雰囲気が好きなのか特に何も言わずに火の調節をしていた。
火の爆ぜる音、微風に木々の葉がさざめく音、鳥の鳴き声、遠くの虫の声。静かな森の音に耳を澄ませて聞き入っているとセスさんが不意に空を見上げる。
つられて見上げた先には綺麗な星空が広がっていた。