何事にも障害は付き物です(2)
「以前は以前でしょう?御自分の立場を自覚なされた方がよろしいかと。」
ぉお、怖っ。普段おっとりしている侍女の口から出る刺々しい言葉に少しだけ驚いた。
身分に厳しいと言うわりに魔族はみんな胆が据わってるというか、度胸があるわね。
「侍女の癖に私に説教するつもり?」
「いいえ、滅相もございません。ただ一般論を述べているだけですわ。」
今にも火花が散りそうな二人。…このままじゃ火花どころじゃ済まなくなりそうね。
座っていた椅子から立ち上がって侍女の前へ出る。
ドレスの裾をつまんで、淑女の礼を一つ。
「侍女が失礼を致しました。初めまして、私は訳あって名を名乗ることは出来ませんが、貴女の名をお伺いしてもよろしいでしょうか?」
彼女は一瞬驚いた顔をしたけれどすぐにドレスの裾をつまんで、美しく、艶やかに淑女の礼を返した。
本来、先に礼を取るのは身分の低い者だ。
魔王の花嫁であるあたしが先に頭を下げなければいけない人物はラオ唯一人。
けれどこういう場合では遜って先に頭を下げておけば、幾分か相手の気も治まるものだ。
「こちらこそ失礼を致しましたわ。名をオリヴィア=シェリル=マクファーレンと申します、どうぞ良しなに。」
どうやら彼女は三大貴族の一つ、マクファーレン家のご息女らしい。三大貴族の中でも最も権力のあるのはマクファーレン家だ。
なるほど、道理で先触れを出さないなんて失礼極まりないことも大目に見てもらえる訳だわ。
立ち話では疲れるだろうと椅子を勧め、侍女に新しくお茶を出すよう頼む。
顔には出ていなかったがとても嫌そうな雰囲気を漂わせて、渋々ながらに支度をし出す侍女を見て笑いを堪えるのが大変だった。
…そんなにこの人が嫌いなのかしら?
シェリル嬢の侍女も手伝っていたけれど鬱陶しそうにしていたし、侍女同士でも仲がよろしくないらしい。
新しく淹れ直された紅茶に口をつける。少し入っている砂糖の甘みは丁度良い。侍女はあたしの好みを覚えていてくれて、その通りに淹れてくれるので文句なしに何時も美味しいのだ。
「ところで、本日はどのような御用件でこちらへ?」
優雅に紅茶の香りを楽しんでいたシェリル嬢に声をかければ、口紅の引かれた紅い唇が弧を描く。
日本人がよくする愛想笑いは対人関係を円滑にし、相手と友好的にしたいと思う気持ちの表れである。けれど貴族たちが貼り付ける笑いというものには嘲りや厭味が混じっているか、何か意味深なものばかり。
日本人の愛想笑いが外国人にとって不気味に見えるように、彼女のその笑みもあたしからすれば不気味というか、少し気味が悪い。
お世辞にも好きとは言えない笑い方だ。
艶やかな唇が何か言おうと開かれる。が、それと同時に聞き慣れた低い声が彼女の言葉を遮った。
「リア。」
たった一言。なのに過分な甘さと柔らかさを持った響きであたしの耳にそれは馴染む。
顔を向ければ執務を終えたのだろうラオが嬉しそうな雰囲気を漂わせてドームの入り口に佇んでいた。
こちらに来ようと魔王が一歩踏み出すと、シェリル嬢がパッと立ち上がる。そうして、あろうことかラオへ勢いよく抱き付いたのだ。
「ラディオス様…!」
ちょっと、何してんのよアンタ。
予想外の出来事だったのだろう。ラオも反応し切れなかったのか避けることすらしない。
侍女は完全に怒り心頭といった体で「何と無礼な…!今すぐ離れなさい!!」と彼女へ怒鳴りつけていた。
シェリル嬢の侍女は自分のことのように自慢げにあたしを見る。魔王に抱き付いたままの本人も勝ち誇ったような挑発的な瞳で見てくる。…喧嘩売ってんの?
苛立ちにヒクリと口元が引きつってしまったのが分かる。
それが見えたのかは知らないけれど、ラオはシェリル嬢の肩を掴むと思いっ切り自分から彼女の体を引き剥がした。ベリッと効果音がしそうなくらいの勢いで、だ。
「何故お前が此処に居る?」
疑問と困惑を綯い交ぜにした言葉にシェリル嬢は長い睫毛を伏せて悲しそうに俯く。
「申し訳ございません…でも私、どうしてもラディオス様に御会いしたかったんですの。」
そっと上目使いに彼女は魔王を見上げた。どうすれば男が自分に落ちるのか熟知している女の動きだ。
だが流石ラオ、慣れているのか、それとも本当に何とも思っていないのかピクリとも表情に変化は現れない。
もしもこれで戸惑う素振りを見せていたら一発殴っていたかも。
「そういう事を聞いているのでは無い。」
ラオの言葉に自分の策が失敗に終わったのだと気付いたのだろう。
シェリル嬢はそれでも潤んだ瞳で縋るようにラオを見つめた。
「私は貴方様の許婚でしょう?未来の夫の傍に居たいと思うのは当然ではありませんか。」
「は、?!」
待て待て待て、何それ。どういうこと?
まさかと恋人へ視線を向けると、本人は小さく溜め息を吐いた。
「それは父が勝手に決めた事だ。俺は一度たりとも了承した覚えなど無い。」
あぁ、そういう事ね。ホッと胸を撫で下ろしたのも束の間、シェリル嬢の爆弾発言は止まらない。
「ではあの時、私を受け入れてくださったのは嘘だったのですか…?」
ホロホロと涙を零しながら泣き伏せてしまった彼女の言葉に今度こそあたしの顔から笑みが消えた。
とっても上手い演技だけれど、それよりももっと重要なことがある。
受け入れたって何のことかしら?
ジトッとラオを見つめると慌てた様子であたしの所へやって来て、違うんだと触れてこようとする。その手を普段よりも強い力でガッチリ掴んだせいか驚いたように魔王は目を少し見開いた。
「どういうことなのか、キッチリ説明してくれるわよね?」
「リ、リア…、」
「 す る わ よ ね ? 」
ニッコリ笑いながら一つ一つ区切って言う。
あたしの急降下する機嫌に気付いたのか、恋人はコクコクと何度も首を縦に振って頷いた。