好奇心も程ほどに(2)
「もしかして、ラオ…?」
思わずそう問い返してみれば心底驚いた様子で紅い目が見開かれる。
「なぜ、おれのあいしょうを知っている?」
誰にも教えたことはないのに。そう半ば茫然と呟かれた言葉に今度はあたしが目を丸くした。
え、愛称って仲の良い相手の呼び名みたいなものじゃない。そもそも愛称って本人が教えるもんだったかしら。
今度は逆にラオ似の男の子にマジマジと見つめられて少々居心地が悪い。
「ほんとうに、おまえは何ものだ?」
「あたし?あたしは美緒って言うわ。あなたは?」
立ち上がってドレスに付いた埃を払う。ラオ似の男の子は腰よりも少し上くらいの大きさで、あたしを見上げてきた。
「おれは魔王の息子、ラディオスだ。」
訂正。ラオ似ではなく、どうやら本物らしい。
確かにラオそっくりだし面影も色濃く残っている。
けれど子どものラオがいると言うことは、あたしは過去に来てしまっているということでもあるのだから一概には喜べない状況だ。
ちびラオ(そう呼ぶことにしよう)は好奇心と警戒を滲ませた紅い瞳で問いかけてくる。
「おまえは一体どこからきた?」
今も昔も変わらないのだろう真っ直ぐなこの瞳にあたしは弱い。
信用してもらえるかどうか分からなかったけれど、ちびラオに全てのことを話すことにした。
ラオがまだ母のお腹の中にいたあたしと契約を交わしたこと。
十八の誕生日に突然現れ、連れ去られたこと。
あたしとラオが婚約者であること。
彼が無事魔王に就任していること。
ついこの間、漸く恋人同士になったこと。
本に書かれていた文に触れたらここに来てしまっていたこと。
それら全てを順を追って説明していくうちに、ちびラオの表情は見る見るうちに不機嫌になっていった。
突然現れた不審な女に未来の婚約者兼恋人ですだなどと言われて簡単に納得出来る訳がないことはわかっていたので、あまり嫌な気持ちはない。
少し寂しいとは思うものの仕方のないことだ。
「…しんじられん。」
全てを話し終えると同時に感嘆とも取れる溜め息を零しながら、ちびラオはそう呟いた。
けれどすぐに「だがうそとも思えないが、」と付け足してくる。
「おれのあいしょうを知っていた。すじも通っている、おかしなぶぶんもない。」
「じゃあ信じてもらえるかしら?」
「…しんようするには少しようそが足りない。」
保留にしておく。と言ったわりには強い瞳で見つめてくる紅に笑ってしまった。
どうやら子どもの頃のラオはぶっきらぼうだったらしい。
とりあえず何時までも埃の中にいるのは嫌だとちびラオに手を引かれて廊下へ出ると、ちびラオと同じ歳くらいの男の子が扉脇に立っていた。
ちびラオとあたしの繋がれた手を酷くビックリした顔で見つめる男の子にも見覚えがある。
現魔王のちょっと苦労性な側近だ。彼この頃には既にラオの傍に仕えていたのか。
「その人間はどなたですか?」
敬語なのも変わらない。困惑した様子のちび側近にちびラオは「みらいから来た、おれのはなよめだそうだ。」と色々端折って言うものだから、ちび側近は更に困惑の色を濃くしてしまう。
「ちちうえに話してくる。」
「わたしもご一緒してよろしいでしょうか?」
「すきにしろ。」
主従関係が成立しているちびラオとちび側近の様子を見ながら、小さな手に引かれて長い廊下を歩く。
擦れ違う使用人たちもちび側近同様に驚いた顔であたしたちを見た。その中には時々、見覚えがあるような顔がチラホラといた。
広い城の中を歩いて、あたしたちが到着したのは美しい彫刻が施された荘厳な扉の前。重厚なその扉の左右には警備の男が二人いる。
「ちちうえに目通りにきた。」
ちびラオがそれだけ言うと男たちは重い扉をゆっくりと両側に開け放つ。
入り口から続くビロードの絨毯を踏み締めながら入ると背後で鈍い音を立てて扉が閉まった。
歩き出すちびラオに腕を引かれたまま歩くけれど、進むにつれてこの部屋が何なのか検討がつく。
王へ謁見するための場所だ。
数段上に上がった階段の最上で豪華な装飾の椅子に深く腰掛けている初老の男がいる。
見覚えのある漆黒の服に身を包んでいる彼はおそらく現在の魔王であり、ちびラオの父。黒い髪に紅い瞳が遠くからでもしっかりと確認できた。
段の数歩前でちびラオが立ち止まる。
「お前が謁見の間に来るとは、珍しいな。」
落ち付いたテノールの声が頭上から響く。
ちび側近は片膝を床に付けて顔を俯かせている。
父親の言葉にちびラオは相変らずの無表情で「ちちうえに話が。」と真っ直ぐに顔を上げて言葉を紡いでいた。
「この人間が、とつぜんしょこに現れました。」
「ほう?」
愉しげな響きを持った声と共に視線があたしへと向けられる。
「話によると、みらいのおれの恋人でありこんやくしゃらしい。」
「それが事実なら喜ばしい事だ。が、お前は其れが事実だと思うか?」
「…おれのあいしょうを知っていました。」
「何?」
それは真かとラオの父親に問われて、はいとあたしは頷く。
ラオという呼び名は大人の彼に教えてもらったことを告げると、父親は顎に手を当てて考える仕草をした。
その姿を見て、ラオの考える時のクセは父親譲りだったのだと知る。
「あの、愛称がどうかしたんですか?」
気になっていたことを聞くと目を瞬かれた。
しかしすぐに何かに納得したように父親は何度か頷く。
「そうか、人間が使う愛称とは意味が異なるのだったな。愛称とは婚姻した者、もしくは婚約した者同士でしか呼び合えぬ名なのだ。大切な名である故、婚姻するか婚約するまでは両親と本人しか知り得ぬ名でもある。」
つまり、あたしがラオの婚約者である証拠にも成り得る訳だ。
ちびラオの父親はあたしを愉快そうに見つめ、ちびラオへ視線を向ける。
「良かったではないか。お前が将来嫁を娶る事が出来るなら魔界も安泰だ。」
「……ちちうえ、」
からかう父親を冷めた声音で呼ぶちびラオ。
父親は軽く謝罪して、婚約者は婚約者の傍にいるべきだとあたしが戻るまではちびラオと一緒にいることになった。
本人はちょっと不満そうだったけれど、あたしとしてはホッとしている。
やっぱり知っている人物が傍にいる方が安心なのだ。
謁見の間を出ると、ちび側近と別れ、ちびラオはまたあたしの手を引いて歩き出した。