5.建国記念で大忙し(2)
サレル、自室にて。
シーラから何とか逃れてようやく部屋に戻った。今頃マリーは彼に喧嘩を売られているだろう。彼女なら大丈夫だと思うが・・・申し訳なく思いながら部屋のドアをあけた。あちこちに散らばっていた本や瓶は整然と並び窓からは光が入って来ていた。
この部屋に広がっている静寂に、久しぶりに一人になった事を思い出す。今までの私は食事や式典など必要なとき以外は研究室にこもる日々を送っていた。よく関わっていたのは側近トリオの中で唯一の常識人であるカイン、そして掃除婦長のマリー位で、その他の人々とはすれ違っても挨拶程度だった。でも今は・・・たくさんの人々と話して、笑っている自分がいる。
これもあのアカリが来たから、と言ってよいだろう。
しかし、あの子はもといた世界に戻さなければならない。彼女は口にこそ出さないが、時々表情に陰りが有ることに、私は気づいている。彼女は涙を必死でこらえ、私達に気を使っているのか、それとも自分の今の状況を忘れたいがためか、いつも笑っている。
今は良いが、それが続けば感情が破裂してしまうかも知れない。
・・・私は昨日アカリが現れた場所に立ってみた。確かめた通り魔術の痕跡は無し、磁場の乱れも見られない。目を閉じて見ると・・・やはり何も見えない。
魔術は使えば痕跡が何処かに必ず残る。特に召喚術などは、強力な魔力を持つ魔術師でも魔法陣無しには使えないはず・・・それにそもそも異世界という概念自体の存在が明らかで無いのだから、召喚など出来るはずはない。
私は自分の無力さを憎んだ。「今世紀最強の宮廷魔術師」と言われていながら、アカリが召喚された方法すらも分からないとは・・・やはり自分は戦争の道具でしか無いのか、自己嫌悪に陥りそうになる。
かつての師は、魔術とは人を暗闇から救い出す物だと言っていた。しかし・・・。
「いけない、もうこんな時間だ」
ノアとの約束を思い出して、自分の中に渦巻いていた嫌悪の感情から解き放たれる。
私は複雑な感情を取り払うかのように荒く髪を引っ張り、オレンジ色の光の差し込んだ部屋を出た。
重い扉を開けると・・・何やら騒がしい。
見ると、廊下の端の方に人だかりが出来ていた。
「あいつ・・・信じられるか?」
「よりによって・・・」
「恐ろしいですわ」
身を乗り出して見てみると、そこには二人の男の姿があった。
一人は・・・・この後会う約束をしていたノアだった。腰を抜かして、震えている。顔がとても青白い。
・・・・そしてもう一人は、冷静沈着で有名なカイン・ノイガンだった。彼は拳を握りしめ、震えていた。震えの正体は・・・紛れも無い、怒り。
彼は無言のまま、ノアに向かって拳を振り下ろそうとした。
「危ないっ!」
私は思わず叫び・・・次の瞬間には、パチンと指を鳴らしていた。
人混みの向こうでは、カインがノアの顔めがけて振り下ろした拳が途中で硬直していた。
「・・・・!」
カインは珍しく驚いた顔をする。体を動かそうと思っても、出来ない。
間に合った・・・・私は心底安心した。このままカインがノアを攻撃してしまえば、彼は当然宮殿を追われていただろう。彼にはいろいろ世話になっている。どんな事情が有るにせよ、大事になる前に止めておきたかったのだ。・・・といっても、これだけの人間が集まっている時点で、すでに大事だと思うが。
「貴様・・・いいから、術を、解け・・」
カインのかすれた声が聞こえる。私が突然彼を術で縛ったことに対して怒っているようにも、感謝しているようにも見えた。
私は何も言わずに術を解除した。彼の身体が少しふらつく。
「・・・あれが、金縛りの術ですの?」
「魔術を呪文の詠唱無しに使うなんて」
先程までカインに向けられていた畏怖の目が今度は私に向けられる。
魔術を呪文無しに行使するのはこれが初めてではない・・・・むしろ他の魔術師が使うような呪文や魔法陣を使うことの方が少ない。故に私は「無言の魔術師」と呼ばれている。
それにしても・・・・人が増えて厄介なことになった。この国にはまだ魔術という概念が定着していないのだ。こんな廊下のど真ん中で使うのはまずかったかも知れない。
私はもう一度指を鳴らした。刹那、周りの人々の目から光が消え、すぐに戻る。
「あれ、私は何でここにいるんだ?」
「何でこんなに人が集まってるの?」
皆示し合わせたようにキョロキョロと辺りを見回し、思い思いに散らばっていく。
カインとノアも同様で、急いで自分の役目に戻っていった。
「昼間の約束も、ついでに忘れさせたから・・・・」
誰にも聞こえないようにそっと呟いて、私は再び自室へ戻った。
お付き合い頂きありがとうございます。