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幼馴染は、誕生日にわたしが欲しいらしい

作者: 四条奏
掲載日:2026/03/27

 葵の黒髪はいつ触ってもサラサラで、結び甲斐がある。


「ね、今日はどんな気分?」


「ん……寒い」


 寒い、か。もう12月だもんね。特に朝の冷え込みときたらもう、お布団がわたしを離してくれない。


「じゃあ、ハーフアップにしよ」


「お願い」


 小学生の頃から、学校の日は毎日わたしが葵の髪を結ってあげている。葵ってば、髪の毛切るのも結ぶのもぜんぶ「めんどう」って全然しないんだもん。


 にしては髪質だけやけに綺麗だから、いっつも腹立つ。わたしなんて、シャンプー変えただけで髪がきしむのにさ。


 頭の後ろあたりを触ると、葵が首をすぼめる。


「くすぐったい?」


「……平気」


 ドレッサーの鏡に映る葵の唇は、くの字に曲がっていた。そもそも、葵のくすぐったがりは今に始まったことじゃないし。


 隠すのも、いつも通り。


 このままくすぐったら怒るよな〜とか思いながら、自分の髪型より時間をかけて整えていく。


 ほとんど会話なんてないけど、葵とならそれで気にならない。


「できたよ。いい感じ?」


「うん。ありがと」


 切れ長だけど気怠そうな目。ちょっと猫背気味な背筋。鏡に映る葵は、文句なしに可愛い。わたし、スタイリストさんにもなれるかも? っていやいや、葵が可愛いだけだよね。


 にしても好きな髪型とか、葵にはないのかな。……いや、前にないって言ってたか。わたしがするなら間違いない、みたいな。


 長い付き合いだから、信頼されてるのはわかってる。わかってるけど、わたしは葵の好みが聞きたいわけで。


「そうだ葵。誕生日に欲しいものってある?」


 明後日に迫った葵の誕生日。毎年プレゼントを贈りあってるけど、今年から高校生なんだしって色々考えてはみた。


 そして1ヶ月考えた結果、わたしは葵のことをよく知らないってことがわかったのだ。


 だったら、いっそのこと葵に聞けばいいじゃん! 的な発想に()至った。たとえ本末転倒だとしても、これで来年からは葵の好みに添ったものが贈れるわけだしいいでしょ。


「香奈がくれるなら、なんでも」


 荷物を抱えた葵はいつもの調子でそう言った。


 葵らしい、わたし任せの答え。でも、今日だけは引き下がれないから。


「それ、結構大変なんだよ? だからさ、なんでもいいから1つだけ考えてみてよ」


「今すぐは、むり」


 わたしが荷物を持つと、そう答えた葵はさっさと部屋を出ていく。


 もうちょっと考えてくれてもいいのにさ──


 追いついて、革靴を履く後ろ姿に思いっきり抱きついてみた。


「じゃ、今日の放課後、すぐにお願い!」


「……わかった」



 ふたりで歩く通学路は、昔からあんまり変わってない。冬に近づき葉が色づいた街路樹に、フェンスで囲われた小さな公園。ただ、隣を歩く葵はちょっと変わった。変わってしまった。


 わたしより、9センチも背が高いのだ。

 小学生の頃はうちの洗面台で髪を結べてたのに、中学に入るとお団子をつくるなら背伸びは必須。今となってはもう……やめておこう。


 静かな住宅街を進んでいけば少しずつ人が増えていって、学校に着いたら「今日も寒いね〜」なんて言いながらクラスの子たちと合流していく。


「かなぁ〜課題見せてぇ〜」


 教室に着くなり、りっちゃんこと倉本理月ちゃんがノートを抱えて泣きついてきた。


「りっちゃんまた? 次からはちゃんとしてこないとダメだよ」


「さすがりか様! 大好き! 結婚して!」


 まったく、調子いいなぁ。抱きついてきたりっちゃんに待てしてもらってリュックの中から課題ノートを探していると、突き刺すような視線を感した。


 目線を上げて、りっちゃんの後ろ。まだ荷物を持ったままの葵がじーっとこっちを見ていたのだ。


「どうかした?」


「なんでもない。香奈は倉本さんに甘すぎ」


 その言い方は、いつもより少しだけ硬かった。


 でも怒ってるわけではなさそうな、そんな雰囲気。もう少し表情とか態度に出てたらわかるのにさ。


「そんなこと──」


「かーなーさーまー! はやく〜」


 っと。りっちゃんがわたしを呼ぶ。ちょっと見つめあってから、葵はくるりと回って、自分の机へと帰っていった。



「ごめんお待たせっ」


「いや。待ってないよ」


 生徒玄関で葵と合流する。いやね、葵と帰ろうとしたらりっちゃんが「課題教えて〜」ってせがんできて。


 断ろうとしたら、葵は「靴箱で待ってるから」って教室を出て行ってしまったんだ。


 葵の指先は真っ赤。さっきまで暖房ぬくぬくの教室にいたわたしとしては、見ているだけで申し訳なくなった。


「えいっ」


「ちょっ──?!」


 わたしの手だって、そんなに温かいわけじゃないんだけど。握った葵の手は、もっと冷たかった。


「これで、ちょっとはあったかくなるよ」


 葵に笑いかける。なのに、葵はわたしの目と手元とに何往復も視線を送るだけ。


 それから、ため息混じりの声が出た。


「……香奈は誰にでも甘いよね」


「? そうかな」


「そう。倉本さんにも、私にだって」


 確かに面倒見がいいって言われることは多い。でも、それは別にいいことじゃない?


「りっちゃんは放って置けないし。葵は幼馴染だからさ。甘くもなるよ」


「……そういうの、よくない」


「ん〜、気をつけるね」


 葵の言いたいこと、よくわかんなかった。聞いてみたいけど、きっと葵は教えてくれないしね。


 ふたり手を繋いで歩く。手を繋ぐの、いつぶりだったかな。小学校高学年までは割と繋いでた気がするのに。


 繋いだ手が落ち着かないのは、きっとそのせいだ。


 沈黙(ふたり)の間を、冷たい風が通り抜ける。


「そろそろ、欲しいもの聞いていい?」


「……まだ無理」


「そっか。なら、(うち)寄ってこ」


 葵って、ヘンなとこで考え込むんだよね。わたしが志望校聞いた時も、数日考えた末にわたしと同じ高校を選んでたし。


 というか、欲しいものってそんなに迷うかな? 明日で準備しようと思ってるからあんまり手の込んだ物だと間に合わないかもなんだけど。


「ただいま!」

「お邪魔します」


「香奈、葵ちゃんもおかえり〜」


 ママの声が台所の方から聞こえてきて、とりあえず葵にはわたしの部屋へ行っててもらう。


「あったかい飲み物ちょうだい!」


「はいはい。あ、そうだ。葵ちゃんに今日うちで晩ご飯食べないか聞いてみて?」


「は〜い」


 ママの淹れたコーヒーを受け取ってから、急いで階段を上がる。


「あおい〜今日ご飯どうするって……?」


 ローテーブルの前で、正座した葵。


「葵、どうしたの?」


「香奈。座って」


 それ以上何も言わず、神妙な面持ちでわたしを見つめてくる。もくもくと湯気の立つコーヒーカップをテーブルに置いて、わたしも葵の前で正座してみた。


 葵はわたしの目と握りこんだ自分の手と交互に視線を送っている。


 え、わたし今から告白されるの?! ……なんてね。でも今のわたしには葵が何を考えているのか、よくわかんないから。


「プレゼントのこと、なんだけど」


 葵の声は、聞き取るのがギリギリ。


 誕生日プレゼントのことなら、こんなにかしこまらなくても──


「香奈をちょうだい。1日だけでいい、から」


 またまた〜って言おうとしたのに、葵のまっすぐな瞳に射抜かれ言葉が詰まる。葵から目を逸せない。なのに葵を見つめれば見つめるほど、紅潮した耳たぶが、震える唇が、葵の本気度を伝えてきて。


 心臓が鳴るのを、初めて感じた。


「……いいよ。でも、わたしでいいの?」


「香奈がいい、の」


 掠れた声なのに、葵の声は確かにわたしの鼓膜を震わせる。


 どうしてって、聞きたくなった。せっかくの誕生日に、どうして普通のプレゼントじゃなくて”わたし“なのか。


 やっぱり、葵の好みってわかんないや。


「じゃあ、葵の誕生日に何するか考えなくちゃね」


 すっかりぬるくなってしまったコーヒーをすすってから、膝を崩す。


「考えなくていい。あ、でも私の家に来てほしい」


「えっ、葵の誕生日を祝うんだよね?」


「そうかも、だけど。私は香奈の1日をもらっただけ。香奈はいつも通りでいいよ」


 いや? いやいやいや?!


「祝うでしょ! そのために元々1日空けてたし」


「っ……か、勝手にして」


 それにしても、葵の家かぁ。まあ、ほぼ毎日わたしの部屋に来てるわけだし、たまには葵の部屋がいいとかそんな感じかな。


 その後も、葵がしたいことを聞いてみたけどどれもはぐらかされてしまった。


「そだ、葵。今日うちでご飯食べてく?」


「食べる」


 ……ここははっきり答えてくれるんだな〜、なんてね。



 わたしの家から葵の家は徒歩0分。いわゆるお隣さんってやつだ。小さい頃は毎日往復してたし、どっちかの親がいない日はご飯を食べに行ったりお風呂に入りに行ったりしていた。


 とは言っても、ママが専業主婦になってからは葵の家にはあんまり行かなくなっちゃったけどね。


 見上げたそらは、まだ暗くて──


 “香奈をちょうだい”


 葵は今日、わたしと何をするつもりなんだろう。何があってもいいように、色々と準備はしてきたけど。……ってわたし、あおい相手に何考えてんだろ。


 とにかく。

 冷たい空気を肺いっぱいに吸い込む。


 それからそっと、インターフォンを押す。久々に聴くチャイム音。それが鳴り終わるよりも前に、ガチャッと勢いよく扉が開いた。


「香奈、おはよう」


「あおい、ハピバ!」


 こっちは渾身の笑顔を浮かべてるのに、葵の視線はわたしの手元に向いている。


「……あ、ありがと、香奈。寒いよ。早く入って」


 さすがに冷めすぎでしょ! 今日、自分の誕生日なんだよね?! 


 頭のてっぺんで寝癖をゆらゆらとさせている葵についていく。まだ慣れている方だけど、他の人の家って変わった匂いがする。


 葵の家はちょっと、フルーティーだ。


 暖かいダイニングにはチキンにサラダにお菓子に──朝ごはんとは思えないご馳走がずらり。


「ねえ、おばさんたちは?」


「仕事」


「今日もなんだ……」


「そう。だから昨日、祝ってもらったよ」


 そっか。それはよかった。


 胸を撫で下ろす。だけど、ラップの被せられた品々を見ていたら、胸の奥がざわめきだして止まらない。


「ねえ葵。朝ごはん、わたしが作ってもいい?」


「……お願い」


 食材でいっぱいのビニール袋をキッチンに置く。葵はテーブルについて、わたしの方を眠たげな目で眺めてくる。


 静かな部屋に、朝日が差し込む。わたしは家で準備してきた食材をぱっぱと取り出す。


 エプロンの紐を背中で結んだら、慣れない収納から必要な食器を並べた。


 お米をレンジにかけて、お鍋に水と具材を入れて、下味をつけておいた切り身をフライパンで焼く。


 正面でぼ〜っとわたしを眺めてくる葵。


 料理するのは好きだけど、見られているとちょっと手元がぎこちなくなる。


 ただいつの間にか、葵はテーブルで寝ちゃったみたいだけど。


「あおい〜? ご飯冷めちゃうよ?」


 閉じた瞳を覗き込む。


 葵の目元にかかった前髪を、触れるか触れないかくらいの加減で耳の方へ流した。


 そういえば、葵の寝顔を見たのって久々かもしれない。昔はよく一緒のベッドで寝てたけど、中学からはそうもいかないし。


 葵は居眠りするタイプでもないから、眠たい顔は見ても寝顔はそう見られない。


「起きないなら、いたずらするよ?」


 試しに揺すってみたら、アホ毛みたいな寝癖がふりふりと揺れた。


「んん……」


 しかし、葵は起きない。


 手強い。修学旅行で葵を起こしていたがために2人揃って朝食に遅れたのを思い出す。


「あおい、学校遅れるよ〜」


「……?! がっこ、う」


「あははっ、ほんとに起きちゃった」


 葵が寝坊してわたしが迎えに行ったとき、おばさんはいっつもこうやって叫んでた。


 バサッと起き上がった葵。青ざめていた顔は、わたしと目が合って赤く染まっていく。


「か、かなっ。お母さんみたいなことしないで」


「ふふっ、葵が起きないから悪いの〜」


 葵はムスッと口を尖らせた。


「香奈のそういうところ、きらい」


 小さく呟いた葵の言葉を背にして、わたしは盛り付けたお皿を取りに行く。


 広くて贅沢なテーブルの上に、わたしと葵の朝ごはんがこじんまりと並んだ。


「どう?」


「美味しい。すっごく」


「ふふっよかった」


 寒い朝に、味噌汁がほのかな温かさをくわえてくれる。練習しててよかったな。


「「ごちそうさまでした」」


 お皿洗いを終わらせたら、葵の部屋へ。


 水色と白で統一された家具。いつみてもすごいな〜って思う。わたしなんて、ピンクに白に紫に──とにかく、色を揃えるなんてわたしにはできない。


 こういうとこは、ほんと几帳面なんだよね。


「ね、今日はどんな髪型にしよっか?」


「このままがいい、かも」


「そう? じゃ、寝癖だけとろっか」


 葵がイスに座って、わたしは後ろへ。


 せっかく部屋から色々と持ってきていたけど、葵が気分じゃないなら仕方がない。


 いつもより、櫛が通りにくいな。


 鏡がないから葵の顔も見えないし、痛くしないように慎重にしないと……


 指で大ざっぱに梳かして、そこに櫛を通す。


「まだ8時過ぎだけど、何しよっか?」


「香奈。香奈は今日、私のものなんだよ」


「ふふっ、そうだね?」


「……だから、わたしを急かさないで」


 髪を解かし終わっても俯いたままの葵。わたしは葵のベッドに座って、待ってみることにした。


 ザッと、葵が立ち上がる。


 わたしの前に立って、細い瞳でまっすぐに見つめてくる。


 どんなお願いが来るのかな。


「となり、座るから」


「葵のベッドじゃん。ど〜ぞ?」


 シワを伸ばしてポンポン、と横へ誘った。葵は、広がったわたしのスカートを踏んで座る。


「次はどうする?」


「だ、だからっ……しばらくゆっくりしてて。考える」


「はいはい」


 わたしが足をぷらぷらしている間も、葵は首を傾げていた。


 結局、わたしが寝転がってゴロゴロしだしてから葵が呟いた。


「ゲーム、しよ」


「おっけ〜! 何する?」


 とは言ったものの、わたしも葵もテレビゲームはあんまりしない。


 その証拠に、画面に映っているのは10年も前のゲームなのに、まだ3-2で止まっているのである。


 ま、わたしは飽き性だし。葵は……


「このゲーム難しい。香奈、別のしよ」


 という感じで、とっかえひっかえ序盤すらクリアできてないゲームをひたすらにプレイ。


 でも、ベッドに座って、肩とか膝が触れ合うくらいに寄り合って、わたしがミスると葵がクスクス笑ってくれている。その横顔を見ていると、わからないゲームも楽しいって思えるんだ。


 あっという間にお昼過ぎ。作り置きされていた盛り沢山の料理を温めて、ふたりでかこむ。


 葵のお母さんの料理は口の中が幸せになるくらい美味しくて。一回冷めてから温めることを前提に作ってるのかな? 


 葵も心なしか箸が進むのがはやい。


 一口ひとくちはちっちゃいけど、ずっともぐもぐ動いてる口に見入ってしまう。


「! か、かな……どうした、の」


「えっ、ごめん。葵が美味しそうに食べてて、可愛いなって──」


 咄嗟に口を塞いだけど、遅かった。


 わたし、葵を相手に何言ってんの?!


「っ……」


「ごめん、忘れて? ほら、早く食べないと冷めちゃうし──」


 とにかく顔が熱い。


 コップのお茶をグッと飲み干して、箸を持ち直す。まだ、葵は呆気にとられたようにわたしを見つめてきていた。


「香奈。ありがと……」


「ど、どういたしまして」


 それからは、お肉の味すらもよくわからなかった。



 部屋に戻っても、お互いぎこちないまま。


 たまにある会話も宙を滑っていくみたいで、ただただ時が過ぎていく。


 朝ぶりにスマホを開いたら、たくさんのメッセが溜まっていた。今なら返せるけど、葵が気になって頭に入ってこない。


 葵と話さないと、こんなに落ち着かなかったっけ。


 葵が少し動いたら、自然と目で追ってしまう。


「香奈、隣に座っていい?」


「う、うん。いいよ」


 葵の顔も直視できないままに、座布団を整えてから葵を迎えた。


 肩と肩とが触れ合う距離。さっきまではなんともなかったのに、今は心臓がアラームみたいにけたたましく鳴っている。


 真っ黒な画面に映るわたし。


 葵の誕生日に、こんな顔しちゃだめなのに。


「香奈。さっきのってどういう意味?」


 息遣いだけに満たされていた部屋を、葵の声が静かに切り裂く。


「そのままの意味だよ……」


 歯切れが悪い。葵が可愛いのは本心からだけど、伝えようとは思ったことがなかったから。


「それだけじゃ、わかんない」


「わかんないって──」


 横に座っていた葵が、わたしに身を任せてくる。葵の髪が首元をくすぐって、葵の匂いに包まれる。


「今日の香奈は、わたしのだから。ちゃんと教えて欲しい」


「友達に可愛いって、普通に言うよ? その……葵に伝えるのが初めてだったから、緊張しちゃっただけ」


「……そう。私、お手洗いに行ってくる」


 せっかく葵から歩み寄ってくれたのに、わたしは言い訳を並べた。


 葵は力なく立ち上がって、部屋を出ていく。


 葵のベッドに座ってみた。ここでゲームをして笑い合ったのが遠い過去みたい。


 あの瞬間から、どうしてか言葉を選んでしまう。


 もうすぐ、1日も終わってしまうのに──


 お手洗いから帰ってきた葵は、後ろ手にドアを閉めて立ちすくんでいた。


「香奈。膝枕、して」


 耳を疑った。でも、せめて葵のやりたいことをやらせてあげるのが今日のわたしの役目なんだから。


「……いいよ。おいで?」


 自分のベッドなのに、おっかなびっくり上がってきた葵。わたしが膝をそろえて(もも)をポンポンってしたら、頭がゆっくりと沈み込んできた。


 わたしの白いフレアスカートに、葵の黒髪はよく映えていて。耳が真っ赤なのが、ちょっとおかしい。


「あたま撫でてもいい?」


「……っ?! す、好きにして」


 くすぐったがりな耳元を避けながら毛並みをなぞってみる。ほぼ毎日触っているから感動はないはずなのに──


 葵の肩が強張るのが、葵が息を殺すのが、直に伝わってくる。


 居心地悪そうに頭をもぞもぞさせているのも、ぜんぶ、ぜんぶ伝わってきた。


「かな。くすぐったい」


「もう少しだけ」


 今、ぜったい頬を膨らませてる。


 本当は葵を困らせたくないのに。今離れることは、どうしてもできそうになかった。


 中学で身長を越されて、高校でグループがわかれて。今も毎日のように髪を結んであげてるけど、きっと大学にいけば終わってしまう。


 そんな幼馴染(あおい)が、誕生日をわたしと過ごしたいって言ってくれた。


 あの日、葵が帰ったあと。

 わたしなりに考えてみた。


 このおさまらない胸の高鳴りは、言葉にならない感情は、なんなんだろうって。


 ただの嬉しいなんかじゃ、ない。


 もっともっと、温かい。でもどこか切なくて、我慢ができなくて、熱のある──


 今日。葵と触れ合ってやっと分かったんだ。


 ちょっと冷めた態度も、可愛い寝顔も、たまに子供っぽいところも、わたしを信頼してくれてるところも。葵といるとそれだけでいいって思える。


 なのに、いつか終わるんだ──って、急に不安に感じてしまう。


 友達としてでも幼馴染としてでもない、この胸の高鳴りの、焦りの正体──今の関係が続いて欲しい。葵と離れたくない。


 葵がどこかに行ってしまったら──


 そんな想像をしただけで、わたしの息は詰まってしまう。


「ね、あおい──っ!」


 刹那、天地が入れかわる。


ふかふかなベッドに頭が埋まって、上から長くて黒い髪の毛が夕陽でキラキラと輝きながら、わたしの視界を覆った。


 心拍数が、ドッと上がる。


「私、やめてって言った」


「ごめんね葵。考え事してて」


 真っ黒な瞳に映るわたし。


「かな。香奈は私のこと、見ていてくれないの?」


 熱のこもった、今にも溢れ出してしまいそうな葵の声。


「ちがうよ、いま……」


 『今、葵のことを考えてた』なんて、言えるわけない。わたしの気持ちに、わたしはまだ確信が持てていないから。


「もう、いいよ」


 わたしの両手首を掴む葵の手に、力が込められる。


「香奈ってさ、力弱いんだね」


 力を入れても、びくともしない。でも葵の腕は、怯えるみたいに震えていた。


「痛いのはいや、だよね?」


「葵。痛くするの?」


「っ、今日の香奈は私のものだから。今は……口答えしないで」


「わかったよ」


「じゃあ、私の言うことはちゃんと聞いて」


「うん」


「それと、私のこと以外は考えないで。倉本さんのことも学校のことも家のことも、ぜんぶ」


「わかった」


「私だけ、見て」


「うん。葵だけを見てるよ」


 葵のお願いを、わたしは受け入れた。

 なのに、葵の瞳からは大粒の涙がいくつも落ちてくる。


 どうして泣いているのかなんて、わたしにはわからない。


 わからないけど、ここで逃げたら一生わからないままだと感じた。


 それは、嫌だ。


「……私だけが特別じゃ、だめなの?」


 消え入りそうな葵の声。胸が締め付けられて、今すぐにでも安心させてあげたくなる。


「そんなことないよ。葵はわたしの──」


 なのに、言葉が詰まった。


 特別。特別なんだ。葵はわたしの特別。


 口は動くのに、言葉が出てこない。そのたった一言を発しようとすると、途端に息が続かなくなる。


 葵の表情が目に見えて曇っていく。


 こんなに苦しいなら、いっそこの気持ちなんて分からないままの方が良かった。


 ただの幼馴染で、良かった。


「香奈はずるいよ。みんなに優しくして、すぐ思わせぶりなことする」


「それは──」


「じゃあ、なんで私を受け入れてくれたの? 誕生日に1日だけ香奈が欲しいなんて、おかしかったでしょ」


 葵の瞳は、真っ黒で。


「なんでそんなに優しいの。なんでそんなに尽くしてくれるの」


 とめどなく溢れる言葉。


「そんなにされたら……好きになるに決まってる」


「私が特別じゃないって、わかってるのに。香奈が何かをしてくれるたびに、私の中で香奈が大きくなった」


 わたしは、最低だ。


 きっと葵はいつだって、わたしのことを見ていてくれたのに。わたしにアピールしてくれていたはずなのに。


 結局わたしは、葵との距離を決めるのが怖かったんだ。


 幼馴染という流されやすい関係にとどめて、葵に深入りしないようにしてた。


 葵の輪郭が、ぼやけて見える。


「ごめんっ、香奈。手、痛くない?」


 泣ける立場じゃないのはわかってる。泣きたいのは葵の方で、わたしが涙を流すのはまた逃げるのと同じだから。


 遠ざかる葵の影。


 そこへ、精一杯に手を伸ばした。


「あおい。葵はわたしの特別だよ。葵とずっと一緒にいたい」


 薄い背中を抱きしめる。


 葵が困惑しているのが、痛いくらいに伝わってくる。


「かなっ……くるしい」


「ご、ごめんあおい」


 名残惜しいけど葵を離す。ふたりとも膝立ちみたいな状態で、ちょっとの間見つめあった。


「香奈の特別は、私だけ?」


「葵はわたしのいちばんだよ。葵じゃないと、だめみたい」


 さっきは勢いに身を任せて叫んだけど、いざこの状況で繰り返すとなんだかくすぐったい。


「そ、そんなにはっきり言わなくていい……」


 葵は頬を赤く染めて目を逸らす。それでも、わたしの服の袖を握りしめたままだった。


「わたし、もう逃げないから。葵のしたいこと、ちゃんと教えてほしいな」


「絶対に、笑ったりしない?」


 伏せ目がちの葵が、わたしをチラっと見てくる。


「笑わないよ。だって、葵のお願いだもん」


「……私と、付き合って」


 せっかく向き合ってくれてたのに、最後の最後で葵は俯いてしまった。


 でも、心臓がバクバクうるさいのは、葵の気持ちが確かにわたしに届いたってことだから。


 葵の顔に手を添える。


 色づいた頬、びっくりしてか揺れる瞳。


 幸せにしたい。葵の隣に、ずっといたい。


 下から顔を近づけたら、葵はむぎゅっと目をつむる。


 長いまつ毛が、夕陽を浴びて輝いて見えた。


 そこからは多分、一瞬だった。


 ふたりの境界がわからなくなって、呼吸も拍動も体温も、ぜんぶが混ざり合う。


 重なった唇を離すと、涙をためた葵の瞳が、やっとわたしを見てくれていた。


「ふふっ、キスしちゃったね。あおい」


「……香奈はやっぱり、ずるいよ」



「今日の気分はどんな感じ?」


 櫛を通しながら鏡の中の葵を覗く。


「香奈の好きな髪型がいい」


「?! へ、へぇ? じゃあ、下ろしたままかな」


 最近の葵は、よく自分のしたいことを言ってくれる気がする。


 これも、付き合い始めた影響なのかな。


「はい! こんな感じでいい?」


 一歩下がると、途端に立ち上がる葵。


 わたしの両手首を掴んで、そのまま壁にじりじりと追い詰めてくる。


 見下げられたら、もう目を離せない。


「香奈。いつもありがとう」


 細めた瞳はちょっと妖艶で──


 見下ろされてるのも、ちょっとは悪くないような気がした。


 つま先に力を入れて、葵の腕の中におさまる。なんだか葵に包まれるのが癖になってきている気がした。


 葵の腕の中で、顔を上げる。


 そのままそっと唇を重ねた。


「香奈〜葵ちゃん〜! 学校遅れるよ〜」


 ママの声が響く。普段はありがたいのに、どうしてか今はモヤモヤしてしまう。そうも言ってられないけどさ。


「あおいっ、急がないと! ……葵?」


 なんか、その、なんでムッてしてるの? そろそろ手を解放してくれるとありがたいんだけどな──


 頭が真っ白になった。まさか、葵からキスしてくれるとは思わなくて。


 離れていく影に、つい腕を伸ばしてしまう。


「香奈。置いてくよ」


 ドアを開けて、葵がそう微笑んだ。


「ちょっ──今のはずるでしょ!」


 急いで荷物を抱えたら、待ってくれていた葵と手を繋いで部屋を出る。


 

「まぁ! 香奈と(あお)ちゃんが手を繋いでるところ、久々に見たわ。ねえ香奈、写真を撮ってもいい?」


「ママっ、そんな時間ないって──」


「よろしくお願いします」


 あおい?! まさかの裏切りすぎるでしょ!


「香奈……だめ、かな?」


「も、もう! 1枚だけだからねっ」


 すっかり冬支度を終えてしまった桜の木の下で。わたしと葵は肩を寄せ合う。


「ふたりとも、もっと笑って〜!」


 冬風がちょっと冷たい。指を絡めると、葵が少し強めに握り返してくれた。


「香奈、大好き」


「っ?!」

 

 あとで見せてもらった写真に写るわたしと葵は、ひどく赤面してたけど。


 この温かい気持ちがずっと続きますようにって、隣を歩く葵にわたしはささやいた。


「大好きだよ。あおい」


〜fin〜


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