6.信じているから──。
最終話です! よろしくお願いします。
ジェルドからのお誘いに、エリシアは一も二もなく頷いた。
気がつけば、あっという間にジェルドの腕の中だ。
「貴方と踊ったのって、いつ以来だったかしら」
「エリシアが殿下と婚約する前じゃなかったか? ……いや、もう殿下ではないのだったな」
「ジェルドったら……」
ジェルドの物言いには、さすがのエリシアも苦笑するしかない。
「あいつは見る目がなかったな。……他の奴らも、いくらエリシアが可愛いからとパートナーを放っておいてこちらばかり見るとは心底軽蔑に値する」
ジェルドは小さく呟いただけのはずなのに、いつの間にか他の男子卒業生たちと視線が合わなくなった。
それどころか、距離を取られている気がするのは絶対にエリシアの気のせいではない。
けれど。
(ジェルドが守ってくれているような気分になってしまうのよね。……彼には思い人がいるというのに重症だわ)
手痛い思いをする前に、彼との関係にはひと区切りつけないと──とエリシアが自身を鼓舞したそのとき。
「少し、いいだろうか」
「……どうかしたの?」
「この曲が終わったら、外に出ないか?」
婚約者や夫婦でない者どうしは、一晩に同じ相手とは一度しか踊ってはいけない。
それがゼティオルムやその周辺国の夜会の暗黙のルールだ。
そして、ダンスをした者どうしがその会場の中心となるホールや庭園の中央から抜け出すというのはつまり、「あなたともっと話がしたい」という意図の伴うものにほかならない。
(え? まって。ジェルドには好きな相手がいるはずよ。なのに私と……もしかして浮気⁉)
顔よし、声よし、身分もよし。
そんな三拍子揃ったイケメンなのに、ジェルドには婚約者がいない。
たくさんの縁談が来ているはずなのに、彼は「好き」だという女性ひとりのために婚約を結ばずにいるのだろう。
名前も教えてもらえなかったので誰のことなのかエリシアは知らないが、このままではいけないということだけは理解している。
(こうなったら女は度胸よ! ジェルドは公爵なのだから、公衆の面前で不足している点を指摘するのは彼の立場を危うくするだけだものね。……これも彼のためよ。ええ、彼のため)
理解はしているのだ。
それでも、胸がズキズキと痛むことに変わりはない。
曲が終わり、互いにお辞儀する。
でも先ほど約束したから、続きがある。それはエリシアにとって、とても嬉しいことだ。
「では行くか」
「ええ」
次の曲が始まるとエリシアは再びジェルドの腕の中に納まり、二人でホールをあとにした。
☆☆☆
ダンスを終えた二人が向かった先は、すっかり夜の闇に包まれた庭園だ。
「池も、昼間とは違うわね」
「趣があっていいだろう?」
まだ冬の気配が残る屋外に出たエリシアたちは、学園ということを忘れてしまいそうなほど、大きな池のほとりで佇んでいた。
ひんやりとした風が止むと、鏡のような湖面に夜空の三日月が映し出される。
けれどまたすぐに、風が湖面をなでていく。
エリシアが寒さに縮こまっていると、肩に少しずっしりしたぬくもりが訪れた。
すっかり慣れてしまったベルガモットの香りは、考えるまでもなくジェルドのものだ。
「ありがとう。……でもこれではジェルドが風邪を引いてしまうわ」
「今夜のドレスを贈ったのは俺だが、お前が寒そうにしている方が寒くなってくる」
「でしたらありがたく。──って!」
すっかり忘れかけていた。
(そうよ! 思わず先ほどまでの決意も忘れそうになっていたけれど、今日という今日はジェルドのダメなところを全部伝えないといけないわ! そうでないとわたくしは──)
エリシアは隣に立つジェルドの方に向き直った。
彼も何かを感じ取ったのか、エリシアと正面から向かい合う形になってくれた。
「ジェルド。わたくし、貴方にどうしても言わなければならないことがあるの」
「……ああ」
一度深呼吸したエリシアは軽く息をつくと、今の自身に出せる精いっぱいの声で叫んだ。
「ジェルド様はちっっっとも乙女心の何たるかを分かっておりませんわっ!」
「は? それってどういう──」
「どういうもこういうもありませんわよっ!」
ぜえはあと荒くなった息を、ゆっくりと整えていく。
ジェルドの顔を見れば、彼は自分が言われたことがまったく理解できていないようだった。
「まずもってこのドレスですが……。あまりにも選択肢として最悪すぎますわ。このドレスは誰に贈るために選んだものですの?」
何が分からないかが分からない。
そんな相手にはまず、一つずつ順番に説明していくのが定石というものだ。
ジェルドのようなタイプは察するのが苦手らしい。
感情のままに伝えても分かってくれないから、こうするのが一番なのだ。
もちろん理解してもらえないこともあるけれど、全部まとめて説明するよりはずっと可能性がある。
──けれど自身の幼馴染の理解力に一縷の希望を見出していたエリシアの作戦は、あっけなく失敗に終わってしまった。
「? エリシア、お前だが」
「はい? ジェルドさま、わたくしは幼馴染の貴方をしれっとレディに嘘をつくような殿方に育てた覚えはありませんわっ」
「お前の方が年下だろう」
「それはそうですわね。……ってそうではなくて!」
一度言い合いになると、決まっていつもこのパターンである。
エリシアはほぼ完全にジェルドのペースに呑まれてしまうのだ。
でも今日ばかりは彼に翻弄されるわけにはいかない。
(そうでなくては……今のジェルドの言葉に希望を見出してしまったわたくしは、一体どうすればいいの?)
戸惑いの中にいるエリシアが、次の言葉を迷っていると。
先に口を開いたのはジェルドだった。
「そんなに難しい話か? これまでは贈りたくてもずっと贈れなかったが、そのドレスはまぎれもなくエリシアのために選んだものだ」
「わ、わたくしはしっかりと覚えているわ。今わたくしが着ているのは、貴方が好きな人のために選んだドレスよ」
「だからお前への贈り物と言っているだろう? これでもまだ足りないか?」
「──ほんとうに?」
エリシアの言葉は、迷子の子供が発したようなそれだった。
うぬぼれても、いいのだろうか。
しあわせになっても、いいのだろうか。
「でもジェルド言っていたでしょう? 『彼女に自分の思いは届かない』と。わたくしはずっと貴方のそばにいたのに」
「王太子殿下の婚約者にドレスを贈ったらどうなるか。……考えなくても分かるだろう?」
ジェルドの答えに、ようやく全てを理解する。
彼はエリシアがガーニルの婚約者になってもなお、ずっと一途に思い続けてくれていたのだ。
今回のように婚約が解消されることなど、普通はまずありえない。
それなのに、彼はエリシアに贈ることが許されるかも分からないドレスを用意してくれた。
でも、エリシアには腑に落ちないことがあった。
「でしたら、どうしてわたくしに選ばせましたの?」
「……お前の言う通り、俺は乙女心が分からないからな。お前自身に選んでもらえば間違いないと思った」
ずるい。
エリシアの言葉を借りて「乙女心が分からない」と言っているが、彼はエリシアの心の中を完全に見透かしているようだ。
ジェルドの上着から伝わってくる温もりに、恥ずかしさゆえにエリシア自身の中から湧き上がってくる熱も相まって。
まだ冬の香りすら残る夜風が吹いているのに、エリシアの顔は熟れた果実のように赤くなってしまっていた。
「エリシアはずるいな。どれだけ俺を虜にすれば気が済むんだ……」
「それを言うならわたくしもジェルドには敵いませんわ。今日こそは怒るつもりだったのに、全然怒れませんでしたものっ」
恋をして。
何年も片思いをこじらせて、国王からのお願いで結んだ婚約により遠くなって。
今日まで勘違いしたままだったのに、「エリシアとガーニルの婚約」という障害がなくなった二人の心の距離は、急速に縮まっていく。
「エリシア、また今度結婚を申し込んでも?」
「もちろん! で、ですがまずは婚約からでお願いしますっ……!」
「それもそう、だな」
婚約もしていないのにいきなり結婚するのは、貴族の間では完全にルールに反する行いだ。
エリシアが暗にそう告げれば、ジェルドは突然エリシアの前に跪いた。
「!」
「エリシア・ヘルミル嬢。俺と婚約してほしい」
そう言ってジェルドは懐から小さな箱を取り出す。
中には大粒のダイヤモンドが目をひく婚約指輪が入っていた。
(相変わらず準備がしっかりとしているわね。──でも、聞かれなくてもわたくしの答えは決まっているから)
「はいっ」
「大好きだエリシア」
「存じておりますわ。──わたくしも貴方のことが大好きなのですから、お互いさまですわね」
二人はしばらくの間、何度も何度も互いの存在を確かめ合うようにしっかりした抱擁を交わした。
「夢じゃない、のね」
「心配なら魔導契約でも交わすか?」
「必要ないわ。だってわたくしは貴方のことを信じているのだもの」
「俺もだ」
ジェルドはエリシアに婚約指輪をはめると、指輪ごしにキスを落とす。
三日月だけが、ふたりの影がひとつになる様子をほほえむように見守っていた。
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