4.断罪劇が流行るのなんて物語の中だけですわ。
ちょっと長くなったのでどこで切ろうか悩んで、結局切れませんでした。
短編一本ぐらいの長さがあります……。
せっかくガーニルと婚約を解消できたのだ。
そういうわけで、エリシアとしては今日はジェルドと卒業パーティーをめいいっぱい楽しむはず──だった。
けれど会場で待っていたのは、あまりにも謎過ぎるガーニルの口上だった。
「自分が犯した罪のことにも頭が回らず、のうのうと入って来ることができるとは。お前の頭は本当にめでたいな! ──エリシア・ヘルミル!」
「は?」
ネーム・コールマンがエリシアたちの入場を告げて間もなく。
会場の中央からは、聞き間違えるはずもない元婚約者の叫び声がエリシアの耳まで届いた。
「驚きのあまり声も出ないようだな! おい、全員どけ!」
腐っても王太子。
彼が呼びかけると、あっという間に人垣が割れていく。
気がつけば釈明する暇もなく、入り口近くのエリシアたちの元から、ホール中央のガーニルたちのもとまで一本の道が開かれていた。
でもまずははっきりさせておきたいことがある。
エリシアは特に何かの罪を犯した覚えはない。
「殿下、まずはわたくしが犯した罪とやらを説明していただいても?」
「いいだろう。……お前がロザリーを階段から突き落とした犯人だということはすでに調査済みだ」
「は?」
まっすぐ人差し指でエリシアを指すガーニルに対して、エリシアの口から出たのはドスの効いた声だった。
普段のエリシアからは想像もつかない声だからか、ガーニルが口をあんぐりと開けて固まる。
けれどそれは本当にほんの一瞬のこと。
気を取り直したガーニルは汗をかきながらも、自信満々な表情でエリシアを犯人と決めつけていた。
繰り返すようであるがエリシアはロザリーにも、そのほかの誰かにも犯罪行為をはたらいたりしていない。
偽の証拠を捏造でもしない限りはそんなものが出てくるはずがないのだ。
(一部のご令嬢方の間で婚約破棄だの断罪だのが流行っているそうですけれど、現実と物語の世界は違いますのよ。どうしてそのように稚拙な嘘をでっち上げるしかできないのかしら?)
例によってロザリーも愛読者らしいので、彼女の要望にこたえたのかもしれない。
彼との婚約を打診──もといお願いしてきた国王陛下も、今のエリシアと同様にほとんど諦観の念を抱いていたのだろうか。
昨年ぐらいから第二王子にも気にかけているみたいだし、すでに彼は父である国王陛下からも見放されているのかもしれない。
「証拠ならあるぞ! ロザリーが聖女だということそのものが証拠だ!」
「物的証拠はない、と。それでも言い切るのですから、相応の理由がございますのよね?」
「お前も我が神聖なるゼティオルム王国の臣民であるのなら、聖女は神に愛された存在であることは知っているだろう」
「ええ」
神は不誠実を嫌う。王国に住まう者であれば一番貧しい人々でも知っている、この国の常識だ。
「魔導契約」も不誠実を嫌った神が地上に残したもの──というのも、エリシアがまだ齢一桁のころに妃教育の初日に習ったぐらい有名な話である。
ゆえに神の加護を受けて光魔法を行使できるのは、神が誠実だと認めた「聖女」と呼ばれるごく一部の女性だけ。
昔は男性の中にも光魔法を使える者もいたらしいが、たび重なる戦争と策略の際に何度も悪用されたせいで、失望して男性には加護を与えなくなったとか。
「つまり、聖女であるロザリーは他者を傷つけるような嘘をつけない。これ以上の証拠が必要か!」
「あら。わたくしの記憶違いでなければ、大けがをしたという理由で授業を欠席した日はなかったはずですけれど」
時々ガーニルとロザリーは同じ授業を欠席していたことがあったようだが、ここで指摘しても逆効果なのでエリシアは知らんぷりを決め込む。
「彼女は努力家なのだ! 階段から転落したその日、私はロザリーに医務室で休んでいるようにと伝えたが、魔法で止血して授業に向かった。それに何度嫌がらせを受けても、自身の傷を顧みず、聖女の力で民に癒しを与え続けた彼女が嘘つきのはずがない」
「魔法で止血して……ですか」
エリシアとしてはものすごく引っ掛かりを覚える言い回しだけれど、ロザリーが聖女かどうかなんていうのはどうでもよかった。
(きっと優しいジェルドはわたくしのことを信じてくれる。それでも、わたくしがここで無実を証明できなければ、彼は周囲からさらに孤立してしまうわ)
「死神公爵」で、王太子のパートナーを傷つけた女を庇う。
そんなことをしたら、たとえ爵位が最も高い公爵だとしても周囲の誰もが敵になってしまうことだろう。
今だってそうなのに、これ以上彼を孤立させるわけにはいかない。
だからエリシアは、ガーニルがあえて狙ったであろう言葉のあやをつく。
「そうですか。でしたら当然、光魔法は使えるのですよね?」
「私の話を聞いていなかったのか⁉」
「あら失礼。わたくしはそちらにいらっしゃるロザリー様に聞いているのです」
「王太子である私を無視するとは万死に値するぞ!」
埒があかないので、エリシアはおもむろにホールの中央へと向かう。
断罪劇の主役が一か所に集まったことにより、先ほどまで分散していた会場の視線が一点に集中する。
「無視しているわけではございませんわ。だって、ロザリー様は聖女で嘘をつくことはできないのでしょう? でしたら、彼女に光魔法を披露していただくのが早いと思いませんこと?」
エリシアは挑戦的な笑みを浮かべると、詠唱をはじめる。
唱えた呪文により放たれた初級風魔法は、エリシア自身の手の甲に赤い一筋の傷を残す。
それが血だと認識したロザリーはぎょっとしたのか、ガーニルの腕を握る力を強くしながら、カタカタと震えていた。
(もっと大けがをした方なんて、何人も見てきたわよ。彼女が本当に聖女だとしたら、本当に頑張っていると褒めてあげてもいいぐらいだけれど)
「あら、血が出てしまいましたわ。聖女様、わたくしの傷を癒してくださらない?」
「ロザリー! 耳を貸す必要はない! 彼女は自分で自分を傷つけただけだ」
「わたしは……」
「本当によいのかしら。……それかどなたか、この会場の中にロザリー様の光魔法の癒しを受けたという方はいらっしゃるかしら?」
エリシアが周囲を見回した。
けれど誰も声を上げる様子はない。
「あら? 誰も証言してくださらないようだけれど──」
「それはそうだ! お前の言い方では、真実を知る者も言い出しにくいだろう!」
「それは貴方の見解でしょう? ……であればこそ、実演するのが一番ではなくて?」
ついにガーニルもわなわなと声を震わせはじめる。
笑顔でロザリーに手を差し出すと、彼女はついにガーニルの後ろに隠れてしまった。
「せっかく弁明の機会を差し上げましたのに……。ではわたくしから先に言わせてもらうわね。──神に誓って、わたくしはロザリー様を階段から突き落としてなどいませんわ」
エリシアは淡々と事実を述べると、聖女にしか使えない光魔法で自身の傷を治す。
色が少し茶色くくすみだしていた痕もきれいさっぱりなくなり、先ほどまで血の川が
流れていたところには白魚の手があるだけだった。
光魔法を使えること。
それは先ほどガーニルが言ったとおり、この国では憧れの的であると同時に、誠実さの象徴でもあるのだ。
エリシアが光魔法を発動したことに、ロザリーは信じられないものを見たと言わんばかりに目を見開いていた。
つい昨日まで婚約者だったはずのガーニルも、驚きのあまりなのか微動だにしない。
そんな静まり返ったホール中央とは対照的に、周囲に集まった卒業生たちの間には、またたく間にエリシアの無実を信じる声と、ガーニルやロザリーに対する嫌悪感が広まっていった。
「──どうしてよっ!」
そのとき。会場にほとんど悲鳴に近いような大声が響く。
ロザリーだった。
「どうして断罪劇が始まらないの⁉ 今日は卒業パーティーなのよ⁉」
「ロザリー様、物語の読みすぎですわ。書物を嗜むことは悪いことではありませんが、現実のものだと考えるのは誤りです」
「男をとっかえひっかえするような女は悪事にも手を染めているんじゃないの⁉」
ロザリーがギッと鋭い視線でエリシアを睨む。
的外れな怒りの矛先にされたエリシアは、そんなロザリーの様子にただただ呆れるしかない。
(この茶番、いつまで付き合えばよいのかしら。皆様そろそろダンスをしたそうなお顔をしているわ)
嘘の証拠で塗り固められたこの断罪劇は完全に失敗に終わっている。
それなのにロザリーたちは、まだエリシアを悪役に仕立て上げるのを諦めていないらしい。
どうしたらこの馬鹿げた発表会を終わらせられるのだろう……とエリシアが頭をフル回転させようとしたちょうどそのとき。救いの手が差し伸べられた。
「先ほどの言葉だが自己紹介か? ロザリー・ペレット嬢」
いつの間にか、隣にはジェルドが立っていた。
彼は先ほど、エリシアが単身ホールの中央まで進み出たときに、会場の端の方に置いていったはずなのだ。
彼と目が合うと、胸がドキリと高鳴る。
エリシアはジェルドに対して完全に恋に落ちてしまっているらしい。
「ジェルド……? どうして」
「君一人で背負う必要はないというのに、どうして俺を頼ってくれない。それとも──昨日の言葉は──」
「いいえ全然! とても頼りにしているし、むしろいなくなったら困ってしまうわ!」
「……その言葉だけで十分だ」
ほんの少しの間、彼は神妙な表情を浮かべていたのに、気がつけばいつも通りのジェルドに戻っていた。
「あとは俺に任せておけ」
今度は頭を撫でられて、口から心臓が飛び出してしまうかと思った。
けれど彼はエリシアに深く注意を払っている様子はなく、やけに手馴れているしでこうしたことは彼にとっては特別なことではないのだろう。
(寂しいけれど、お慕いしている方がいるなら当然よね……)
彼には思い人がいるはずなのだ。
それなのに、ジェルドはまるで騎士のようにガーニルたちからエリシアを守る位置に立ちふさがると、二人を見下ろした。
「な、何よ!」
「もう一度繰り返そうかロザリー嬢? 『男をとっかえひっかえするような女は悪事にも手を染めている』というのは自己紹介かと聞いている」
「そ、そんなわけないじゃない!」
「ペレット嬢が殿下以外の男性とも関係を持っていることも、──そもそも『聖女』であるという発言自体も嘘であることは確認済みだ」
ジェルドのバリトンボイスがホール全体に響く。
この発言に一番大きな反応を見せたのは、ガーニルだった。
「お前も俺を裏切るのか? 他の男と──」
「そんなわけないじゃない! わたしを嵌めるための嘘よ嘘!」
ぎゃあぎゃあと、朝の鳥小屋のようにうるさい二人の声がホールに響く。
その場に居合わせた参加者のほとんどは、彼らの言い分を疑わしく思っているのが視線や表情から見て取れる。
「わたしが殿下以外の男にすり寄ったなんて証拠はあるの⁉」
「そんなに言うなら、わたくしがそのように証言して、また先ほどのように光魔法を使って差し上げてもよくってよ?」
笑顔で提案するエリシアに、ロザリーはぷいと顔をそむける。
聖女の光魔法が誠実さの象徴であるこの国で、その提案を拒む。
最も簡単な方法に対して否を突き付けたロザリーの態度は、明らかに後ろ暗いことがあると主張しているようなものだった。
「そんなの、物的証拠にはならないじゃない!」
「そうね。けれど──」
「これは何の騒ぎだ、ガーニル」
「!」
急にホールに響いた力強い声に、皆の視線が壇上に集まる。
そこにいたのは、本来であればここに立っているはずがない人物だった。
「──ち、父上! なぜここに⁉」
「何故と申すかガーニル!」
ガーニルの父、つまり現ゼティオルム王国国王である。
ほんの一瞬、エリシアと目が合った彼は視線に申し訳なさをはらんでいたので、エリシアは「気にしなくても大丈夫です」という気持ちを込めて首を横に振った。
婚約を解消されたはずのエリシアが元気そうにしていることに安堵したらしい国王は、すぐに視線を自身の息子に戻すと、彼の目の前までいってホールの隅まで響きそうな大声を上げた。
「お前は何てことをしてくれたんだ!」
「ち、父上……? 一体何のことだか」
「ヘルミル侯爵令嬢と婚約を解消したのだろう! お前は昨日自分が行った重大な決断すら頭に残らぬ愚か者なのか!」
「ち、違う……です! 父上──」
国王の視線は明らかに怒気を含むものだった。
婚約者のことを放っておくような男なので「いつか大失態をするのだろうなぁ」とは思っていた。
でもそれがまさか今日になるとは、誰が思っただろうか?
「何が違うのだ? ……儂はエリシア嬢にお前を頼んだのだがうまくいかなかったようだな」
「うまく、いかなかった……?」
「今日限りで、お前を王太子の座から下ろすことにした」
会場に流れたのは「ああやっぱり」という感覚だった。
皆薄々予想はしていたのだ。
憐憫の情がまったくないわけではない。
けれどエリシアの記憶の中のガーニルは、それ以上に最悪が過ぎたのだ。王太子の座を下ろされたのも、彼の周囲の皆への態度を見ていたら明らかなものだった。
そんな彼は親に捨てられたと理解したのだろう。
であればとガーニルは周囲の卒業パーティー参加者に力を借りようとするが、誰からも目線を逸らされる。
隣に立っているロザリーも、目の焦点が合わなくなったかと思えば一歩、二歩と後ずさった。
「ちがう、こんなはずじゃ……。こんなだったら他の男にすればよかったわ……!」
「なっ、何を言うっ! ロザリー、お前俺を何だと思って」
振り返って、ロザリーが震えながら自分から離れようとしていたことに気づいたガーニルは、彼女の胸ぐらに掴みかかった。
「きゃっ」と怯えるようなロザリーの声がもれたが、誰も助けに入ろうとしない。
「もう一度言ってみろ!」
「……っ! 言ってやるわよ! ──今までは素敵な王子様だと思ってたけれど、今は国王になりそこないのボンボンとしか思えないって言ってるの!」
「誰かこのクソ女を不敬罪で投獄しろ!」
王太子の全力の叫び声に、ホールにいた騎士たちは戸惑いの様子を隠せないようで、誰も動こうとはしなかった。
(今ここでガーニル様に手を貸して、後で「聖女様に婦女暴行をはたらいた殿下の手助けをした」と言われても困るものね)
「おいそこのお前! さっさと──」
しびれを切らしたらしいガーニルが、舌打ちしながら気の弱そうな騎士見習いと思わしき少年に命令しようとしたそのとき。
何の前触れもなく、シャンデリアの蝋燭がいっせいに消えた。
突如暗闇となったホールに、参加している卒業生たちの恐怖と悲鳴が響く。
「おい今魔力の供給を絶ったのは誰だ!」
「きゃあっ!」
「──みなさま、落ち着いてくださいまし!」
エリシアが手元に生み出した真っ白な光の玉が、会場をうっすらと照らす。
一度は落ち着きを取り戻した会場。
けれどそれは長くは続かなかった。
突如として、今度は天井の方からゴロゴロと嵐の前ぶれのような轟音が鳴り響く。
「雷っ⁉」
「皆、伏せろ──!」
天井よりも低い位置で怪しく輝く稲妻。
再び恐慌状態に陥ったホールで、真っ暗闇の心配はなくなったエリシアは冷静に呪文を唱えていた。
「エリシア、何を──まさか!」
隣にいたジェルドはエリシアがしようとしたことを察したらしい。
エリシアが呪文を唱え終えると、黒い靄と床との間に光属性の魔法で巨大な防御結界が現れる。
昨日ガーニルに押し倒された時とは比べ物にならないほどの大きさのそれに、会場の視線は釘付けになった。
「あれは……光魔法か?」
「ああ──! 同年代に稀代の聖女が一人いると聞いていたが……ペレット嬢ではなくヘルミル嬢のことだったのだな」
先ほどまでホールを覆っていた恐怖が、感動に塗り替えられていく。
会場で逃げまどっていた人々も、今やただ天を向いて驚きの声を上げることしかできなくなっていた。
直後、紫色の雷が落ちる。
エリシアは結界が受ける衝撃が自分にまで伝わるのを身構えた──はずだった。
(あれ? 嘘っ……普通なら多少の衝撃が来るはずなのに、何もない?)
結界で雷を受け止めた感触も、かといって雷が直撃した衝撃も感じなかった。
何の前触れもなく消えたはずのシャンデリアたちが光を取り戻していくと、周囲から戸惑いの声が広がる。
「嘘だろ……」
「どうして殿下だけ」
会場の中で、ただガーニル一人だけが黒焦げになって倒れていたのだ。




