3.乙女心を分かっていないのではないかしら?
卒業パーティー当日の夕方。
間もなく日が沈もうとしている夕暮れの空の下、学園の敷地内は会場のホールへと向かう卒業生たちと、パートナーで賑わっていた。
ほとんどのペアは互いに婚約者どうしなのでくっついているが、エリシアたちは手を繋ぐことなく横に並んで歩いていた。
ジェルドは約束どおり形式的なエスコートしてくれようとしたものの、それを断ったのはエリシアだ。
「エリシア、よく似合っている」
「……、っ」
「怒ってる?」
「……怒ってはいませんわ」
「本当に?」
「え、ええ」
(このドレス、どう考えても以前ジェルドが「パートナーになってもらいたい女性がいる」と他の女性に贈るドレスについてわたくしがアドバイスしたもの……よね)
ジェルドと共に町のドレス店に行ったのは、もうかなり前のことだが今でも鮮明に覚えている。
エリシア自身はそのご令嬢と直接会ったことはない。
ジェルドから相談された当時「今はまだ求婚もできない相手」と言われたぐらいで。
容姿や年齢などを聞いてみたところ、この国の高位貴族で当てはまるのはエリシアぐらいしかいなかったので、おそらくそのお相手は異国の姫君か誰かだろう。
当然、そんな女性のために生まれたドレスなのだから、容姿がほど近いエリシアに似合ってしまうのもある意味当然のことではあった。
もちろんエリシアとて、一瞬でも自分が候補ではないかと思った瞬間がなかったかといえば嘘になる。
けれど常識的に考えてみてほしい。その恋する相手に直接恋愛相談する人がどこにいるだろうか。
(急ごしらえとはいえ、その相手に贈る予定だったものを送ってくるとは思いませんでしたけれど! ……ジェルドに婚約者がいないのって「死神公爵」と呼ばれている以外にも、実は乙女心を分かっていないというところも原因なのではないかしら)
急なことだったのでうっかり怒りそびれてしまったけれど、これは幼馴染としてきちんと注意しなければならないだろう。
でなくては、そのご令嬢が報われない。
エリシアとて、決して怒っているわけではないのだ。
ただ寂しくて、幼馴染に対して「こんなことをされたら、相手はこんな気持ちになってしまう」と叱らなければならないというだけで。
(寂しい……なんて駄目ね。わたくしは彼の婚約者ではないのよ。彼の恋を応援しなくては)
そもそも、貴族にとって婚約者というのは家どうしの結びつきを強めるためのものだ。
ガーニルと婚約していた時はそうなのだと割り切ることができていたのに、ジェルドに対してはそれができない。
この気持ちには名前があったはずだ。たしか──。
「……『こい』」
口にして、心にストンと落ちた。
きっとずっと。それこそガーニルと婚約するよりもずっと前から、エリシアはジェルドに恋していたのだ。
(けれど、この感情が叶うことはない。だから寂しいのね)
彼の気持ちがとっくの昔から他の女性に向いているのは、恋愛相談の相手にされたことからも明らかだ。
自分と未来は変えられるが、他人と過去を変えることはできない。
まったくもって古くからある諺のとおりだった。
「着いたぞ。……エリシア?」
「ヴェヴェヴェヴェリストン公爵! ……とヘルミル侯爵令嬢⁉」
ジェルドの呼びかけと、今夜ネーム・コールマンをしているらしい青年はガタガタと恐怖に震えていた。
「死神公爵」と「王太子殿下の婚約者」……であるはずのエリシアが並んでいるのだ。
普通に考えたら驚くのも無理はない。
(道中でもいくらか視線を感じたけれど、彼らもきっと同じような理由で見つめていたのよね)
招待状をバッグから取り出そうとしたそのとき。
そこに突然響いた何も考えていないような声に、意識が現実に引き戻される。
「──ロザリー! よく頑張ったな! ここまで疲れただろう?」
「疲れちゃいましたぁ」
噂をすれば、後ろからやって来たのは昨日音楽室で聞いたばかりの騒がしい声。
ジェルドも呆れたようにため息をついた。
振り返ってみると、そこに立っていたのはやっぱり昨日エリシアを音楽室に呼び出した張本人たちだった。
ロザリーが着ているのは、これでもかというほどたくさんの宝石が縫い付けられたドレスだ。
何なら仮面舞踏会のつもりなのかと思ってしまうほど大胆なデザインで、目のやり場に困ってしまうタイプのものだ。
一朝一夕に完成するものではないので、ずっと前から既定路線だったのだろう。
そしてそんな彼女をエスコートするガーニルもガーニルで、同じく金糸や銀糸がふんだんに縫い付けられた上衣を纏っていた。
ロザリーとお揃いのつもりなのか、彼のクラバットも下品なほどたくさんの宝石がついており、今までの国王陛下とエリシアの努力が水泡に帰したような感覚に襲われる。
(婚約者だったころであれば「羽目をはずしすぎです」と言うのが正しかったのよね。けれどもう、わたくしは彼の婚約者ではないのだからそのような義務も権利もないし……。国王陛下、残念ながら貴方の息子はこういうことをするタイプだったようです)
エリシアが彼の考えの足りなさに失望していると、明らかに能天気な声が聞こえてくる。
「おや! そこにいるのはエリシア・ヘルミル嬢ではないか」
「はい何でしょう王太子殿下?」
ガーニルのあまりにわざとらしい演技に、エリシアは三倍ぐらいわざとらしい答えを返した。
周囲の卒業生たちも、婚約者であるはずの二人がそれぞれ別のパートナーを連れていることに興味津々だ。
(でもロザリー様は在学中から彼と共に行動していたみたいなのよね。だから、これだけでも勘のよい皆様でしたら、あらかたの事は理解してくださるはずよ)
「私に振られたからともう他の男を侍らせているのか」
「お言葉ですが王太子殿下もご存知のとおり、わたくしたちは幼馴染ですのよ。殿下が急にロザリー様をエスコートすることになったとお伝えしたら、今宵のエスコートを申し出てくださったの」
ありのままに事実を伝えると、ガーニルは苦悩するような表情を浮かべながら歯ぎしりした。
まさかガーニルたちと結んだ契約のことは皆の予想にまかせるつもりだったのが、それからものの数秒で事実を全部話すことになるなんて。
全部ばらされたことがあまりに衝撃だったのか、ガーニルは固まってしまった。
そう思ったのも束の間、彼は無言で舌打ちするとひとりさっさと会場へと入っていった。
その後を慣れていないらしいハイヒールで、へとへとになりながらロザリーがついていく。
「ガーニルさま待ってください! 置いていかないで!」
二人が去った後のホール入り口は、水を打ったように静まり返った。
冬の名残りを感じさせる夜風だけがぴゅうとあたりを吹き抜けていく。
そんな中「エリシア」とすぐ隣から自身の名を呼ぶ声が届いたので、彼女はすぐジェルドの方を振り向いた。
その瞬間、ジェルドにさっと跪かれる。
「俺たちも行こうか。……今宵、貴女をエスコートする権利を私にいただけますか?」
「! ……はいっ」
ジェルドとお互いにまっすぐ見つめ合いながら、お決まりの言葉を返す。
顔が引きつっていなかっただろうか。
ジェルドの思い人の存在に胸が痛み、心配が頭をよぎる。
でも、たとえ彼と夫婦になれないとしても。
今夜だけは隣にいる権利を誰にも明け渡したくなかった。
昨日と違い、今日はエリシアの方からすっと右手を差し出す。
ジェルドは彼女の手を取ると、馬車のときと同じように唇を落とした。
身体が熱を帯びたものの、夕焼けと夜空が交ざりあう時間の中ではその赤色も溶けてしまう。
どうかこのささやかな片思いが彼にばれませんように。
ジェルドと共にホールへと足を踏み入れる中、エリシアは胸が締め付けられるような気持ちで、そう願った。




