2.エスコートはお父様に頼もうと思っていたのだけれど、
ガーニルとの魔導契約を終えたあと。
エリシアは誰にも止められることなく、無事に校舎をあとにすることができた。
彼はロザリーをエスコートしたいがために、エリシアの言質を取ろうと呼び出しただけだったらしく、特に引き留められることもなかった。
あまりにあっさりと終わったことに、安堵を覚える。
いつもの停車場まで歩いていくと、待っていた馬車の家紋がヘルミル侯爵家のものと違うことに気づく。
「ヴェリストン公爵家の家紋よね。……ということはまさかジェルド? わざわざ迎えに来てくれたの?」
エリシアの質問に答えるようにカチャリと馬車の扉が開かれると、中からは彼女の予想通り長躯の美丈夫が降りてくる。
海のように青い髪に、夕焼けのように輝く橙色の瞳。
顔を合わせるたびに、巷では彼が「死神公爵」などと呼ばれて恐れられているというのは嘘ではないかと思わされる。
降りてきたのは、はたしてエリシアの幼馴染で今でも親友のジェルド・ヴェリストン公爵その人だった。
彼の視線は、すぐにエリシアのバッグへと向けられる。
「その様子だと上手くいったようだな」
「ええ。でもまさかあの手紙からこうなることも予想していたなんて、さすがジェルドね」
「俺は必要と思った処置をしたまでだ。──続きは馬車の中で」
エリシアは周囲に誰もいないことを確認すると、彼のエスコートでタラップに足をかける。
中に入れば、いつも通りエリシアを出迎えてくれるベルガモットの香りに心が落ち着く。
ジェルドに言われるがまま進行方向に腰を下ろすと、彼はエリシアの正面に座った。
馬車が出発して早々、話を切り出したのはジェルドだ。
「で、どうするんだ? お前が婚約を解消したのを知っているのは当事者のバカ王子と尻軽女だけだろう?」
「バカお……貴方の言う通りだけれど、容赦がないわね」
「知っているだろう。俺が『死神公爵』と呼ばれていることぐらい。冷酷だの何だと言いたいならそれで結構」
ジェルドが「死神公爵」と呼ばれだしたのは今から一年ほど前、彼が学園を卒業してすぐの頃だった。
きっかけとなる事件が起こったのは彼が学園に入学する直前の冬のこと。
歴代でもおおくの高名な魔導士を輩出する家系だった、ヴェリストン公爵家の当主夫妻──ジェルドの両親が何者かによって殺されたのだ。
その後ジェルドが成人するまでの中継ぎとして、彼の伯父が公爵の地位を継ぐことになった。
けれど彼がしたことといえば、領民に重税と圧政を敷くことだけ。
「──執行人は汚れ仕事と嫌われているのは俺も知っている。だが、そうでもしなくてはヴェリストン公爵家を建て直すことはできない」
処刑人は「穢れる」だの何だの言われるけれど、その分給料は高い。
そしてそのような役職を務めるためには魔力の高い素養が必要で、執行人は必然的に高位貴族に集中するというのもあった。
側で見ていたエリシアは知っているが、ジェルドは魔力の扱いが王太子であるガーニルよりも数倍上だ。
とにかく。在学中からエリシアに将来の展望を打ち明けていた彼は有言実行。
汚れ仕事として忌み嫌う貴族も多い魔導処罰執行人として王宮に出仕した。
その後、出仕しだして季節も変わらない頃にジェルドは伯父の不正を告発したのだ。
男に下された判決は死刑。
そしてその刑を執行したのはジェルドと言われているが、真っ赤な嘘である。
(みんな五親等以内の者は原則として当該処罰の執行者となることができないと知らないのよ! それなのにどうして調べもせずにジェルドのことを貶すの⁉)
あるいは「自分が後継者になるために訴え出た」という人もいるけれど、彼らには本来の後継者はジェルドだったという視点が抜けている。
王太子妃教育で学んでいなければ、自分も彼らのように幼馴染のことを非難していたのだろうか。
そう思うと、少しはガーニル──というより、国王陛下に感謝した方がよいのかもしれない。
「浮かない顔だな。まだ悩みがあるなら言え」
「……な、何でもありませんわっ⁉」
訝しむジェルドに、エリシアは首をぶんぶんと横に振った。
けれど彼はやがて何かに気づいたようで、はっとした表情を浮かべると「エリシア……」と切り出した。
「その契約書のとおり、殿下と婚約を解消したのだろう? となると、明日の卒業パーティーでエスコートしてくれる相手はいない。そうだな?」
「え、ええ。だからそのあたりは、お父様に頼もうと思ったのだけれど」
「俺では力不足か?」
「え?」
ジェルドからの突然の申し出に、エリシアははっきりと分かるぐらいに固まった。
(それは私にとってはこの上なく嬉しいことなのだけれど。……いくら何でも婚約解消の相談に乗ってもらった上に、それでいざ解消していなくなったからエスコートしてほしいなんて、それは身勝手が過ぎるのではないかしら)
「決して力不足だとは思ってはいません……っ! ですが──」
「であればお前の幼馴染で、婚約者もいない俺が適任だろう。王太子殿下の元婚約者であるお前と身分が釣り合う適齢の男性で、都合よく婚約者も妻もいない者は他にいない」
ジェルドの真剣そのものな眼差しに、心なしか胸がトクンと高鳴る。
長い付き合いの幼馴染が、心の底からエリシアの欲しい言葉を告げているらしいというのは、どう考えてもあきらかだった。
エリシアはおずおずと、自分の気持ちを正直に打ち明けた。
──もちろん、本音の一部を隠しながら。
「……だって、婚約解消の手伝いもしてもらったし。わたくしはこれ以上ジェルドに迷惑をかけたくないの」
「俺はちっとも迷惑だなんて思っていない。利害が一致したから手を貸しただけだ。先ほど『必要と思った処置をした』だけだと言っただろう?」
「そ、そうね」
「……いや、むしろ俺の方が助けてもらったと言った方が正確か」
「なるほど?」
いまいちピンとこない。
彼の仕事は内容が内容だけに口外できないこともたくさんあるようなので、それの関係なのかもしれない。
「わかったわ。それならお言葉に甘えようかしら」
「家で待っていろ。必ず迎えに行く」
ジェルドはそう言うとエリシアの手をとり、口づけを落とした。
(え? まって、今──)
さっと流れるような動作だったせいで、手の甲に熱が残っていなかったら、エリシアはそれを現実の出来事だったと思いもしなかっただろう。
けれど一度それを事実だと認めてしまうと、身体がだんだん火照ってくる。
嬉しくて、嬉しくて。はらりと涙がこぼれ落ちていった。
「……やはり俺のエスコートでは嫌か?」
「っ! そんなことはございませんわ!」
「だが、お前は──」
「これは嬉し涙ですから! 殿下との婚約解消なんて、きっと世間的には醜聞でしかないのに。でもジェルドがいてくれるだけでわたくし──」
「そうか」
返事は短い、短いひとこと。
それでも、彼の中に安堵の表情が浮かんでいるのは、エリシアにも一目瞭然だった。
「──俺だってお前が一緒にいてくれただけで、どれだけ救われてきたことか」
「? 何か言いました?」
「いや? 何でも」
ジェルドが飄々とした様子で肩を竦める。
目の前にいるはずの彼の声がよく聞き取れなかったエリシアは、首をかしげるしかなかった。




