1.婚約解消、承りました。
「すまないエリシア。明日の卒業パーティーだが、私はロザリーをエスコートしなければならないんだ」
「まあっ。ガーニルさまがそのように謝罪する必要なんてないんですよ! だって『おうたいし』ってこの国で王様の次に偉いんでしょ?」
「ロザリーはなんて優しいんだ」
最後の登校日。
登校前、自身の婚約者であるガーニルから「放課後音楽室に来るように」と呼び出しの手紙を受け取ったエリシアは、入室早々目の前で繰り広げられていた光景に思わず目をしばたたいた。
(彼と予想していたとおりね。やっぱり茶番が始まったわ……)
目の前で、婚約者が他の女性と仲睦まじく触れ合っている。
二人はそんな光景を明らかにエリシアに見られているという状況で披露する。
これにはさすがのエリシアも、ひとり心の中でため息をついた。
早朝、久しぶりに手紙を受け取ったと思えばこれだ。
(「音楽室に来るように」と言われた時点でなんとなく予想はついていたけれど……。弟君はまだ幼いし、ゼティオルムの行く末がちょっと心配ね)
エリシア・ヘルミルは「年齢と身分が釣り合うから」という理由だけで、ゼティオルム王国の王太子であるガーニル・ゼティオルムの婚約者となった。
八歳のころなので、もう十年は昔のことだ。
政略結婚でも愛が芽生えることはある、らしい。けれども残念ながら、エリシアとガーニルは互いにそのような感情を抱くこともなかった。
ガーニルのじっさいの心中については知らないが、少なくともエリシアの側にあったのは「ゼティオルム王国の未来を支えること」だけ。
「こんなボンクラでも大事な息子なんだ。君もこの国の未来を思えばこそ、倅を支えてはくれぬか」。
そう国王陛下から頭を下げられては、さすがのエリシアも初恋を心の奥底に閉じ込めるしかなかったのだ。
「──聞いているのかエリシア。不敬だぞ」
「お二人の仲がよろしいということは、はっきりと分かりました。──わたくしとの婚約を解消して彼女を婚約者に据えたい。だからそれを了承させるためにわたくしをここに呼び出したのでしょう?」
「その通りだがなぜそれを……っ⁉」
やっぱり。幼馴染の予想は的をえていた。
でもエリシアにとっても、入室早々の二人の様子から「婚約者でもないのに呼び出し早々に出す態度ではないのでは?」と判断できる程度のものではあった。
「殿下はロザリー様にご執心。お友達の皆様から聞いておりましたもの。それにわたくしは殿下の婚約者ですし。人脈なんていくらでもあるわ」
「そんな言い方は『ふけいざい』になると思いますっ!」
「ロザリーは優しいだけでなく賢いんだな」
「えへへっ」
笑顔で首を少しかしげてウィンク。
ロザリーはどこからどう見ても完全に計算づくだというのに、ガーニルは気づく様子がない。
とはいえエリシアとしても譲れないラインというものがある。
「不敬罪、ですか。ロザリー様、先ほどのわたくしの発言のどこが不敬罪にあたるとお考えか、お答えいただいても?」
「見損なったぞエリシア! 聖女で純粋無垢なロザリーにそのような言い方をするとはあまりに意地が悪いのではないか⁉」
聖女。──希少な光属性の魔法を使える女性のことを、このゼティオルム王国ではそう呼んでいる。
「神に愛されし者」とも言われるだけありその存在は希少で、数十年に一度しか生まれない。
かくいうエリシアもその聖女のひとり──しかも、歴史上でもかなり魔力が強いらしい──ではあるのだが、ガーニルはちっとも話を聞いてくれなかった。
「ロザリー様は賢いのでしょう? でしたら答えることができて当然ですわよね」
「彼女が賢いからとそのような責任を押し付けるのは上位貴族の態度として褒められたものではないのではないか⁉」
「殿下でも構いませんわよ? ロザリー様のことを『賢い』と判ずる頭脳明晰な殿下であれば、当然模範解答をご用意できるのでしょう?」
「! お前の戯言に誰が付き合うか! ……今日はお前に話があって呼び出したんだ」
ついに「お前」とまで呼ばれてしまった。
けれど幼馴染からそう呼ばれ慣れているエリシアとしては、ガーニルが彼をまねたところで、何の面白みもない。
(わたくしにとっては殿下のお言葉こそ戯言にしか聞こえないわ。まあいいのだけれど、後で国王陛下にはお伝えしておくべきかしら?)
「とにかく。殿下はロザリー様をエスコートしたいのでしょう?」
「! ああそうだ。お前のように可愛げのない女が婚約者など、まっぴらごめんだ」
「でしたらこちらにサインをいただけるかしら? ペンもありましてよ」
エリシアはそう言うと、話について行けていない様子のガーニルとロザリーを気にかけることなく、懐から書状とペンとインキを取り出した。
ガーニルの視線が書状に釘付けになる。
「──まさかそれは『魔導契約紙』ではないか⁉」
「ええ」
「魔導契約紙」。この紙に書かれた契約は神の名の下に絶対であり、破ろうとすれば病や死など、契約者当人に不幸が襲い掛かるようになっているという、怖ろしい古代呪術の産物なのだそうだ。
(こんなものを知っていて、しかもきちんと体裁も整えられるなんて。さすがは「死神公爵」と恐れられているだけはあるわね。……やっぱり彼はわたくしにとって自慢の幼馴染だわ)
契約の中身は簡単にいえば──。
──エリシアとガーニルの婚約は解消される。
──二人は二度と互いで夫婦となる婚約・婚姻関係を結ぶことはできない。
──この書状は契約を結んだ時点の当人たちの意思に基づき、その後気変わりしたとしても、契約を破ろうとした際には不履行とみなされる。
ガーニルは一読して問題ないと判断したようで、ペンを手に取った。
そして王太子だというのに慣れない筆致で自身の名をサインしていく。
「それにしてもお前、この私との婚約を解消するためだけにこのような物を用意するなど、血迷ったか?」
「いいえ全く。わたくしに未練はありません。ただ──ひとつあるとするなら、わたくしという婚約者がありながら、他の女性と関係を持つというのは、民の範たるべき次期国王の振る舞いとしていかがなものかと」
「最後の悪あがきか。だがお前は今をもって婚約者ではなくなるのだ。今さら泣きわめいたところでもう遅いからな! お前が思っていたよりも馬鹿で助かったことにだけは感謝してやる」
苦言を呈すれば、返ってきたのは悪口と嫌味だった。
けれど彼との婚約を解消したかったエリシアにとっては、嫌味にもなっていない。
彼には期待していなかったので、「馬鹿」と言われたところでノーダメージだ。
「あら。レディに失礼なことをおっしゃいますのね。ロザリー様にはそのような事を決しておっしゃらないでくださいましね」
「──当たり前だ! 何なら今神に誓ってもいい。魔導契約は定められた者全員が名を書くまでは内容の変更も可能なはずだ」
「え? ……まさかっ」
まるで悪だくみでも思いついたように、ガーニルがしめしめと笑いだす。
たしかに、魔導契約は誰かしらがサインした後でも「神が判断し、公平性を棄損するものではない」と認められた内容であればその条項も有効となるとは言われている。
しかし、この契約書は彼が書いてくれたもので──。
(もしかして、嫌がらせのつもり?)
エリシアはペンを取ろうとしたものの、ガーニルの左手に阻まれる。
「離れろ! 書きにくいだろう!」
「殿下がお名前を書いた今、契約を書き換えてしまえば何が起こるか分かりませんし──きゃっ」
正面からぐっと押され、エリシアは思いっきり背中を打った。
とっさに防御魔法が間に合ったのでよかったけれど、一瞬でも遅れていたら……とぞっとする。
エリシアが倒れてしまった間に彼は契約内容を書き終えてしまったらしい。
ゆっくりと立ち上がれば、そこには満足げなガーニルの姿があった。
「これでいい。『ガーニル・ゼティオルムは神に誓って、ロザリー・ペレットを貶める発言はしない』」
追記した文言を読み上げる本人よりも、ロザリーの方が花が咲いたような──わざとらしい──笑顔を浮かべているのは、エリシアの気のせいではないだろう。
たしかに、この内容であれば神も受け入れるだろうし、契約全体が無効となることもないと思う。けれど。
(せっかくジェルドが書いてくれたのだから、宝物にしようかと思ったのに……)
まさかいちおう婚約者に妨害されるなんて、誰が思っただろうか。
苦虫を噛み潰したような気分で、契約書にサインする。
(でも契約内容の書き足しがなくても彼のサインは入ってしまうのだから、どのみち同じだったのかしら?)
二人の名が書き入れられると、魔導契約紙がふわりと柔らかな光を放つ。
光が天井を抜けて飛び去っていくと、紙は二枚に分かれてエリシアとガーニルそれぞれの手の中にはらりと落ちた。
「契約成立か。お前はいつも私に口うるさく詰め寄るしか能がないと思っていたが、偶には役立つようだ。先ほども言ったとおりだが、王妃になりたいと言ってももう遅いぞ」
「それはようございましたわ。ではどうぞ、ロザリー様と末永くお幸せに」
カーテシーをして、二人の前をあとにする。
それから少しの間、ガーニルが彼女の出ていった扉をぼうっと見つめていたことに気づいた者は、本人含め誰もいなかった。
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