その9 「下宿屋」
サブリーダー格の「S」とは前にも書いたように最初の出会いは遠藤賢司の
コンサートでした。
そして連れて行かれたのは下宿屋でした。
その後もコンサートのあとや連絡はすべてその「S」の部屋でやっていた。
「S」は最初はとつっきにくい感じがしたのですが、いろんな話を
するうちに、知れば知るほど興味が出て来るそんな男でした。
「S」は伊勢に来る前は大阪でフォークソングをやっていたのですが、
そのときに伊勢志摩出身でザ・ディランの西岡 恭蔵と親交があったそうで
、一度ノートを見せてもらったらびっしり歌詞が書き込まれていたそうで
とても刺激を受けたと言っていました。
私たちも伊勢に出てくれば必ず「S」の下宿屋に寄っていくようになり
その4畳半の部屋には真ん中にこたつがあり四角いテーブルの上には
雑然と物が置かれていて座るといつも「コーヒーは?」と聞き、
「角砂糖は好きなだけ入れていいよ」と言う。
そしてプレイヤーには高田渡のレコードがのっていて針をおろすのですが
何度も何度も繰り返して聞いていました。
リーダー格の「H」もアパートを借りるまでは京都から伊勢に来るとこの
部屋で寝泊りしていて自分のビートルズやジョンレノンのレコードを数枚
持ち込んでいた。
他のメンバーも入れ代わりやってくるので伊勢志摩フォークはこの部屋で
始まりこの部屋で終わる、そんな感じでした。
部屋で話していて突然「S」が岡山県の倉敷に行こうと言い出し私の車で
出かけていったり、夜中にギターを抱えて伊勢神宮の徴古館へ行き
歌ってたらパトロールが来て追い出されたり、
麻雀をやるのが私とSとリーダーのHの3人だけだったのでいつも
一人足りないのでよくメンバーを求めて志摩の私の友人の家まで出かけて
いったり、お腹がすくと近くにあるおばぁさんがやってる小料理屋に
出かけていき、アジの塩焼きと貝汁がとってもうまかったりして思い出
たっぷりの下宿屋だった。
伊勢志摩フォークが発展的解散というなんだかよくわからないことになって
サブリーダー格の「S」は京都にいってフォークソングを続けるといって
伊勢を離れていった。
一方リーダー格の「H」は伊勢に残ってコンサートの企画を続ける
ことになり、私はしばらくその手伝いをすることになりました。
京都にいった「S」も伊勢で行われるHのコンサートの時は帰ってきて
手伝っていました。
この関係は1975年に私がSの誘いを受けて京都にい行ってからも
しばらく続いたのです。
高田渡に影響を受けた「S」のギターを弾く姿が加川良の「下宿屋」を
聞くとしみじみと思い出されてならない。
「下宿屋」 1972年 URCレコード
歌手:加川良
作詞:加川良
作曲:加川良