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その8 「山平和彦」


伊勢志摩フォークとしてもプロを呼んでのコンサートが企画されました。

その中でも、私が特に印象に残ったのは1973年のコンサートです。


いつものようにみんなで集まり誰を呼びたいのか話し合った結果、

私の一押しの五輪真弓ともうひとりは加川良を呼ぼうということに

なったのですが、いつものとおり会館を先に押さえてからの

出演交渉なので五輪真弓はスケジュールが合わず断念する

という結果になってしまいました。


そこで再度話し合って山平和彦を呼ぶことに決定しました。

当時、山平和彦は東海ラジオのデスクジョッキーをやっていました。


ミッドナイト東海は1972年頃から看板のパーソナリティであった

アマチン・リコタン・レオの3人が次々に辞めていっていろんな人が

入れ替わって番組を勤めていました。


そのなかで山平和彦は1972年~1973年の終わりまで勤めていて、

ちょうど私たちがコンサートを企画していた時期でしたので宣伝も

してくれるのではという甘い考えがあったのも事実でした。


そして最終的には元六文銭の及川恒平とバーターで元ターガースの

加橋かつみの出演に決まりました。


私たちがメインで呼びたかったのは加川良だったのですが、やはり

東海ラジオのネームバリューと、又利用したような後ろめたさから

トリは山平和彦になりました。



コンサートは順調に進み山平和彦の出番となり主役登場に観客も盛り

上がりかけたのですが歌い出そうとしたその時、客席から「タクロー」

とやじが入ったのです。


以前に高田渡が来た時に同じように「タクロー」と声がかかるとすかさず

「ぼくのかみぃが~♪」とやって会場が大うけになったのですが、

山平和彦はモロに嫌な顔になり、やめて帰る素振りを見せたので会場は

静まり返ってしまいました。


舞台の袖でそれを見ていた私たちのところへマネージャーが

すっ飛んできて「あの客を追い出せ!」そう言ったのです。

しかしお金を払って見に来てくれた客を追い出すわけにも行かず

一応客席の方に行くふりをしましたが、山平和彦が歌いはじめたので

何もせず戻りました。


終わってからが大変で、私たちは一列に並ばされてマネージャーから

「君たちは考えが甘い」「こちらはプロとしてやってるんだ」と叱られ

山平和彦もラジオで「もう二度と行かない」とまで言われて

しまいました。


やっぱり宣伝のために東海ラジオを利用して山平和彦を呼んでしまった

自分たちの甘さを思い知らされ後味の悪いコンサートになって

しまいました。

それでも入場者は立ち見席も満員で利益がでて自分たちのコンサートに

使う機材も買えるほどの大成功でした。


なお山平和彦は放送禁止歌が本当に放送禁止歌になったり、歌うのを

止めてしまったりした。

その後復活したのですが2004年にひき逃げ事故にあい亡くなったそうです。


このコンサートでバックバンドをつとめたマイペースは山平和彦の

プロデュースで東京という歌を翌年の1974年にヒットさせました。

後にテレビドラマ「東京タワー ?オカンとボクと、時々、オトン?」の

主題歌としてBEGINがカバーして歌われています。


なにはともあれこの場を借りて冥福を祈ります。



「放送禁止歌」1972年2月 キングレコード


歌手:山平和彦

作詞:白井道夫

作曲:山平和彦


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