その7 「プロモート」
当時の伊勢でおこなわれていたフォークのコンサートは
労音や民音以外では、私たち伊勢志摩フォークとN楽器
というレコード店のプロモーターが企画していた。
私たちはみんなで話し合って自分たちが呼びたい
フォークシンガーを選んでいたが、N楽器店は
レコード店だけあって呼ぶのはレコードが売れている
人気のあるフォークシンガーが中心だった。
N楽器の店主から一度、自分たちが呼びたいから呼ぶのは
傲慢ではないのかと意見されたが、自分たちは新しい音楽の
発信者であるということで納得してもらい、コンサートの
ときはお互いに応援スタッフとしていつも協力関係にあった。
そして楽屋や打ち上げなどでフォークシンガーの素顔を
みることがよくあった。
泉谷しげるは会館に着くと出迎えた私たちを無視して
まっすぐ会場に向かっていった。
初めての会場なので真っ先に確かめたかったのだろう。
つのだ☆ひろとのジョイントコンサートはフォークギター
なのにパワフルでロックという感じで見応えがあった。
井上揚水は礼儀正しく、又打ち上げの席で「麻雀しましょう」と
言っていたのが特に印象的だった。
後に、阿佐田哲也と親交がありかなりの腕前であったことを知った。
残念ながら応援スタッフの私たちは参加することはできなかった。
りりィのレコードには天涯孤独で酒に溺れて声を潰してしまった
という紹介文がありステージもそんな雰囲気で良かったのですが、
打ち上げの席ではバックをつとめた同行のスタッフと輪になって
手拍子を打ちながら楽しそうに歌っていたのが印象的だった。
フォークデュオだったピンクピクルスが解散してソロシンガーに
なっていた茶木みやこは開演まえのソデ口に現れると
グループやスタッフが多いシンガーは身内で気合を入れるのだろうが
一人だったので私たちが協力して盛り上げた。
これは聞いた話ですが荒井由実のコンサートが終わり
ホテルにN楽器のメンバーがギャラを届けにいった時のこと、
ロビーに一人女性が座っていたのですがフロントでマネージャーを
呼び出してもらったところ、その女性が素顔の荒井由実で
まったくわからなかったそうで驚いたといっていました。
四季の歌を歌った片山知子のコンサートだったと思うのですが、
一緒にやってきた二人組の人がギャラはいらないので歌わせて
欲しいというので前座としてステージに立ってもらったのですが、
ボーカルの人の名前がひらがなだったのと、声にすごく特徴が
あったので印象に残っていたのですがそんな彼が、6年後に
テレビの夜のヒットスタジオに出ていました。
それは1980年にダンシングオールナイトでメガヒットをとばした
もんたよしのりで1970年にはデビューしていたのですが当時は
まったくの無名でした。