その4 「コンサート」
伊勢志摩フォークの会の運営は中心メンバーが会費を払って
行っていました。
私たちが最初に参加したコンサートの会場は伊勢市駅の
近くにあったタウンという喫茶店の2階でした。
そこで「H」というリーダーに初めて会い好印象を受けた。
この会場は後にウエストロードブルースバンドのギター
山岸潤史が高校生の時にバンドを組んで演奏していた場所で、
「H」とは親交があった。
のちに「H」とウエストロードブルースバンドの仏の永井の
お兄さんが中心となって里帰りコンサートを観光文化会館で
開催している。
伊勢志摩フォークは、来るものは拒まず去るものは追わずが
モットーなので結構いろんな人が参加し離れて行った。
社会人や高校生、皇學館大学や鳥羽商船の学生、
中には詩吟や現代詩をギターに合わせて朗読する人もいて、
コンサート会場も小規模のものから学校、映画館、河川敷での
野外コンサートなども企画していった。
プロのフォークシンガーを呼んでのコンサートも企画され、
定期コンサートの後でミーティングを行うのですが、会費を
払ってなくても誰でも自由に参加ができて意見も言えた。
まず誰を呼びたいのかリストアップするのですが、最優先は
会場となる伊勢市観光文化会館を抑えることで、
次に一番に呼びたいフォークシンガーから順に電話をして
スケジュールの合ったシンガーと契約するのですが、当時は
しっかりした事務所でないと契約書を交わすこともなかった
ので電話一本の場合が多かった。
当日のその時間になるまで、来るか来ないかやきもきしなければ
いけないこともあったし、九州の方の野外コンサートで、主催者が
売ったチケット代金を持って逃げてしまい、仕方なく
ノーギャラで演奏して帰ったフォークシンガーが出てしまい、
その後はしっかり契約書を交わすようになった。
出演依頼をすると事務所の方で無名のシンガーをバーターで
出して欲しいということがよくあったのですが、後に突然
メジャーデビューして驚くこともありました。
出演者が決まると次はポスターとチケットの印刷をするのですが、
チケットは元メンバーに印刷屋の人がいて、安価で引き受けて
くれたしポスターはメンバーによる手書きで、みんなで
ワイワイと楽しく仕上げました。
それが揃うと次はチケットの販売ですが、当時は一手に引き受けて
くれるところなんかなかったので、まず主だったメンバーが
レコード屋や楽器店、喫茶店など若者が集まりそうな店に
飛び込みでチケットを頼みポスターをはらせてもらいました。
人通りの多い場所にもポスターを貼らせてもらったのですが
街頭に張るポスターには許可の印がいるので土木事務所に
いってもらってきました。
あとは人が集まるので警察署や消防署の届けも必要でした。
一番チケットがさばけたのはメンバーによる人海戦術で、
それぞれの友人に10枚のチケットをさばいてもらうのですが
サービスチケットを一枚つけることで、友人は無料で入場
できるので一生懸命売ってくれて、このシステムはとても
有効的でした。
中には一人で200枚さばいた女子高生のメンバーがいた
のですが、学校で問題になり、私たちが呼び出されて説明
しなくてはいけなくなったこともありました。