その2 「防水屋」
年が明けた1972年、友人の「Ⅿ」から仕事の
話が来た。
その「Ⅿ」は北海道ツーリングの前の山陰の旅の
6人の内の一人で、北海道から帰ってきた
一ヶ月後には又、同じメンバーで今度は
四国一周への旅にでかけていた。
それは「Ⅿ」の父親がやっている建築防水の
仕事で、会社は岐阜にあるのですが、三重県の
志摩での現場が多いので「Ⅿ」の父親が
中心になってやっていた。
こちらに仕事がないときは岐阜やその近辺に
出張することもあった。
失業保険も切れていたしお金も少なくなって
いたのでとりあえずアルバイトのつもりで
働くことにした。
防水工事は屋根が中心だがビルなどの場合は
キッチン、風呂場、トイレなどの床も
アスファルトで防水する。
あとゴムの防水や、シングルという
アスファルトの板を屋根や壁に貼り付ける
仕事もあり、現場も鳥羽の11階建てのホテルの
屋上もあれば伊勢神宮の駐車場のトイレ
だったり、それに屋根の工事だと雨が一粒でも
降ったら中止になるのもおもしろかった。
出張も岐阜の山奥の寺だったり名古屋の一宮の
紡績工場の広い屋根だったり、旅館に泊まるので
旅行気分になりとっても気に入ってしまった。
またほかにも雨漏りなどのちょっとした仕事も
あってその中にヤマハの合歓の郷があり、
そこは専属なのでちょとした工事が多く、時々
音楽やダンスの練習を屋根から覗けたりしたので
楽しみになり、最初は次の仕事のつなぎという
感じで始めたのですが2年も続けることに
なってしまった。
2月には浅間山荘事件が起き、その日は
たまたま休みだったので一日中テレビを見ていた。
定期番組を中断しての生放送の報道特集なので
一部始終を見ることができた。
結局、全員逮捕されて事件は解決するかのように
見えたが、凄惨なリンチ事件が行われていたことが
発覚して、左翼学生運動は完全に国民から
見放されてしまった。
隣の「T」兄ちゃんとは時々夜中に、誰もいない
山や海でギターをかき鳴らして大声で歌ったり、
私の部屋でレコードを聴いたり、深夜放送から
カセットデッキにいれておいた歌を
覚えたりしていた。
主催は労音だったか民音だったか忘れたが
高石ともやのフォークのコンサートが伊勢の
観光文化会館であったので、二人で
出かけていった。