表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
12/14

その12 「隠岐の島1」


リーダー格の「H」が京都から友達を連れてきて、

私に紹介したのですが、その男「Y」は、元々

「H」の同じ高校の同級生で、私とは一級上

だったのてすが、すぐ仲良くなり伊勢に来た時には

他のメンバーたちと一緒にワイワイやっていました。


1974年の夏にそんな「Y」から隠岐島の旅に一緒に

行かないかという誘いを受けました。


車だけ出してくれたら後の費用は一切いらないと

いうので何かうさんくさい感じがしたのですが

離島ということで、1971年の北海道

ツーリングの時の礼文島を思い出して、

行ってみたいという気持ちが強くなり

その話に乗ってしまいました。


スポンサーがいるとのことでしたが、

その男は関西ではトップクラスの大企業の重役

(後に社長)の息子で「Y」の

通っていた大学の友人の「R」だったのですが、

以前に一度だけ遭ったことがある男でした。


その出会いは衝撃的なもので「Y」に

呼ばれて京都の太秦にある

下宿を訪ねていったときの事でした。

ドアをノックしても出てこないので

勝手に部屋に入ると、

なんと「Y」と「R」がパンツ一丁で

クソ暑い締め切った部屋の

布団の上で抱き合って寝ていたのです。


当時この二人が通っていた大学には

3大奇人と呼ばれている人物が

いたそうですが、二人がその3大奇人に

含まれていて、その気なんか全くないくせに

ホモであるということを宣言し誇示していました。

それがまた見た目がホモのカップルに見えるので

他人の反応を見て楽しんでいたようです。


「R」には「Y」が財産狙いと陰口を叩く

幼なじみの彼女がいたのですが、

京都の河原町の繁華街でいきなり彼女の名前を

連呼すると言う奇人ぶりを発揮していました。


又、私を含めた4人でフォーク喫茶に出かけて

行ったときに、よせばいいのに「Y」と「R」が

ホモ話を始めると、いきなりテレビドラマのように

彼女が席を蹴って出て行ってしまいました。


「R」が慌てて追いかけようとしたら「Y」が

すかさず後ろから

「支払いを済ませていけ」と言ったのです。


隠岐島行きも「R」をスポンサーにして私の運転する

車で行こうという「Y」の魂胆が見え見えの

計画であり、まったくお金を出そうとしない

「Y」を「R」がなじるとなんとかかんとか

言ってとうとう旅の最後までお金をだすことは

ありませんでした。


「R」の家に、寄ってから出発する予定

だったので京都の桂川にある「R」の豪邸へ、

中にはいるつもりはなかったのですが

「R」の母君が冷たいものを用意して

いるのでぜひというので

中に入っていった。


お坊ちゃんのご学友ということに

なっていたらしいが当時の

私は完全にヒッピー風であり、

オンボロの軽自動車に乗って

やってきた私を見てどう思った

のだろうか、今考えると冷や汗

ものである。


それでも母君、父君も動じることなく

迎えてくれて、若いお手伝いさんが冷たい

飲み物を、部屋まで持ってきてくれた。


そして「R」一家の見送りを受け

隠岐の島に向って奇妙な

3人組の珍道中が始まったのであった。


その旅には私はギターを持ち込み

「R」がボーカルで「Y」がタンバリンと

ダンスという即席のバンドを

結成して、名前までつけてしまった。


「Y」か「R」かどっちが言い出したのかは忘れて

しまったがそれは「フラワーフェラチオバンド」と

いうもので、いかにもというバンド名だった。


鳥取砂丘についた頃は真っ暗になっていたので

其の辺に私が持ってきたテントを張ったが、なにせ

北海道でのソロツーリングで使っていたしろ物

だったので3人だとちょっときつい。


そこで昼近くまで寝ていたのだが、起きてみると

そこは観光客の通り道であったらしくすでに人が

通っていた。


慌ててテントをたたみ鳥取砂丘を散歩してから出発し

境港に着いてフェリーに乗って隠岐の島に向かう。


その日の宿泊先の隠岐島ユースホステルにはすでに

予約が入れてあったらしく、西郷港に着くと

まっすぐに車でユースホステルに向かった。



ユースホステルに着くと、当時はやっていた永井豪の

漫画「ハレンチ学園」の登場人物によく似た

「ヒゲゴジラ」と名乗る濃いキャラクターの

ヘルパーがいて部屋に案内された。


もう一人は名前を覚えていなかったのですが、

当時の隠岐島ユースホステルを舞台にした

みうらじゅん氏の小説「色即ゼネレーション」を

読んで「アキちゃん」と

呼ばれていたことを知りました。


部屋は4人部屋で同じフェリーで東京から

来たという人と相部屋なった。


バスに乗って来たのだろう、少し遅れて来て、

部屋に案内されてきた。


話を聞くと彼も音楽が好きだというので、すぐ

うちとけて盛り上がっていると「R」が突然、

「金玉の金玉の七不思議~」と歌いだしたので、

私も即興で、ギターを弾きYがタンバリンで

リズムを取って踊りだすとそれを聞きつけた

「ヒゲゴジラ」氏がやってきて窓から顔を出した。


彼はとても話し好きで彼が言うにはいつもは

与論島に住んでいるのだが夏のあいだだけ

「アキちゃん」に誘われて隠岐島にきて

手伝っているのだと言っていた。


よせばいいのに「Y」と「R」がホモの話を

始めてしまった。


このネタを「ヒゲゴジラ」氏がほうっておく

ハズがなくさっそく夜のミーティングで

「この中に3人組のホモがいます」と

やられてしまった。


「エーッ」という声があがり、みんな周りを

見渡し始めたのだが、見た目がそのものの二人が

いるので、好奇の視線がこちらのほうに集中し

すぐに知れ渡ってしまい、当然私もホモの一人と

いうことになってしまった。


この夜のミーティングで「ヒゲゴジラ」が

「シャロムの歌」をギターで弾き、みんなで

合唱したのですが、長い間この歌の曲名を

知らずにいて、みうらじゅん氏の小説

「色即ゼネレーション」が映画化された時に、

ネットで質問して、やっと知ることができました。


この曲はもともとはイスラエルの民謡で

歌声喫茶や若者の間で広く歌われていたものを

片山知子が四季の歌のB面としてレコード化

したもので、伊勢の観光文化会館でおこなわれた

片山知子のコンサートに関わっていたのに持ち歌

だったとは知りませんでした。


なお「シャロム」は日本語のありがとう、

おはようと一緒の挨拶の言葉であり、そして

さようならもシャロムだそうだ。

この歌に関していえば

「さようなら友よ、また会う日まで」

という意味になるそうです。


「ヒゲゴジラ」氏は日本語の歌詞の

「どこかで」を「この島で」

に変えて歌っていた。



「シャロムの歌」(別れの歌)1972年

歌手:片山知子

作詩:井田誠一

作曲:イスラエル民謡

https://www.youtube.com/watch?v=NdxiuBURZgk&list=RDNdxiuBURZgk&start_radio=1

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ