その1 「フォークソング」
北海道のツーリングが終わり、東京での体験であれほど
好きだったオートバイにまったく興味がなくなり、
お金もかなり残ったので、あっさりと
ホンダのN360という中古の軽自動車に買い換えてしまった。
それでもまだお金が残り、東京で興味を持ったフォークソングを
やるためにヤマハのフォークギターとステレオセットを買って
マイクをつなぎ練習を始めた。
そして仕事を探しに職安に出かけていったが、田舎では
これといった仕事もなくて失業保険の手続きをして、
東京で聞いた高田渡や吉田拓郎のレコードとそのほかラジオの
深夜放送を聞いて、気に入った曲を買い揃えていった。
ロックのレコードも買ったがほとんどがフォークソングで、
ロックを聴くときはトヨタの寮で「K」がやっていたように
大音量で聞いていました。
ヘッドホンはもっていましたが、今考えるとかなり近所迷惑な話
ですが、するとそれを聞きつけて隣に住む「T」兄ちゃんが
家にやってきた。
3っ年上だとあまり一緒に遊んだ記憶もなくて、なんだろうと
思っていたら「T」兄ちゃんもフォークソングが
好きだという事でした。
レコードを貸して欲しいというので、二階にある屋根裏部屋に
連れて行き、気に入ったレコードを貸してあげました。
すると今度は、お返しということで岡林信康のレコードを数枚
もってきた。
私は当時、岡林信康がォークソングの神様と呼ばれていた
ことは知っていたし、フジパンの出荷場で嘱託のおじさんが、
ラジオを持ち込み、深夜放送を聞いていたので、「手紙」や
「チューリップのアップリケ」などは、よく聞いたことがあったが、
それほど興味はなかった。
余談になるが当時、森本レオが東海ラジオのミッドナイト東海
という深夜番組でDJをやっていてかなり人気だったが、番組で
後に奥さんになる女優に、ラブコールを送ったことでも有名だった。
朗読レコードの「親父にさよなら」は今でも心に残っています。
ちなみにその当時に、深夜放送で毎日のように流れていたのが、
由紀さおりの夜明けのスキャットと千賀かほるの真夜中のギター
でした。
そんなイメージだったので「T」兄ちゃんが持ってきた岡林信康の
レコードを聞いてみたらロック風だったので驚きました。
なんでもボブディランに影響を受けていて、ボブディランを
真似してハッピーエンドというバンドをバックにして
歌っているということだった。
そのレコード「見る前に飛べ」をプロデュースしたのが
すでに解散していたジャックスというバンドの元リーダーの
早川義夫という人で、その後、私は岡林信康のレコードを
買うことはなかったが早川義夫の
「かっここいいことなんてカッコ悪いんだろう」
というレコードを買い、早川義夫にのめりこんでいく
ことになる。
「親父にさよなら」 1970年 日本ビクター
朗読:森本レオ
作詞:森本レオ
作曲:佐々木勉