16 ルグラン領からの旅立ち
「領主命令だ! マリーとやら、この街でポーション作成の任に就くように!」
「お断りします」
薬草学校の卒業式の翌日、寮から出ていくために荷物を引きずっていた私に対して、初対面となる領主を名乗る男性がいきなり命令してきた。
たしかにモーリスさんに似ていて、領主の血縁といわれれば納得するけれど、それと領民でもない私が命令を聞くかどうかは別の話だ。
しかし、こうなるかもしれない可能性はモーリスさんから事前に警告されていて、警戒もしていたけど本当に領主がこんな強引な手に出るなんて。
「平民ごときが貴族である私の命令に従えないというのかっ!」
「私がルグラン領の領民ならともかく、薬草学校に通っていただけの異邦人です。犯罪を犯して領からの追放を言い渡されるのならともかく、貴方の元で働かなければならない理由はありません」
領主は領の治安を守るために犯罪者、あるいは不穏分子を領から追放することはできる。
だけど、だからといって領に滞在している人間が、領主の命令に絶対服従しなければならない道理はない。
だってそんなことになったら、領にいる人間は領民だろうと旅人だろうと、奴隷のように扱われることになって、不合理すぎるからね。
「貴様っ! 平民ごときが俺に口答えするのかっ!」
「わからない人ですね。貴族だからといって、平民に命令できるわけではないと言っているんですよ」
もちろん、貴族の不興を買えば領からの追放……そこまでいかなくても、商売がやりにくくなったり、村八分にされたりするかもしれない。
だけど、それは領に住み続けることが前提の話、モーリスさんから領主がこういうことを仕出かしそうと聞いた時から、私は薬草学校の卒業を機にルグラン領からの脱出を考えていた。
もちろん薬草学校に特待生として入学させてくれたモーリスさんへの恩はあるけれど、それ以上にペルヴィス家にいたころのように搾取されるだけの生活は我慢ならないの。
「くっ! だが! 貴様は薬草学校に特待生として入学したはずだ! その分は領に貢献して返してもらわねば!」
「ああ、その話ですか。モーリスさんは自分のポケットマネーで出しているから問題ないと言ってくださいましたが、入学から卒業までの費用はすべて返還済みです」
私がルグラン領から出ていくとなったら、問題になってくるのが薬草学校の授業料と寮費だろうとは思っていた。
もちろんモーリスさんもそれはわかっていて、問題にならないようにポケットマネーから補填するとは言っていたけれど、思っていた以上にポーションで稼いだ貯金があったから、そこから払ってある。
モーリスさんとは大陸横断鉄道で一緒になった時から気が合うと思っていたけど、ルグラン領から出ていくのなら関係の清算はしなければならない。
だから、払えるのならお金に関してもきちんと清算して、自分の気持ちに区切りをつけないといけないと思っていた。
「ふ、ふざけるな! 2年分の学費と寮費だぞ!? 学生がそんなに稼げるわけが」
「私は一年時から中級ポーションを作成して冒険者ギルドに販売していました。もちろん大きな出費をしなかったのもありますが、学費と寮費を賄うくらいのことはできる金額です」
中級ポーションを作成できれば薬師としては一人前といわれるくらい、中級ポーションは初級ポーションに比べて販売金額が高い。
それに加えて、私が中級ポーションを作成する際に使用するのは初級ポーション用の素材なので、二年もあれば学費と寮費を賄うくらいのこと楽勝なのよね。
「ぐっ! だったら出ていけ! ルグラン領の領主として命じる!」
「ええ、もちろんそうさせていただきますわ。領民でもない異邦人に勝手に命令をする領主がいる領など、怖くて定住はできませんもの」
「待て。わが領を出て早々に死なれては寝覚めが悪い。最後の慈悲として護衛をつけてやろう」
は? さっきまで自分のために働けと命令していた人が慈悲? 笑わせるんじゃないわよ。
「お断りします」
あからさまに罠だし、こんな提案に乗るわけがない。
「おいおい、あんたに拒否権なんてないんだよ」
「そうそう。世間知らずのお嬢ちゃんはこれだから困る。ポーションが作れても世渡りは知らねえんだな。領主様が護衛をつけると言ったらあんたは、はいと答えればいいんだよ」
領主の合図に呼応して現れたのは冒険者ギルドでいつも安酒を飲んで、私に絡んできていた冒険者二人組……バカでしょ、こんな人たちが護衛なんて何をされるかわからないじゃない!
「待て!」
「はあはあっ、間に合いました」
冒険者二人組に強引に腕をとられそうになった瞬間、私の前に黒髪短髪の冒険者らしき男性が割って入ってきた。
それと一緒に、冒険者ギルドの受付のお姉さんが息を切らせながら、走ってやってきた。
「なんだてめえはっ! 邪魔すんじゃねえ!」
「そうだそうだ! こっちには領主様がついているんだぞ!」
「邪魔はそちらです。受注もされていないのに、勝手に冒険者を護衛につけるなど規約違反です。マルク・ル・ルグランさん」
割って入った冒険者の男性に食って掛かったのは、二人組の冒険者だが、それを黙らせたのは受付のお姉さんだ。
どうやら領主は、冒険者ギルドを通さずに二人組の冒険者を雇ったみたいね。
「ふんっ。別に依頼などしてもしなくても変わらんだろう。これは領主からの慈悲だぞ」
「困りますね。彼らは昨日付でEランクへと降級しています。護衛任務はDランク以上でないと受注できない規約になっています」
「はっ! 俺が彼らを雇ったのはそれ以前だ。遡及して問題にされても困るな」
「いいえ。それ以前の問題です。知っていますか? 同時に同じ依頼が受注された場合には高ランク冒険者の方が優先されるのを」
そういえば、暇なときに受付のお姉さんから聞いたな。冒険者ギルドでは、依頼の達成率を上げるために同じ内容の依頼を受ける人が複数人いる場合は、高ランクの冒険者に優先権が与えられるって。
本来なら冒険者のランクによって依頼金も変わるから同じ依頼を違うランクの冒険者が受けることはないけど、今回は事情が違うのだろうか?
「はっ! どこの誰か知らんが、割って入ってきて冒険者ランクが高いといわれてもな」
「彼はA級冒険者のロイクです。護衛というなら彼以上の適任はルグラン領には存在しませんよ」
A級!? 冒険者はS級を頂点にA級からG級まであるけれど、S級は国が滅ぶレベルの大規模災害を解決しないとなれないから、A級は実質冒険者の頂点だ。
私とそんなに年も変わらなそうな彼が、そのA級?
「はあっ!? 嘘をつくな! ルグラン領にA級冒険者がいるなど知らんぞ! それに、こんな小娘がA級冒険者など雇えるわけがなかろう!」
「黙れ、マルク!」
「ち、父上」
興奮しきった領主に一喝をしたのは、領主の父でもあるモーリスさんだった。
「ロイク殿はラット帝国を中心に活躍するA級冒険者だ。今回は我が国の王都で用事があったのだが、帰京の際に依頼を引き受けて貰った形だ」
「で、ですが、父上! そうだとしても、こんな小娘がいくらポーションを売ってもA級冒険者は雇えません!」
まあ、それはそう。A級冒険者は冒険者の頂点だけあって、依頼料も高額……だけどさ、そもそも領主が連れてきた冒険者だって私は雇ってないのよ。
鉄道があるから、護衛なんて雇わずに一人で旅するつもりだったからね。
「当たり前だ。ロイク殿は私が雇ったのだからな。バカな息子が迷惑をかけた慰謝料だ」
「はあ!?」
「あと、今日付けでお前の領主権限を取り上げた。先ほどから領主命令などと喚いていたようだが、今のお前はただの貴族の嫡男、領主命令など二度と口にするな」
「ま、待ってください。勝手にそんなことを!」
「勝手ではないわ。陛下も了承済みのこと。貴様が領主となってから、どれほどの赤字を垂れ流しているのか説明したら、早々に私が領主に戻るようにと書類が送られてきたわ」
「あ……赤字って、あれは……そう! あれは先行投資ですよ! 父上のように古い人間にはわからないでしょうが、これから莫大な資産に」
「もうよい! マリー嬢、ロイク殿、茶番を見せた。これから先はルグラン領の問題だ。君たちは早々に出発すると良い」
「ふむ、そうさせてもらおう。……おい! そこの二人組、道中で襲撃しようなんて考えるなよ。二人……いや、仲間を集めてきたところで全員を叩きのめすだけの実力はあるからな」
「「ひっ」」
え? なんか、あれよあれよという間に話が進んでいて、私は理解できてないんだけど、この人と一緒に旅しなきゃならない感じ?
「ええと、モーリスさん」
「マリー嬢。君には迷惑な話かもしれないが、ロイク殿としばらく旅をしてくれないか? このバカ息子は動けないようにしておくが、どのような形で君に迷惑がかかるかわからないのだ」
「え、ええ」
「というわけだ、嬢ちゃん。しばらくは俺と一緒にいてもらうぜ?」
よくわからないけど、私はA級冒険者のロイク? さんと一緒に旅をすることになったみたいだ。
ミシェルや商業ギルドでお世話になった人、それに市場で知り合った人たちには、既にお別れを済ませているから、ルグラン領には思い残しもないけど、これから私どうなっちゃうんだろう?




