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いつか話そうと思っていたこと


 隠密社の保管庫。


 倉庫と呼ぶには情報密度が高く、資料室と呼ぶには黴臭さが薄い場所。

 誰も寄りつかない“記録されない棚”の奥に、それはあった。


 絡繰核(カラクリコア)・零式

 封印管理扱い。型番としては最古。記録庁すら正規ナンバーを持たず、“存在しない装置”と分類されていた。


 にもかかわらず、それがイチロウのデバイスに接続されたのは、“彼にしか開けられない”深層ログがあったからだ。


「先輩、マジでそれ、やるんですか?」


 背後から声をかけたのは、月城ミレイだった。

 嗅ぎ慣れたソイラテの香りが、やけに遠く感じる。


「持ち出すところ社長に見つかったら、秒で処分命令ですよ?」


「…見つかんねえように起動すりゃいいだけだろ」


「ほんっと肝が据わっているなあ、非正規忍者は…」


 そのやり取りすら、どこか霞がかっていた。

 イチロウの目の前にあるのは、ただひとつ“誰にも渡せない記録”だった。


 深呼吸をひとつ。

 絡繰核の奥に、重ねられた記録を解凍する。


 そして、静かに起動音が鳴った。



 初代絡繰核(カラクリコア)・零式。

 絡繰核Rの同期とともに、静かに現れた女性型ホログラム。


 白い装束、柔らかな表情、そして確かに“面影”を残すその姿。カグヤ。


 それは、まるで誰かの「残された想い」が人格になったような、「こんにちは。影道イチロウさん。ようやく……起動できました」



 イチロウはホログラムを睨みながら言った。


「お前…ライカ…なのか?」


「私は、あなたの絡繰核に残されていた断片的なログと感情記録を基に構成された、“ライカの擬似人格AI”です。正確には…“あなたが忘れなかったライカ”とでも言うべき存在」



 ホログラムが手をかざすと、

 空間にひとつのログ映像が投影された。

 それは、水無瀬ライカの最終記録。



【記録再生:作戦終了3分前】


「このログが残ってるってことは、やっぱり私、ここで終わりなんだろうな。イチロウ。アンタは、“こんなのクソだ”って顔すると思う。でもね、それでも、私は残したいんだ」


「アンタにだけは、残してほしい。誰かが、“そういう奴がいた”って思ってくれるだけで、あたしの全部は、きっと無駄じゃなかったって思えるからさ」



 イチロウは、黙っていた。

 目を閉じ、拳を握ったまま、何も言わなかった。



「このログは、“あんたの中”に保存されるようにした。それってつまり、あんたが、生きてる限り、私も生きてるってことじゃん?」



 映像が終わる。


 ただ、ホログラムの中のカグヤが、こちらを静かに見つめていた。



「どうして……」

 イチロウの声は、低く絞り出すようだった。


「どうして、こんなもん……俺に渡したんだよ」


「あなたなら、守ってくれると、彼女は信じていた」


「そんなの…勝手だろ…俺はただ、忘れたかっただけなのに…」



 静かに、カグヤが言った。


「それでも、あなたは忘れなかった。誰よりも、長く、強く、正確に。あなたは、“記録する者”です、影道イチロウ」



 その言葉に、イチロウは答えなかった。


 ただ一歩、零式のそばに近づき、

 そっと手をかざしながら、呟いた。


「…だったら、せめて。全部、最後まで見届けてやるよ。その“記録”が、何のために残ったのか、知るまでは」



【アクセス権限:第二階層への遷移を承認】



 イチロウの絡繰核が、静かに、しかし確かに進化を始めた。それは過去と未来を繋ぐ、“影の記録装置”としての覚醒だった。


 その夜。

 イチロウは一睡もできなかった。


 カグヤ─いや、ライカの声を持ったホログラムの言葉が、何度も頭をかすめた。


“私は、あなたが忘れなかったライカ”

“あなたが、生きてる限り、私も生きてる”


「…アイツ、言いやがったな……死んでるくせに」


 梅ソーダの缶を開ける。

 炭酸の泡が、静かに爆ぜた。

 夜の空気に、それがまるで“答え”のように響く。


 そして絡繰核の内部。第二階層への遷移が、いまだにアクセスログに浮かんでいる。


 未開示の記録。ライカの記憶。

 イチロウにしか開けられない、ただひとつの鍵。


「全部見る。逃げねぇよ」


 誰にも言わずに呟いて、彼は再び零式核に手を伸ばし、リビルドを同期させた。


 今度は、自分からアクセスするために。


【KAG-88-YA 残留記録フラグメント:検出】

【映像記録“いつか話そうと思ってたこと”】

【機密度:最大】

【閲覧権限:影道イチロウ(個人限定)】


 再生しますか?


 イチロウは、ため息をひとつだけついて「再生」と口にした。


 影道イチロウは、かつて“忘れたい”と思った記録を、“自分が持っていたこと”ごと、受け入れようとしていた。


 それが、自分の中にライカがいた証だと知った今なら。


タイトル:「いつか話そうと思ってたこと」

視聴対象:影道イチロウ


 映像が始まる。


 最初に映ったのは、どこかの屋上だった。

 メガトキオのネオンがかすかに揺れ、空には人工星が瞬いている。だが、その光の中で、誰かの声がゆっくりと話し始めた。


「ねえ、イチロウ。これはさ、もし私が先に消えたとき用の“もしも”だから、重く受け取んなくていいよ」


 画面にはライカがいた。無防備な顔。任務中の緊張も、訓練時の鋭さもない。ただ、風に吹かれながら、缶コーヒーを片手にしていた。


「私ね、ずっと記録ってのは、“誰かに見つけてほしい気持ちのかけら”だと思ってたんだよ」


「だから、どうしても怖かった。記録庁で働いてたとき、自分がやってることが、誰かの“本当に大事な気持ち”を数字にして、勝手にラベル貼って、無かったことにしてる気がしてさ」


「そういう時、この会社に出向して、アンタがいた」



 映像のライカが、ふと目を伏せる。


「あんた、絶対にそっちから喋らないし、“俺はただ現場の後処理してるだけです”って顔してんのに、いつもちゃんと見てた。小さい感情とか、目線とか、言葉の裏とかー記録にならないもんばっか見てた。で、黙って拾ってくれてた」


「あれ、たぶん私、あんたのそういうとこに……うん、助けられてたんだと思う。」



 イチロウは画面の前で、微動だにせず、息も抑えるように聞いていた。


 この先を見れば、たぶんもう、後戻りはできない。



「私ね、思ってたんだ。“記録に残る”って、死ぬより怖いかもしれないって。だって、間違ったまま残るかもしれないし、残したくないとこまで見られるかもしれないじゃん?」


「でも、それでも。“イチロウの中に残るなら、残ってもいい”って思ったの。…勝手だけどね」


 彼女は、笑った。


 そして、ほんの少しだけ、声が震えていた。


「ありがとう。あのとき“消さないで”って言わなかったけど、あんたが何も言わずに、私のログを残してくれたこと、ずっとわかってたよ」


「だから、今度はあんたが泣きたいとき、私がそっちの中で、勝手に慰めるからさ」



 映像は、フェードアウトする。


 最後に残ったのは─街の夜風と、誰かの優しい声だった。


「ちゃんと生きてね、イチロウ、じゃないと私、ログの中でしつこくなるよ。あんたが記録できなくなるまで、見守ってやるから」



【記録フラグメント終了】

【再生回数:1】

【閲覧者:影道イチロウ(単独)】

【タグ:感情同期強・強制保存】



【その夜/イチロウの自室】


 演歌も鳴らなかった。絡繰核は、静かに光っていた。


 イチロウはその前で、ずっと座っていた。グラスには、氷の残った梅ソーダ。けれど、炭酸はもう抜けている。


そして彼は、ようやく小さく、呟いた。

「…なんだよ。結局、最後まで勝手な女だった……」


 笑っていなかった。でも、泣きもしなかった。


 ただ─ まぶたの奥に、言葉にならなかった温度が、ほんのわずかに滲んでいた。



【備忘ログ(手動)/影道イチロウ】

タイトル:「記録されてなくてもちゃんと届く」

内容:俺が忘れない限り、それは消えねぇ。…たぶん、それでいい。

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