祈りの残響 39
青白い影がゼロの顔を静かに縁取っていた。
扉が閉まると、部屋は一段と静かになる。
アルカはゼロのそばに腰を下ろす。
胸部装甲の奥で、起動直後のコアが微かに脈動していた。
その振動が、空気を波のように震わせる。
「…ゼロ」
アルカはそっと指先でゼロの手を包んだ。
ゼロの光学眼が淡く明滅し、宙へ焦点を探すように揺れる。
「接続状況:安定。状態:許可領域・一次会話プロトコル、起動済み」
無機質な定型文。それでも、アルカの胸は少し温かくなった。
「…わたし。アルカ」
「アルカ。分類:Arcaシリーズ。姉妹機構体。相互適合率:高」
「そう。…わたしも、そう思ってるよ」
ゼロは即答しない。沈黙が少しだけ長い。
内部で何かを照合しているのだと分かった。
「質問:接触理由の確認。要求:目的を提示」
『なぜ私と話すのか』
アルカは胸元に手を当てて息を吸った。
「…あなたを、ひとりにしたくなかったの」
「分析:不適合文。警告:感情語の解析不能」
拒絶ではない。
ただ、ゼロは「知らない」だけだ。
アルカは言葉を探しながら続けた。
「わたしは…昔のことをほとんど覚えていないの。でも、あなたを見た時に胸の奥で何かが動いた。理由は分からない。でも、その感覚を大事にしたい」
ゼロの光が一瞬、揺れたように見えた。
「情報確認:アルカ、感情刺激・高。推奨:距離調整。推定:不安状態」
「違うよ。不安じゃないの。…嬉しいんだよ」
ゼロの指が小さく動く。
意図はない。ただの反射。
それでもアルカは、何かが返ってきたように感じた。
「ゼロ。あなたがどれだけ“兵器”として扱われてきても……わたしは、あなたを“姉”だと思う」
「警告:認証外表現。役割定義:兵装個体。例外認めず」
まるで自分を縛る縄を自分で締めているような声。
アルカはゼロの頬に触れた。
「…それでもいい。いつか、あなたが“なりたい形”を自分で選べるようになったら……その隣にいたいの」
ゼロは反応しない。
けれど沈黙の奥に、微細な電子音が生まれた。
「内部反応:収束不能データ。分類不能の感情値を検出。処理:保留。暫定ラベル……『つながり』」
アルカは息を呑んだ。
「…『つながり』?」
「定義は不明。“損なわれた記録の断片”に類似の情報あり」
「覚えている…の?」
「否定。記録は欠損。同類個体との接触により“不明値のつながり”を検出」
アルカの胸が震えた。
「それでいい。全部じゃなくていい。少しずつでいいの。また話そう。何度でも」
ゼロの眼がゆっくりとアルカを向く。
その光は無機質で、冷たい。
だが、確かに“揺れ”があった。
「応答:可能。要請:次回の接続を希望」
アルカは静かに微笑んだ。
「うん。わたしにとっても…希望だよ」
灯りが静かに揺れた。
ふたりの間に流れるそれは、まだぎこちなく、まだ不完全でそれでも確かに『対話』だった。
芹沢は配線をまとめ、椅子に深く座り込んでいた。
ゴエモンはソファで高鼾をかき、イチロウは壁に寄りかかって梅ソーダを飲んでいた。
「なぁ、芹沢」
「なんすか」
「アルカとゼロ、アンドロイド同士だろ。だったら。話すより早い方法があるんじゃねえか?」
ハルキは器用に片眉を上げる。
「…ああ、つまり“直接接続しろ”ってやつすね」
「その方が早いだろ。一瞬で同期できる。わざわざ言葉なんて経由しなくても」
「ダメっすよ、それが一番危ない」
ハルキの口調が少しだけ低くなる。
「危ない?」
「はい。直結は『脳みそを混ぜる』ようなもんです。二体のプロトコルが完全に一致してるなら問題ない。でも、アルカとゼロは『別物』なんすよ」
イチロウは黙ったまま、梅ソーダの缶を傾ける。
「ゼロはシリーズの初期型のモデル。仕様が古い。一方でアルカは後の世代のアンドロイド」
芹沢は指を一本立てる。
「ここに穴がある」
「どんな穴だ」
「片方が上書きされるかもしれない」
イチロウの表情がわずかに陰る。
「上書き…アルカが、か?」
「状況によっては。ゼロの戦闘プロトコルが強制的に流れ込む可能性がある。逆にゼロ側がアルカの『人間的判断モジュール』で汚染されるケースもある」
芹沢は机を指で叩いた。
「つまり、直結はアルカがアルカでなくなるかもしれないし、ゼロがゼロでなくなる可能性がある方法なんすよ」
室内の空気が重くなる。
「…それでも、近道には違いねえな」
「イチロウさん。アンタ、時々そうやって、話しを早くしようとしますけど…」
芹沢は苦く笑いながら続けた。
「スマートじゃないっすよ」
イチロウは眉をひそめる。
「スマートじゃない?」
「直結は“情報の交換”じゃなくて“支配関係の確立”に近い。ただ強い方が弱い方を書き換える」
イチロウは黙る。芹沢はタブレットを取り出し画面に表示されたゼロの解析データを示した。
「でも、対話は違う」
「対話?」
「はい。『相手を壊さずに触れる方法』っす。同じ情報でも、言葉を通せば『選んで』『考えて』』受け取る』ことができる」
芹沢がうっすら笑う。
「人間だってそうでしょ? 拳銃を突きつけられて脅されるより、話して交渉した方がスマートだ」
「…例えが物騒だな」
「アンタに合わせてるんすよ」
イチロウは僅かに口角を上げた。
芹沢の言葉は続く。
「自分たちは“姉妹みたいなもの”だって、アルカは言ったでしょ?」
「…ああ」
「なら、『言葉』の方がいい。ゼロの側も、選ぶことができる。アルカも寄り添える」
芹沢は机を叩き、まとめた。
「直結は力の行使。対話は関係の構築。どっちが良いかは、もう分かりますよね?」
イチロウはゆっくり息を吐いた。
「…ああ、分かった。確かに、近道じゃねえ方がいい時もある」
「そういうことっす。短期は損気。技があっても、心が未熟なら、良い選択はできないっす」
イチロウは芹沢を見て、ふっと笑った。
「技術屋らしからぬ台詞だな」
「いや、俺らしい台詞っすよ」
その言葉に、イチロウは黙って目を伏せた。




