祈りの残響 38
セーフハウスの奥、かつて医療用だった小部屋を芹沢ハルキが独占していた。
工具が散乱し、壁には古い診断用のホログラム装置が接続されている。
その中央で、ゼロは静かに横たわっていた。
「…いやー、こいつは骨が折れるっすね」
芹沢は髪をかき上げ、長いため息をついた。
イチロウが壁にもたれながら言う。
「起こせとは言ってねぇ。話せる状態にしてくれればいい」
「簡単に言ってくれますね。そもそも、『話せる』機能なんかゼロには無いっすよ。警告とか注意なんかの定型文を出すくらいっす」
芹沢は愚痴をこぼしつつも、手だけは高速で動いている。
ゼロの胸部装甲の一角を開き、劣化した冷却回路を慎重に避けながらケーブルを差し替える。
アルカはじっとその手元を見つめていた。
「芹沢さん…ゼロは、どんな状態なんですか?」
「……」
芹沢はスパナを置き、アルカに向き直る。
「『壊された形跡』は山ほどある。けど」
彼はゼロの胸に軽く触れた。
「大事な部分はほぼ無傷っす」
アルカはその言葉に、ほんの少しだけ息を飲んだ。
ゴエモンが腕を組みながら言う。
「で、俺らにできる事は?」
「邪魔をしないことっすね、特にアンタ。義手の電磁ノイズが地味に干渉する」
「へいへい」
芹沢はスツールに座り、作業用の光をゼロの首元に当てた。
「ゼロが『喋れない』理由は単純だ。兵器に意思の表出なんて要らないと考えた『出力側』の許可がおりてない」
アルカが首を傾げる。
「…許可?」
「簡単に言うと、言葉を発する資格が誰にも認証されてない。誰もゼロを『話す必要のある存在』として扱ってこなかったったことっすね」
その言葉に、アルカの胸が痛んだ。
「…では、私が認証すれば」
「それだけじゃ足りないっす。ゼロの規格は複数承認制だ。最低でも運用者、技術者、管理Authorityの三者。今は全部失われてる」
イチロウが言った。
「だから、おまえが必要ってことか」
「そういうことっす」
芹沢は端末を叩き、ゼロの頸部コネクタへ細い導線を挿し込んだ。
微かな火花が散る。
「おっと…よし、通った」
モニターに、弱々しいが確かな波形が現れた。アルカが身を乗り出す。
「ゼロ…?」
「まだ早い。今、俺が“認証代理”になるっす」
芹沢は淡々と宣言した。
「識別:メンテナンス権限・暫定開放。出力シーケンス、制限解除レベル1。音声プロトコル、一次起動」
ゼロの胸部がかすかに振動した。
アルカの瞳が大きく開かれる。
「…反応しています」
「当然だ。こいつは優秀なんだよ」
ゼロの喉元が、わずかに音を立てた。
電子音のような呼気が漏れる。
「起動…認証…暫定…正常…」
硬い定型文が、はじめて空気を震わせた。
アルカの手が震える。
「ゼロ…!」
芹沢は肩を回しながら立ち上がる。
「これで『会話』の最低ラインは整った。最初はクセが強いかもしれないけど、話しているうちに学習して、積もる話もできるはずっすよ」
アルカはゼロの手をそっと握りしめ、震える声で言った。
「ありがとうございます…芹沢さん」
「礼はいいっす。良いもん見せてもらえましたし」
芹沢は部屋の灯りを少し落とし、工具を片付けながら背を向けた。
「じゃあな。あとは“姉妹の時間”だろ?」
その言葉を背に、イチロウ達は部屋を出た。
扉が閉じた瞬間、残されたのは、アルカとゼロだけだった。




