それは、なかったことにされた
「恋人からの“愛してる”って記録、改竄された場合ってどうなると思う? AIが“統計的に平均値を取ってそれっぽい内容”に修正する。愛なんてそんなもん」
匿名・記録庁監査部女性職員(退職済)
記録庁(正式名称:国家記録統制監査庁)
設立目的:すべての人間活動に関するデータの一元管理と社会的公正の保証
記録庁は単一の庁舎ではなく、都市構造の中に複数の分局/観測支部/データ封鎖区画を展開している。
最大規模の中枢拠点は、メガトキオ第一区にそびえる《記録塔・コアノード》であり、地上200階・地下128階の情報要塞である。
記録庁・第九分局。
都市メガトキオに存在するあらゆる“ログ”の整合性と監視を担う部門であり、通称《観測屋》とも呼ばれる場所である。
この場所に配属されて5年。
職員コード:ENY-7743/記録官・槇村エンは、今日もまた“例のデータ”に目を通していた。
無表情なまま、定時10分前のモニタリングログを眺める。
画面には、不可解な名前が明滅していた。
【絡繰核ID:2112初号式R】
【使用者:影道イチロウ(非正規忍務従事者)】
【記録フラグ:非同期・断片再生あり】
【違反ログ疑義:継続監視中】
非正規忍者。
通常なら観測対象にも入らない、あくまで“脇役”の存在。だが、この個体だけは違った。
過去に消された任務の記録、存在しないはずの識別ID《KAG-88-YA》、そして、あの名前──“ライカ”。
「…また出てきたか。亡霊の名が」
背後から別の職員が声をかける。
「エン、お前まだそのログ追ってんの? もう三度目だろ、申請却下されたの」
「見過ごせない」
「なんでよ。“記録にないもの”は、ないってことだろ」
「…“記録にない”ってのは、“記録されたくなかった”ってことだ」
その一言に、同僚が何も言わず去っていく。
エンは再び画面に目を戻す。
画面の隅に、新しいログが一瞬だけ表示された。
【アクセス:非正規ID接続】
【場所:地下22区・旧図書保管区画】
【記録反応:再起動信号・弱】
彼はすぐに、記録庁上層への申請を開始する。
だが返ってきたのは、「処理済ログに対する干渉は禁止」という定型文。
「…またか。上は、見たくないだけだろ」
エンは知っている。
記録庁の“表”は整然とした監視と保証の象徴だが、“裏”では、無かったことにされた事件を、何もかも闇に沈める装置でもあることを。
それを誰かが掘り起こせば、世界の“公正”は、形を保てなくなる。
だが、画面の端に、再び表示が灯る。
【情報断片:minase.laika/再構成中】
【トリガーユーザー:影道イチロウ】
「…動き出したな、記録の底が」
彼は静かに立ち上がる。申請書を破り捨て、観測官用の外部任務コードを起動。
手は震えていない。ただ、ほんの一瞬だけ、モニターに映った自分の顔を見た。
記録庁職員は、無許可で外に出てはならない掟がある。だが、エンは思う。
“記録を管理する”ってのは、“記録と共に歩く”ってことじゃないのか。
彼はジャケットの内ポケットから、未提出の一枚の紙切れを取り出した。
そこには、古びた手書きでこう書かれている。
「証明とは、思い出すこと」──ライカ
ログ終了。観測官、記録より離脱。
次の更新:非正規個体との接触ログ待機中。