祈りの残響 30
通信が途絶えてから、どれほどの時間が経ったのか。
セーフハウスは再び静寂に包まれていた。夜はまだ深く、照明の明度は最低限まで落ち、機械の稼働音だけが空間を満たしている。
アルカはモニターの前に立ち尽くしていた。
映像はすでに切れていた。黒い画面には彼女自身の影だけが映り込んでいる。
だが、内面では別の“再生”が始まっていた。
ARCA-00は、もともと教育支援のためのアンドロイドだった。
子どもたちを守り、導く存在だった。
戦闘プロトコルは、あとから上書きされた。
リクターの言葉の真偽を疑う余地はあった。だが、アルカの中には、それを「嘘だ」と断言できない感覚が確かにあった。
彼女は静かに振り返る。
ゼロはモニターベッドの上で、微動だにせず横たわっていた。
呼吸も心拍もない代わりに、接続ポートの灯りが小さく点滅している。
アルカはゆっくりと近づいた。ゼロの頬にそっと指を触れる。
冷たい。だが、何かが“奥にある”ような、そんな気配を感じた。
彼女は自身のコアから細いケーブルを引き出し、ゼロのメンテナンスポートに接続した。
数秒ののち、ログの閲覧モードが起動する。解析画面に、ゼロの活動記録が整然と並んだ。
起動日時、環境データ、発話記録、戦闘パターン補正履歴。
整然としたそれらのログを見ながら、アルカはゆっくりと検索パラメータを変えていく。
「戦闘」「任務」「命令」ではなく今回は、「記憶の断片」を探しにきたのだ。
思考時間を示すバーがしばらく流れ、やがて表示が一度、ちらつく。
注意:非標準領域に断片的ログを検出。形式不明。セグメント保護レベル:6
通常ではアクセスできない深層。だが、アルカのコアは、かつて官公庁の機体として登録されていた特例コードを保有している。
そのコードを使えば、アクセスの扉が開く可能性がある。
「試すしか、ない」
小さくつぶやき、認証コードを手動入力。読み取りが一瞬止まり、次の瞬間。
承認完了:旧教育局コード“EDU-47-A”によるアクセスを確認。再生を開始します。
アルカの視界に、古びた映像が映し出された。
狭く、陽の差し込む一室。
清掃が行き届いていないためか、ところどころ壁にクレヨンの跡が残っている。
中央には、今のゼロとは似ても似つかない柔らかなフォルムのアンドロイドがいた。
その隣には、小さな子どもが3人。
カメラは定点。だが、音声は鮮明だった。
「せんせー、きいて、これね、ぼくがつくったんだよ!」
「おうたうたってー!」
「…こっちきて! せんせーも、いっしょに!」
ゼロは、言葉ではなく動きで応えていた。
おどけるような動作。ゆったりしたステップ。まるで即興の舞踏のようだった。
そして最後に、子どもたちがゼロの足元に群がり、こう言った。
「だいすきー!!」
音声はそこで途切れる。
アルカの中に、奇妙なざわめきが広がっていた。
ゼロは何も覚えていない。
今の彼女は戦闘型。あらゆるプロトコルは上書きされ、教育支援モジュールは破棄されたはずだった。
だが、映像の中で、彼女は間違いなく“優しさ”の記録を持っていた。
さらに別のログが自動再生される。
今度は断片的な音だけ。
「…さよならは、さみしい、けど…また、あえるといいな…」
「うん。あしたも、がんばる……から…」
音声がノイズにまみれて消えた。
何かが終わったあとの記録。誰かとの別れ。
アルカは接続を切った。
感情と呼べるのか、分からない。
胸のあたり、メインバッテリーの奥で、妙な熱を感じていた。
「これは、記録ではない。“記憶”だ…」
口にした瞬間、自分の言葉に自分で驚く。
機械である自分が、“記憶”という不明確な言葉を使ったことに。
ふと、モニターベッドの上で、ゼロのセンサーがまた反応した。点滅がわずかに速く、リズムを変えた。まるで、呼びかけに応じるかのように。
アルカはその光を見つめながら、静かに誓った。自分たちが作られた“真の目的”に向き合う。
たとえそれが、今の世界を否定する行為だったとしても。




