祈りの残響 28
セーフハウスの静寂は、夜と朝のあいだにある“中間”のような時間に包まれていた。
地下の通気口から吹き込む微かな冷気が、アルカの髪をそよがせる。
モニターベッドの傍らで、アルカはまだ眠るゼロを見つめていた。
目覚めてから、もう数時間が経つ。
けれど、彼女の時間はまだ“再起動”しきってはいなかった。
「…あなたは、わたしに似ている」
誰に語るでもなく、ぽつりと漏れた声。
「……でも、わたしはあなたのようにはなれない」
そのとき、背後から足音がした。ゴエモンだった。髪がぼさぼさのまま、Tシャツ一枚であくびをしながら近づいてくる。
「お、起きてたのか。…つか、寝てねぇのか?」
アルカはうっすらと笑い、首を横に振った。
「少しだけ、休みました。でも…夢を見たんです」
「夢? おまえ、夢なんか見るのか」
「はい。正確には、“記録の再構成”という形ですけど…でも、たしかにそれは夢でした」
ゴエモンはゼロの方にちらりと視線をやり、苦笑した。
「……コイツに絡んだやつか?」
「いえ。もっと、違う誰か。子どもの声がして、手を引かれて、海の近くの白い建物に入るんです」
「白い建物?」
「はい。…目が覚めたとき、少しだけ泣いていました」
ゴエモンは言葉を探し、眉をしかめた。
「……まあ、たぶん、悪い夢じゃなかったんだろうな」
アルカは静かにうなずく。
「懐かしい感情……いうものが、あるなら。きっと、それに近いんだと思います」
「人間くせぇな、おまえ。その辺の奴より」
ゴエモンは肩をすくめて、缶入りのポタージュスープを湯煎の鍋に放り込んだ。
「……なあ、アルカ」
「はい」
「そろそろ、お前も外に出たらどうだ? もう数日、ここから出てないだろ」
アルカは少し驚いたように目を開いた。けれど、その後すぐに、何かを思い出すように目を伏せた。
「…はい。そうかもしれません。そろそろ、風に当たらないと、記録中毒になりそうです」
その言葉に、ゴエモンは少しだけ笑みをこぼす。
「“風に当たらないと、記録中毒になる”か……名言っぽいけど、誰も理解できねぇだろ、それ」
「ふふ…あなたが理解してくだされば、それで充分です」
そのとき、背後から芹沢の声がした。
「そこのお二人さん、今なら朝焼け、外で見えるっすよ」
「えっ?」
「いやマジで。ちょうど角度が良いっす。フィルター越しだけど、あれはあれで風情あるっすよ」
アルカは少し躊躇ってから、ゼロの方に視線を向けた。
「…大丈夫です。彼女は、まだ眠っている。その時間を、わたしも大切にします」
ゴエモンが立ち上がり、アルカに手を差し出す。
「行こうぜ。朝焼けってやつを、更新しにさ」
アルカはほんの一瞬だけ戸惑ったが、やがてゆっくりとその手を取った。
それは、重い決断でも、劇的な再起動でもなかった。
けれど、その手を取った瞬間、アルカの中で、何かが「記録」ではなく「記憶」になった。
それは、風のように通り過ぎていく、ささやかだけれど確かな、生きた時間だった。




