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消えた回覧板と殺意のシャチハタ

「すいません、経費の承認が……どこにも届いてません」


 その一言が、隠密社内に緊張を走らせた。

 特に、総務部・忍具管理課・冷蔵庫の権利者たちに。


「ちょっ、俺の梅ソーダ、精算されてないんだけど!」

「ウチの忍犬用義足パーツ、予算申請し直しかよ……」

「また“あの人”が書類飛ばしたんじゃねーの?」


 そう、すべては一枚の“紙”に端を発していた。


 それは、「社内回覧板」。

 物理媒体のくせに、絶対に記録に残らないという謎の運用がされている恐怖の板。

 いま、その回覧板が消えていた。


「…で、なんで俺が探すんだよ」

 影道イチロウは渋い顔で捜索を依頼してきた新卒社員を睨んで呟いた。


「“記録に残らない問題”を解決するのが、忍者のお仕事ですから」


 広報部の月城ミレイが、なぜか満面の笑みで言い切った。


「ていうかこの会社、情報管理ガバガバすぎない?」


「そこは触れちゃいけない記録です!」


ーーー


 社長・神原長玄の私物スペース。

 中から出てきたのは、回覧板……ではなく巨大なシャチハタだった。


「何これ、武器?」


「ちゃう、これは“承認印の原型機”。正式には印影改印・壱型(忍務用)」


「つまり、偽造ログ製造機ってことか。普通の会社が持ってちゃいけないモン持ってんな…」


ーーー


 冷蔵庫の下から出てきたのは、折れ曲がった回覧板の切れ端。

 そこに残されたデジタルホログラフには、奇妙な印影データが残されていた。


【承認者:ミナセ・L(記録上は存在しない社員)】

【使用印影:個体識別番号000-LAIKA】


「…“ライカ”」


 イチロウの背中に、ひやりと冷たいものが走る。


 数年前の忍務。

 仲間だった水無瀬ライカが、任務中に命を落とした“事件”。


 その記録は存在しないはずだった。

 イチロウの腕にある初号式R(リビルド)の深層領域に保存されていなければ。


「先輩、これ…見てください」


 ミレイが渡してきた、社内端末のログ。

 “今朝3時”、誰かが総務ネットワークにアクセスし、“一部の印影データ”を改竄していた。


「アクセス元、不明」

「識別、該当なし」

「ただし……」


「ただし?」


「アクセス中、端末に一時的に表示された名前があります」


「…なんて?」


「KAG-88-YA」


 カグヤ―ライカの絡繰核の識別名である。

 もしかすると,姿を変えた“亡霊AI”かもしれない。


「マジかよ…」


 イチロウは誰にも聞こえない声で呟いた。


「アンタ…何を探してんだ、今さら」


 初号式R(リビルド)が光り、イチロウの脳裏にかつての記憶が蘇る。


「イチロウ、アンタ、優しすぎるのよ」


 地下訓練場。

 古びた自動標的が、カン、と軽い音を立てて倒れる。


 ライカは目を細めながら、絡繰核を調整していた。


「…俺はただ、あんたみたいに器用じゃねぇってだけだ」


「器用な人間は、こんな会社に出向しないわよ」


 イチロウは、黙って缶コーヒーを差し出す。

 ライカは受け取り、缶を開けながら呟く。


「ねえ、記録ってさ、全部残すべきだと思う?」


「…いや。時には、消した方がいい記録もある」


「でしょ? でもね、私は、たとえ醜くても、“あったこと”は残したいのよ」


 光学標的に、彼女の手裏剣が吸い込まれるように命中した。


「だからアンタが、記録屋でいてくれて良かったと思ってる。…私が消えても、きっと、アンタが“思い出してくれる”だろうから」


 イチロウは、その言葉に答えられなかった。


ーーー


 公安忍者特別課 第零分室。

 無窓の地下施設に設置された専用ブースで、白音は“生きた記録”に目を通していた。


 表示されているのは、かつて葬られた任務「零号作戦」。 

 未承認、未公表、未記録の事件たち。

 だが、それは確かに存在していた。

 そして今、それを“起こそうとしている者”がいた。


【情報一致:影道イチロウ】

【使用デバイス:絡繰核(カラクリコア)初号式R(リビルド)

【深層記録内に“KAG-88-YA”存在確認】


「…やはり彼が“保存した”のね」


「影道イチロウ…あなたが、何を守ろうとしているのか。私は、あなたの“記録”ごと確かめに行く」


ーーー


 場所は、メガトキオ地下22区。

 旧図書データ保管区画。

 誰も足を踏み入れなくなった“記録の墓場”だった。


 かつての“紙の書類”が眠り、誰のアクセスも認められない閉ざされたフロア。

 それでも、影道イチロウはそこへやって来た。


「アイツの残した“記録片”が、ここに繋がってる…多分、これは本体じゃねえ。けど、俺が知らないまま、こいつを誰かに持ってかれるのは、イヤだな」


 センサーが、わずかな空間の変化を捉える。

 気配はない。だが、いた。


 視界の端に立つ、全身を黒に包んだ人物。


 目元までをマスクで覆い、無言のままたっていた。


「…公安忍者か」

「影道イチロウ、記録上では“無害な非正規忍者”とされている」

「”無害”なら、こんなところにいてもお目溢ししてもらえるよな?」


 初対面のはずなのに、言葉は“知っていた”ように流れる。

 白音は名乗らない。ただ、淡々と告げた。


「あなたが持っている“記録”は、放置すべきではない。それは未来を誤作動させる。だから、私が預かる」


 イチロウは鼻で笑った。


「あんた、“記録”って言うけどさ。記録ってのは、物じゃなくて、誰かが“忘れたくなかったこと”だろ」


「感情的判断は不要。記録に私情が入れば、それはもはやデータではない。それはただの“執着”だ」


 イチロウは懐から、ゆっくり折れたUSB型メモリを取り出した。それは、かつての“事件”の断片を保存したもの。


「なら、あんたが欲しいのはこれか?」


 白音は、表情ひとつ変えず頷いた。


「是正のため、提出を要請する」


 次の瞬間、イチロウはそのメモリを足元の溝に、滑らせて落とした。


 ザッと音がして、回収不能な配管の奥へと消える。


 沈黙。

 白音は、自分の絡繰核(カラクリコア)の光を一瞬だけ強く灯す。だが、戦う意志は―今は、ない。


「その記録が、誰かを“再起動”させるなら…あなたも、削除対象になる可能性がある」


「上等だよ。公安が怖くて非正規忍者ができるかっての」


 白音は、静かにその場から去っていく。

 記録を持つ者と、記録を制御する者。いずれまた、衝突するだろう。

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