第五話 ウルフ
一睡もしないまま朝を迎える事になった。
女を怪人側に引き込む事が出来たとはいえ相手は元ヒーロー。油断は出来ない。寝ている隙に逃げられたなんて、目も当てられない展開だろう。という訳で最悪を回避する為に寝ずの監視を行う必要があった。
最初は俺を気遣い遠慮をしていた女ではあったが、俺が使っているベッドに寝転がると割と直ぐに寝たな。幸せそうな表情で寝ている女を見ると、一睡も出来なかった事が俺の中でストレスになっていく。別に一晩寝なくても体に影響はないがな。
「シャインブラックについての情報はなしか。国民の不安を煽らない為に隠匿したか」
テレビのニュースでは怪人についてアナウンサーが話してはいるが、その中にシャインブラックについて触れた内容はなかった。
人々の希望であるヒーローが敗北した等という情報は『ヴレイヴ』からすれば隠したいものだ。代わりに放送されているのは何時もと変わらない内容。
『今月○○日、○○時に○○市の商業施設に怪人が出現。○○名の住人が行方不明になり、現在も行方を搜索しております』
ニュースの内容を聞き流しながら、朝のルーティンとなっているコーヒーを飲む。以前はインスタントのコーヒー飲んでいたが、コーヒーメーカーを買ってからコレしか飲んでいない。ちなみに無糖派だ。
本当にくだらないニュースだな。搜索している等とアナウンサーは話しているが、警察はそもそも怪人の問題には介入しない方針を示している。無謀にも怪人に挑み多くの警察官が殉職したからな。警察もまた慎重になっている。
怪人問題で動くのは『ヴレイヴ』と、視聴率目当てで嗅ぎ回っているマスメディアくらいだろう。
「ん?」
スマホの通知音が鳴ったので確認してみると後輩からメッセージが届いていた。内容は『相談に乗ってくれはってホンマにありがとう』とスタンプと一緒にお礼の言葉が綴られていた。
0時過ぎに電話がかかってきた時は時間を考えろと文句を言ってしまったが、どの道女の監視で起きている必要があった。いい時間潰しにはなったな。
「友達が怪人に攫われた⋯⋯か」
相談内容を聞いた時は流石の俺も罪悪感が込み上げてきた。なんでも同じ職場で働く友達が、怪人に攫われて消息不明になったそうだ。
身近な人間が俺の仲間の所為で不幸な目に合っているというのは、なかなか心にくるものがある。
とはいえ俺がどうこう出来る話ではない。怪人の殆どはボスの命令で動いているからな。例外があるとすればマッドサイエンティストの護衛の個体くらいだろう。
怪人の性能確認や手数がいる時はボスから命令権を頂いて、俺が操ったりする事はあるが基本はボスが操作している。
ボスの操る怪人に攫われたのならば俺から言える言葉は『ご愁傷さま』くらいだ。その日の運勢が悪かった友達を恨むといい。
しばらくニュースを見ているもベッドの方から物音が聞こえ、振り返ると起きたばかりの女と目が合った。
「起きたようだな」
「え、なんで先輩が⋯⋯あっ、そうかオレ様は先輩のモノになったんだ……」
───俺の物にした覚えはない。どういう思考回路をしているのか、頭を開いて見てやりたいくらいだ。
反応するのも面倒な気分になったので、自分用のコーヒーを入れてテーブルに置き、、女の分を入れてベッドに腰掛ける女に渡す。
「あ、ありがとう」
入れたばかりのコーヒーを両手で受け取り、前日敵対していたのが嘘のような華やかな笑顔を浮かべている。この笑みを見て見惚れる者は多いだろう。
俺の好みではないからどうでもいいが⋯⋯。
───ザザッの頭の中にノイズが走る。
普段であれば出勤前の連絡は一切受け付けないのだが、今回に限って言えば俺の方から頼み事をしているからな。
それでも相手が相手な為、面倒に思いつつ人差し指と中指をこめかみに当てて応答すると、聞き慣れたマッドサイエンティストの声が頭の中で響く。
『やーやー、聞こえているかね助手君!君が愛してやまない大天才フォリ様からの連絡だぜぃ!有難くちょうだいs───』
───第一声がウザすぎて喋っている途中で切ってしまったが仕方ないと思う。朝方からこんな絡み方をされれば、誰だって嫌気がさす。
「どうしたんだ、黒月先輩?眉間にシワが寄っているけど⋯⋯オレ様の態度が気に触ったなら、その、謝るけど」
「お前は悪くないから気にするな。組織の者から連絡があっただけだ」
俺の機嫌を損ねたんじゃないかと、心配そうにしている女に理由を話せば、安心したのか息を吐いていた。そこまで俺の顔色を窺う必要はないんだがな⋯⋯。
「俺は組織の者と話をしてくる。家を出る時間は昨日伝えた通りだ。時間はあるからゆっくり支度するといい」
「分かった!」
会話の内容を聞かれないように、念の為女から距離を取るか。
───俺が現在住んでいるアパートはマッドサイエンティストの手で改造されており、様々な機能が備わっている。特にあの天才が本気で改造したのもあって、防音は完璧だ。リビングを出て、脱衣場まで行けば会話の内容は聞かれないだろう
移動している最中も頭の中で鳴り響くノイズ音が鬱陶しい事極まりない。
脱衣場に入って仕方なしに応答すれば、それはもう嫌味と文句を言われた。大天才であるフォリ様の時間を無駄にするなとか、声を聞けるだけで有難く思えとか、よく我慢できたと自分を褒めてやりたいところだ。
途中で本題から逸れたり、自慢話を聞かされたりもしたが、聞きたかった情報はマッドサイエンティストの口から聞くことが出来た。
「そうか、情報提供感謝する」
性格面に非常に難があるがマッドサイエンティストではあるが、その能力は本物だ。頼み事をしたのは今から10分程前だと言うのに既に俺が欲している情報を調べてきた。
『フォリ様に感謝しろよー。助手君の能力じゃ集めきれない情報まで集めてきてやったんだぜぃ。報酬はそうだなー、感謝の気持ちを込めて『フォリ様愛してる』って言うといいぜ!』
「フォリ様愛してる」
『ふぇ!?』
感情も込めず、国語の教科書を朗読しろと言われた時のように淡々と言葉を紡ぐ。マッドサイエンティストがあからさまに狼狽えたところで会話を切ると面白い反応が聞けた。変な声だったな。
脱衣場を出てリビングに戻ると女が気付き直ぐに駆け寄ってきた。
「準備は出来たのか?」
「あぁ!準備も覚悟も出来ている」
時計を見れば出勤時間にはまだ余裕はあるが、何時もと違い女を案内しなければならない。少し余裕を持って出るのもいいだろう。
「あなら、これから先は俺と共に生きろ。いいな、夏目」
「っ───おう!!」
マッドサイエンティストが調べ上げてきた名前を呼べば、嬉しさを噛み締めるように数秒の間を開けてから元気な返事が返ってきた。さて、行くとするか。
「アジトまで案内する。はぐれないように注意して着いてこい」
「おう!」
───犬神夏目。歳は俺より一つ下の25。
身長175cm、体重59.5kg。胸のサイズはJ。処女。趣味は料理と人形作り。『ヴレイヴ』日本支部所属ヒーロー、サンシャインの一員。
「⋯⋯⋯⋯」
口頭でも聞いてはいたが、『助手君の頭では覚えきれないだろう』とマッドサイエンティストがわざわざ書き下ろした書類には、女の個人情報がこれでもかという程記載されていた。
幼少期の頃から親の仕事の都合で転校を繰り返していたらしく、その中の一つに俺が通っていた小学校の名前が上がっていた。
夏目が転校してきたのは小学4年生の時、俺は一個上の学年だった。そこまでの情報を得て、ようやく夏目の事を思い出した訳だが⋯⋯。
記憶を遡っても殆ど会話をしていないな。関係が浅すぎたので覚えてなかったのは仕方ないと言い訳させて欲しい。
さて、肝心の夏目との出会いを振り返ろうと思うが、大した事はしていない。小学生にしては発育の良かった夏目の事を狙っていたペドフィリアの変質者がおり、下校途中の夏目を性的な意味で襲おうとしていた。
たまたま通りかかった俺が防犯ブザーを鳴らしながら助けに行くと、音にビビった変質者が慌てて立ち上がろうとしたが、ズボンを途中まで下ろしていたせいでバランスが崩れて転倒。頭を強く打ち気絶というギャグみたいな展開だった。
変質者に襲われて泣いていた夏目を特撮ヒーローに憧れていた俺が必死に慰めていた覚えはある。その後、夏目に懐かれて数日下校を共にしていたが割と直ぐに転校が決まり、それ以降夏目と会うことはなかった。
ちなみに変質者は防犯ブザーの音を聞き付けた大人の人が駆けつけてきたので、普通に捕まった。
というのが俺の記憶だ。恐らくだが、初恋を拗らせに拗らせて、かなり美化されている。少女漫画のワンシーンのような救出場面に記憶が塗り替えられているんじゃないか?現実は俺も半泣きだったと思うぞ。
兎にも角にもマッドサイエンティストの調べた情報のお陰で女の正体が判明して得心がいった訳だ。
「ん?⋯⋯そうか、負けたか」
───俺が書類を読んでいる間に事は進んでいたらしい。
歓声が上がる現場に視線を向ければ、そこにはヒーローによって倒された怪人No.29 シュネッケンの姿があった。
この怪人は先日拉致した悪人を素体したものなのだが、適合率が低かったらしく顔はカタツムリ、体は人間という失敗作である。
それでも素体の拉致くらいは出来るだろうと現場に連れてきていたが、俺が目を離した隙にヒーローに倒されていた。裏稼業の人間だから、それなりに強い怪人になるかと思ったが期待外れだな。
「シュネッケンは所詮前座だ」
ヒーローの戦いをカメラに映したいのか、野次馬に紛れてマスメディアがおり、シュネッケンを倒したヒーロー、シャイングリーンがファンサービスでポーズを取っていた。敵を倒した後だからといって気を抜きすぎだな。
いくら弱い個体とはいえ、ここまでヒーローに舐められるのは癪に障る。俺が直接戦ってもいいが、この場にはもう一人怪人がいる。
「いけるな、ウルフ」
───怪人No.30 ウルフ。
「あぁ、オレ様に任せろ!」
またの名を犬神 夏目。闇堕ちした元ヒーロー。
俺の予想外通り、夏目は怪人細胞に適合した。完全適合とはいかないが二人目となる自我を持つ怪人となった訳だ。
大事な事なので補足をしておくが、身バレを防ぐ為に現場では怪人ネームで呼ぶ事を心掛けている。夏目───ウルフにも現場ではクロと呼ぶように伝えてあるが、癖が抜けないらしく先輩が後ろにつく。それくらいは許してもいいだろう。
横目でウルフを確認すると目につくのは頭に生えた耳と、腰から伸びる尻尾だな。怪人ネームの元となっている狼の耳と尻尾がウルフの体から生えていた。アニメや漫画に登場する獣人みたいだな。
服装は俺とペアルックにしたかったらしく、マッドサイエンティストにレディーススーツを用意させていた。流石は天才様と言うべきか。しっかりと尻尾を出す為の穴を設計してあったな。ただ、少しピチピチじゃないか?
体のラインが際立っているように思うが、ウルフが気にしていないならいいか。
元ヒーローである為、顔を見られれば身バレするのでウルフもまた俺と同じような仮面を付けている。表情から感情は読み取れないが獣耳や尻尾が喜びを示すように動いているので、割と分かりやすい。狼というより犬だな
───ザザッと頭の中にノイズが走った。連絡してきたのは、ボスか⋯⋯。
「心配は無用かと⋯⋯」
ウルフが見下ろす先にいるのはかつての仲間であるヒーローだ。手心を加えるんじゃないかとボスから疑念の声が届いたが、無用の心配だろう。
俺の横に並び立ち、標的であるシャイングリーンを見定めたウルフはゴキゴキと指関節を鳴らしながら戦意を滾らせている。
既に覚悟は決めたそうだ。例えかつての仲間であろうとオレ様の愛する先輩と敵対するなら容赦なく殺す、と。恋は盲目とはよく言ったものだ。
友情より恋愛を取るタイプの女だな、こいつは。フラれたら友達の元にしれっと帰ってくるタイプの。そんな事はどうでもいいか。
ウルフを送り出そうとした際に大切な事を思い出し、腕時計を確認する。現在の時刻は15時47分。定時まであと一時間といったところだ。
「ウルフ」
「はい!」
「うちの定時は17時だ。一時間でかたをつけて帰って来い」
「え───!?」
場合によっては残業をする事もやむ得ないが、初出勤でいきなり残業というのは印象が良くないだろう。今日は定時で終わらせて帰るべきだと思ったのだが、予想外にウルフが驚いている。
理由を聞くとヒーローには定時はないらしい。あと、休みも。
───意外とブラックだなヒーロー。