第四十七話 来客者
テーブルの上には数え切れない空き缶が転がっている。俺もかなりの量を飲んでいる自負はあるが、マッドサイエンティストが飲んでいる酒の量は俺の倍だ。それでも酔った様子はない。
怪人細胞は人間の免疫のように耐性が付いていくとマッドサイエンティストは語っており、事実として俺はアルコールに対する耐性が確実に上がっている。
以前であれば既に酔いの回る量を飲んでも、まだ素面だ。その点を加味すればザルのように酒を飲むマッドサイエンティストがどれだけ異常かがよく分かる。人間とは違う種族たる所以か。
冷蔵庫に入っていたお酒も俺とマッドサイエンティストが手に持つ物が最後の一本だ。互いに酔えずじまいで終わったな。
「一度、妹と話をしてくるつもりだ」
酒の肴として話す話題はこれで最後。
「フィクサーとか?ひひ、なら気を付ける事だ。あの女は愛に溺れて歪んだ感性を持つ怪物だ。飲まれないように注意しな」
この女もまた、妹と同じような事を言う。
注意しているのか、余計な事は聞くなと牽制しているのか、果たしてどちらだろうな。最後の1缶となったビールを飲み干して、空になった空き缶をテーブルの上へと置く。
片付けはマッドサイエンティストの護衛としてつけている怪人にやらせると言っていたな。自我を奪われ、雑用をさせられる怪人に同情はするが、素体は悪人のようだし気にしなくても構わないか。
壁に設置された時計を見ると時刻は朝の5時を回っている。予定よりも帰るのが遅くなったな。
話も済んだ事だ、そろそろ帰るとしよう。日が変わって土曜日を迎えた今日が休みである事が救いだな。このまま仕事をするのは少しばかり気が滅入る。
「もう帰るのか?」
俺が椅子から立ち上がったタイミングで、マッドサイエンティストが声をかけてきた。どこか不満そうな顔だ。
「テーブルの上が見えないのか?十分に飲んだだろう」
「ひひひ、そうだな。だが別に酒以外にもやれる事はあるぜ。酒の入った男と女が部屋で二人っきり⋯⋯誰も邪魔はしない」
幼い見た目とは思えないほど妖艶な仕草で胸元を見せようとしていたが、微塵も興味が沸かないので無視して部屋を後にする。
背後から聞こえるマッドサイエンティストの声は取るに足らない戯言だ。好みでないのもあるが、あの女と体の関係をもったらそれこそ終わりだ。色々な意味でな。
瞬間移動装置を使って家に最も近いアジトへと移動する。移動した先はカーテンを締め切っており、先程までいた空間よりも一段と薄暗い。
とはいえ、普段から利用しているアジトなので物の配置は全て理解している。そのまま薄暗い室内を抜けて、建物を出る。
「そういえば、忘れていたな」
仕事が終わったら一度連絡するとウルフに伝えていたにも関わらず、連絡するのを忘れていた。もしかすると心配したウルフから連絡があるかも知れない。
スーツの胸ポケットからマナーモードにしていたスマホを取り出して、画面を確認して思わず固まる。
マッドサイエンティストと話している間一切スマホに触る事はなかった。数時間ぶりに開いたスマホにはおびただしい数の着信履歴が残っている。
ほぼ全てが一人の人物からの着信だ。俺にとって幸運なのはその人物がウルフではないことだな。それにしたってホラーすぎる。
スマホの電話帳に登録している人物で、短く『妹』と書かれた文字の羅列が50以上も続いている。
その鬼電のスタート時刻は三時間前。ちょうど妹についてマッドサイエンティストに聞いたタイミングだな。これが偶然だとは思わない。
どのような手段を使ったかは知らないが、俺とマッドサイエンティストの会話を聞いていたのだろう。
───妹もまた、マッドサイエンティストに『フィクサー』と呼称される化け物。
それくらいの事はやってのけて当然か。この電話は抗議の電話か? もしそうであれば、マッドサイエンティストが語る話の信憑性は少し薄まる。
ひとまず通話履歴から妹を選択して、着信拒否のリストに加える。連絡自体はメッセージアプリを使えば取れるので構わない。また同じように鬼電されたら堪らないからな。
「やはり連絡はきていたか」
圧巻とも言える妹からの着信履歴に混ざってよく見ればウルフから着信が入っている。着信のあった時刻は2時頃か⋯⋯。
元々の予定ではそのくらいに時間に帰宅する予定だったな。メッセージアプリにも時刻が過ぎても帰らない俺を心配する声が届いている。
既に寝ている可能性は高いが、『今から帰る』とメッセージを送って帰路についた。
その道中で妹について考えていた。マッドサイエンティストと同様に、裏で動いているのは間違いない。問題なのはどこまで俺の過去に関与しているか、それ次第だが⋯⋯。
「⋯⋯⋯⋯」
───生かすか、殺すか。
マッドサイエンティストが信頼出来ない以上、妹から直接話を聞いてから二人の会話の内容から判断するしかない。場合によってはこの世から消すもやむなし。ただ、本当にそれで良いのかという懸念が残る。
「面倒な話だ」
妹とマッドサイエンティストが本当の意味で協力関係にあるのであれば、このタイミングで妹を下げるような発言は慎むべきだ。当事者である俺が話を聞いてどういう思いを抱くか分からないほど愚かではないだろう。
───俺を使って妹を始末させようとしている?
ないとは言わない。
タイミングから考えるに俺が最強のヒーローを殺した事で、ヒーロー側のスパイが必要なくなったと判断した。
マッドサイエンティストの策謀によって世界は大きく揺らいでおり、印象操作の影響で『ヴレイヴ』に対する非難の声は日々日々大きくなっている。これまでのようにヒーローとして活動するのは難しい。
そこまでを踏まえて、スパイとして送り込んだ妹を用済みと判断するのもまた、ありえる。悪の組織の脅威となる前に排除したいと考え、俺を使う事を選んだ。
妹が愛する俺なら、殺せると考えた。
「⋯⋯⋯⋯」
自分で考えて鳥肌が立った。俺の感性は殺しに対する倫理観を除けばまだ正常だと自負している。故に、妹が俺を愛しているという現実に対する拒否反応が凄い。
近親相姦などは創作の世界だけでやってくれ。間違っても俺を巻き込むな。妹が俺に向ける愛情は正直に言って気持ち悪い。
───胸ポケットに入れたスマホが振動する。
取り出して確認すると妹から長文のメッセージが届いていた。読むのも面倒に思う量だ。歩きながら読むのは人通りが少ないとはいえ、マナー違反に思え、立ち止まって読んでいるが長すぎて内容を理解するのに時間を要した。
要約すれば、マッドサイエンティストが語る話は嘘八百だから信じないでね。本当の事は今度二人っきりで会った時に話すからあーしの事を信じてね。最後に、『妹が兄を愛するなんてふつう有り得ないから鵜呑みにしないでね!』と、かなりの長文で強調されていた。
その否定が答えじゃないか?
出来れば最後の一文が本当であって欲しかったと心の底から思う。
「めんどくさ」
どいつもこいつも俺を巻き込みやがって⋯⋯。
世界征服を目論む悪の組織とそれを阻止する『ヴレイヴ』の世界をかけた戦いじゃないのか?俺を中心に争うな。考えるだけで面倒な事この上ない。
「⋯⋯⋯⋯」
妹からの長文メッセージで気分を下げながらも、足を進める。
───マッドサイエンティストと妹は同類だ。自己中心的であり、その欲望の為に他者を利用する事を厭わない。他者を駒として利用して、自分の思惑の為に動かす。
妹とマッドサイエンティストの違いはその欲望が個人に向けられているか、世界に向けられているかの違いだ。
妹はまだ分かりやすくていいが、マッドサイエンティストが何を狙っているかが分からない。世界征服だけじゃない、それより更に先を見据えているように思えて仕方ない。
「妹を味方に引き込むという手は」
ないな。即否定する。
マッドサイエンティストの話が事実だった場合、俺は間違いなく妹を殺す。そうじゃなかった場合でも、あの女と同格の化け物の手綱を握れる自信はない。
───危険なのはウルフか。
基本的に俺と一緒に行動する事が多いが、単独で動く時は注意が必要だな。
今回は何も無かったようだが⋯⋯。
「先輩!」
自宅であるアパートに近付くとウルフが駆け寄ってくるのが見えた。頭に生えた狼の耳を隠す為にニット帽を被っていた。
着信があった時刻を考えれば夜遅くまで起きていた筈だ。寝ていても可笑しくないと考えていたが、寝ずに俺の事を待っていたのか?
「悪いな、話が長くなって帰るのが遅れた」
「無事ならそれでいいけど」
ホッとしたようにウルフが息を吐く。
「それより、さっき先輩にメッセージを送ったんだけど見たか?」
「いや⋯⋯」
ウルフに言われてスマホを取り出して確認すると確かにメッセージが届いている。タイミングが悪い事に妹のメッセージと重なったようだな。
内容を確認すると、俺の親友を名乗る客人が家を訪ねて来ているらしい。事前に連絡もなしで、こんな朝早くから?
「そいつは今どこにいる?」
「家の中で待って貰ってるよ。以前、先輩からから聞かされた名前と外見的特徴が一致していたし、先輩にとっても大事な話だからって」
「⋯⋯⋯⋯」
出来れば俺に判断を仰いで欲しかったが⋯⋯いや、メッセージは送っている。連絡を見落とした俺の落ち度か。
「緊急の連絡なら『念話』を使え。スマホより確実だ」
「ごめんなさい」
頭を下げようとするウルフを手で制する。
「謝らなくていい。それで、客人はリビングか?」
「ああ!リビングに通している」
客人の対応をしてくれたウルフにお礼を言ってから客人の待つリビングまで足を進める。俺の親友と言われて、パッと浮かぶ人物は一人だけだ。
後ろにウルフを連れてリビングの扉を開けると、予想していた人物が椅子に座って待っていた。
「待たせたようだな、太陽」
「なんや、朝帰りかいな」
それまで壁を見つめていた太陽の瞳が俺に向けられた。
色んな感情がごちゃ混ぜになったような、深く澱んだ瞳。
「話があるんやけど、かまん?」
「そうだな⋯⋯俺もちょうどお前に用事があったところだ」
椅子から立ち上がった太陽の、背中に背負われた見覚えのある剣がこの場にいる理由を物語っていた。
───聖剣か。




