第四十五話 不幸の裏側
妹の事を認めてはいるが、それでも自分より上だとは思っていない。言葉にしていないが自信に溢れた顔がそう物語っている。
「フィクサーは潜伏先を見つけ、一人でフォリ様に接触してきた。話しているとイカれた女ってのはよく分かったぜぃ」
ひひひと楽しげに笑いながらマッドサイエンティストがワインを飲む。
他人事のように言っているが、お前も人の事を言えないくらいイカれているがな。と、言葉に出そうになったのをグッと堪えた。
「それでも互いに都合がいい相手だった。目的はどうあれ悪の組織の支配を望み、フォリ様たちが最も欲しかった情報を提供してくれる存在。協力関係を結ぶまでは早かった」
妹という存在は悪の組織にとってどこまでも都合が良かった。マッドサイエンティストからすれば、世界を支配した後に俺という贄を差し出せばいいだけだからな。それだけで欲しかった情報が手に入る。
「それから間もなくフィクサーは『ヴレイヴ』に加入した。正確には前身の組織だがな。ワールドとその配偶者の会話を盗み聞きしていた事を上手く使ったようだな。最終的に脅す形になったと言っていたが」
「脅し?」
「そうさ。フィクサーは話を聞いて面白そうだから加入したいとあくまでも興味が先である事を主張した。当然のようにワールドが危険だからと止めた訳だが、助手君を引き合いに出されて押し切られた」
「後は言わなくていい。何となくわかる」
その場にいなくても二人の会話は容易に想像がつく。組織に加入させてくれないのなら俺にこの事を話すとでも言ったんだろうな。俺たちを巻き込みたくなかった親父からすれば苦渋の決断だ。
妹の加入を止めれば俺まで巻き込むかも知れない。妹の加入を認めれば危険な戦いに娘を巻き込む事になる。二人巻き込むか、一人巻き込むか。その選択を強要され、親父は仕方なく妹の加入を認めた。
「ワールドは本当に巻き込みたくなかったんだろうな。フィクサーが組織に加入した後は直属の部下として自分の下に置き、目の届く範囲で守ろうとした。それが情報の漏洩に繋がっていると思いもしないでな」
ひひひひひ!と親父の心境を想像したのかそれはもう楽しそうに笑う。守ろうとした相手が実は宿敵と繋がっており、情報を全て流していた。親父からすれば悪夢のような話だ。
「さて、ここからが助手君も関わってくる話だ」
「俺が?」
飲み終えたマグカップをテーブルの上に置き、マッドサイエンティストが真っ直ぐ俺を見つめる。結構な量を飲んでいる気がするが酔いは一切感じさせない。俺も俺で怪人になってからは、ちょっとの量では酔わなくなったから人の事は言えないがな。
それはともかくてして、先程までの楽しげな表情から一変して真剣な顔で俺を見ている。続きを話す事を少し躊躇しているようにも思える。
数秒の間が空いた後、ようやくマッドサイエンティストが口を開いた。
「これまで助手君に起きた不幸の殆どにフィクサーが関与している。加えて言うならフォリ様も手を貸しているぜ」
体は自然と動いていた。
マッドサイエンティストの首を右手で掴み、死なない程度に締めながら体を持ち上げる。苦しげな表情を浮かべながら俺を見る目は、話を聞いて欲しいと訴えているようだった。
「嘘偽りなく話せ。内容次第では⋯⋯分かるな?」
短絡的な行動でマッドサイエンティストを殺す事は容易い。だが、後で後悔する事になるのは自分自身だ。今の悪の組織の事情を考えればマッドサイエンティストを殺すことは不味い。
ボスは燃え尽きている上に、マッドサイエンティストの替えがいない。破滅願望があるのなら何もかもめちゃくちゃにして終わりにしてもいいが、残念ながらそういう訳でもない。
この女が口にする内容によっては殺意が沸くかも知れない。だが、今は殺せない。殺すなら全てが終わった後⋯⋯。
───首を掴んでいる手を離して、軽く放り投げると重力に従って床に落ちる。大した高さではないが、お尻を強打したのか大袈裟に痛がりながら転がっている。
この事から分かると思うが、マッドサイエンティスト自身は怪人へと変異していない。強度は普通の人間と変わらないレベルだ。
「予想はしていたが、手荒いなぁ助手君」
「早く話せ」
お尻を擦りながら文句を言うマッドサイエンティストに続きを促せば、ブツブツ文句を言いながら椅子に腰を下ろす。意外と余裕があるな。自身が殺されないと確信を持っている。
あるいは俺の体を弄った時に何かしらの対策を講じたか⋯⋯。用心深い女だ、それくらいはやってそうだな。
「この機会だ、腹を割って話そうぜ助手君」
会話の空気が変わるかと思いきや、俺の視線をお構い無しにマッドサイエンティストがワインを注ぎ始めた。肝が据わっているのが腹が立つな。
その様子にため息を吐きながらテーブルの上の缶ビールを手に持つ。
「話すのはお前だ、フォリ」
「ひひ、それもそうだな」
酒を飲むと本音が出る等と言われてはいるが、この女にはそれは通用しないだろうな。見た感じまだまだ素面だ。
「助手君も知っての通り、フィクサーは助手君を愛している」
「鳥肌が立つから強調して言うのはやめろ」
未だに脳が現実として受け入れるのを拒否しているレベルだ。実の妹と過ごした年月が長いだけに、その情報が与えた不快感はとてつもなく大きい。
「そこが重要なのさ、助手君。考えてみろよ、愛してやまない助手君に恋人がいる事をフィクサーが素直に受け入れるか? 世界を売ってでも助手君と結ばれたがってる異常者が?」
「⋯⋯⋯⋯」
「その沈黙が答えさ」
妹は、あらゆる手を使って俺と恋人との仲を引き裂いてきた。俺に感づかれないように慎重に、そして巧妙に。
「助手君の最後の恋人もフィクサーが裏で手を回している」
もっとも、妹が特別な事をしなくても勝手に進展するほど頭も股も緩い女だったそうだ。知りたくもない情報だったな。どうも俺に女を見る目はないらしい。
「フィクサーは助手君に精神的負荷を与える為にわざと性行為の現場を目撃させるように仕向けた。狙いは心を弱らせて自分に依存させる為さ。案の定、助手君の心は弱った訳だ」
「⋯⋯⋯⋯」
「とはいえ、全てフィクサーの思い通りに動くのは面白くないからな。邪魔してやったぜぃ」
マッドサイエンティストが妹の邪魔をしたのはそれだけの理由ではない。妹の狙い通りに俺が依存すれば、その時点で妹の望みは叶った事になる。つまり、悪の組織に協力する理由がなくなる訳だ。
妹からすれば悪の組織が世界を支配しようがしまいがその時点でどうでも良くなっているからな。変革した世界の方が都合が良いだけで、先も言っていたように既成事実を作って日本以外の国に移住するという手をある。
いや、むしろ妹からすればせっかく手に入れた幸せを壊す可能性がある悪の組織は邪魔だ。排除する為に動くだろう。身内にそれを実行出来る戦力がいる。
マッドサイエンティストからすれば面白くない話だ。
「その後は多忙で動けなくなったフィクサーに変わって、フォリ様が助手君にちょっかいをかけた。あの化け物が執着を向ける相手がどんな奴か気になったからな」
当時の事を思い出したのか、楽しそうに笑いながらワインを飲んでいる。
逆に俺は既に酒を飲む気力も失せている。何もかも妹の思惑通り。あるいはマッドサイエンティストの掌の上。そんな現実を知らされて良い気分でいられる筈がない。
決めた。
───妹は後で必ず殺す。




