第四十話 切り裂きジャック
一先ず場所を移すことにした。
家に入れたとして見られて困るものはないが、念には念を入れて太陽の相談の席としても使ったカフェ『ブリリアントマドンナ』へ向かう。
昔は『野花』とかいう店名だったが、娘が生まれた事で改名したと聞いた。娘が私に似た美しい女性になって欲しいとか、そういう理由で奥さんが名付けたと店主が嘆いていた。
それはともかく。お店までの道中、妹が喧しくて仕方なかった。
『どうして部屋に上げれないの?』
『もしかして同棲している彼女がいるとか?』
『あーしを連れて行くなら映えるお店でお願いね!兄貴』
など。女性特有の好奇心で踏み込んできたり、面倒な要求をしてきたりと、久しぶりの妹との会話としては中々に煩わしかった。
カフェに着けばこの地獄から解放されるかと思えば、そんな事もなく。店の雰囲気がどうとか、メニューがどうとか、口を閉じている俺とは真反対に喋る喋る。
ようやく話題が変わったと思えば仕事の愚痴。聞いているこっちの気分が滅入って仕方ない。
「それでさー、夜遅くまで乙女に仕事させるのは良くないって抗議したわけ。そしたら責任者がなんて言ったと思う?」
「知らん」
「他の社員も同じ労働環境で働いているって言うの!ありえなくない!」
この状況の方がありえないだろう。これが久しぶりに会う兄妹の会話か? なんで妹の愚痴を休みの時に聞かされないといけないんだ。
軽率に太陽に予定を送った俺も悪いが、妹にそれを横流しにする太陽はもっと悪い。後で抗議の電話でもしてやろうか。
太陽の言い分としては、妹から何度も何度もしつこいくらいに頼まれて仕方なく教えたと言っていたが、それがどこまで正しいか。
「ご注文のホットコーヒーと、キャラメルラテです」
バイトの店員が妹の会話に割り込む形で注文していた商品を持ってきたのは俺からすれば都合が良かった。聞きたくもない愚痴を終わらせて本題に入りたかったからな。
「それで、なんの用で家に来たんだ?わざわざ太陽に俺の予定を聞いたそうだが」
別に俺の方から着信拒否やブロックをした訳ではない。妹からの連絡は以前のように届く。わざわざ太陽に聞く必要はないだろう。まぁ、返事を返したり電話に出るとは限らないが⋯⋯。
それが理由か。
納得はしたが、何の目的で来たかは未だに不明だ。心当たりがあるとすれば親父の死くらいか?
「んーとね。タイミング的にもそろそろ打ち明けていいかなって思って」
「何をだ?」
「答える前にさ、一つ聞いていい?」
机の上に頬杖をついた妹は、楽しそうに笑いながら俺に問いかけた。
「パパを殺して、今どんな気分?」
キュイーンという歯医者で聞くようなドリルの音が部屋に響き渡っている。椅子に腰掛けて、目の前で行われている改造を見ているが中々にグロテスクな光景だな。
実験台の上には変異した怪人が横たわっている。ウルフからの引き継ぎ内容では、今日の業務でウルフが捕らえてきた悪人が変異した怪人だそうだ。
適合率は35%と低いとも高いとも言えない微妙な数値ではあるが、少しだけ自我があるそうだ。俺たちのように流暢に会話は出来ないが、子供のようなたどたどしい言葉で話すことが出来る。
見た目は完全にクマの化け物だ。森で出くわせば童謡のようなやり取りが出来るかも知れない。かなり残酷な結末を迎える事になるがな。
「それで 、そいつはどうするつもりだ? 自我はあるが戦力としては期待できないだろう」
適合率の高さは怪人の強さに比例する。自我を持っているとはいえ35%程度では大した強さではない。一対一なら勝てるくらいか?戦力として数えるにはあまり弱い。
「ひひひ、まぁ使い道はあるぜぃ。喋れるってだけで対話を選ぶヒーローもいるからな。油断したところをこれでボンっさ」
邪悪な笑みを浮かべたマッドサイエンティストが怪人の中に特大の爆弾を埋め込んでいく。ヒーローに勝てるならそれで良し。負けるようなら道連れか。悪の組織らしくていいじゃないか。
しばらく改造作業を眺めていたが、作戦開始の時刻が近付いてきた。
「フォリ様に聞きたい事があったんじゃないか、助手君」
椅子から立ち上がったタイミングで、こちらに振り返ったマッドサイエンティストがそう口にする。
聞きたい事は正直に言って山ほどあるが、それは作戦を中断してまで行う事じゃない。
「手早く済ませてくる。帰ってきたら聞かせて貰う」
「ひひひ、いいぜ。今日は眠れない夜になりそうだな」
マッドサイエンティストの笑い声を背中に浴びながら実験室を後にする。腕時計を見れば時刻は23時を指していた。まだ余裕はあるな。
薄暗い廊下を歩いて瞬間移動装置が設置されている部屋へ移動する。
マッドサイエンティストが割り出した次の犯行予定地に近いのは、ここか。
瞬間移動装置を起動すれば景色が変わる。アジトと違って移動の為にしか使わないこの隠しアジトは必要な時以外は照明を完全に切っている。
その為、移動した先は真っ暗であったが、怪人になった影響か暗闇の中でも活動は出来る。夜目でもはっきりと物が見えるのは便利ではあるかが。
「汚いな」
ただ、他のアジトに比べるとここは明らかに汚い。使用頻度が少ないのもあり、埃が溜まっている上に物置として活用しているせいか、無駄に物が多い。
高く積み上げた箱にぶつかって崩せば面倒な事になる。足の踏み場もないほど散らかった部屋を慎重に歩いて外に出れば、美しい夜景が広がっていた。
夜空の星や月も良いが、高層ビルの人工的な明かりもまた、たまに見る分には美しい。この夜景を肴にビールを飲めればどれほど素晴らしい事か。残念な事に夜景に見惚れている余裕はない。
腕時計の時刻は23時15分。もう間もなくだな。
───切り裂きジャックには、殺しの拘りがある。
ターゲットは全て女性である事。体を引き裂いて臓器を全てぶち撒けていること。そして、犯行は必ず金曜日の23時23分に行われている。
「こちらクロ、そろそろ到着する」
夜の闇に紛れて建物から建物へと飛び交わして移動し、次の犯行予定地である裏路地へと到着した。
それと同時に鼻を通る血の匂い。
現在時刻は23時23分。ジャストだな。
血の匂いに導かれるように裏路地を進んでいくと、人影が二つ視界に入った。
一つは既に事切れた死体。
一つは死体に対して刃物を振り下ろす人物。
そのまま歩みを進めると、足音に気付いた人影がこちらに振り返る。
「あれぇ、黒月さんじゃないですかぁ?なんでこんな所にいるんですか?」
柔らかい笑みと共に、形の良い口から紡がれる美しい声。さりとて、全身に浴びた赤い血は、隠しきれない狂気を感じさせる。
───人には二面性があると言うが、その通りだったな。
「それはこっちの台詞ですよ。なんで貴方がここにいるんですか、佐藤さん?」




