第三十八話 アリシア
知らない女だ。
ママを自称しているが間違っても俺の母親ではない。
「何者だ?」
金糸のような髪がユラユラと揺れている。髪が靡くと共に髪が隠していた尖った長い耳が露出する。創作に出てくるエルフのように尖った耳だ。
修道服⋯⋯シスターか何か?
ただ、やはりというべきか俺の記憶にはない。
慈愛を感じる翡翠の瞳も、聖母のように微笑む笑顔も、俺は知らない。
「そっか!颯人はママに会った事がなかったもんね!ママの事知らなくても仕方ないよね!」
うんうん、と勝手に納得して頷いている。
なんだこの女は?
絶世の美女。この世のモノとは思えない美しさを誇っている。
それでも俺が持つ印象は『気持ち悪い』。その一言に尽きる。
誰だか知らない女が、俺の名を呼び『ママ』と自称する。これを受け入れる人間がいれば見てみたい。そして関わらないでくれ。
「私の名前はアリシア!『聖女』アリシアって呼ばれているよ」
ふふふっと口元に手を当てて上品に女が笑う。聖女アリシア?
知っている人間ではない。だが『聖女』という単語に覚えがある。
「親父の知り合いか」
「そうだよー!私はね、総一郎の恋人だったの!」
短いやり取りではあるが、この女が苦手なタイプである事だけは分かる。恋人だったの!じゃない。俺が聞きたいのはそんな事じゃない。
「そんな事はどうでもいい。何故、『ママ』と自称する?俺の母親はお前ではない」
既に捨てた肉親ではあるが、少なくともこの女ではないのは確かだ。外見的特徴はこの女に確かに似ているが⋯⋯似ている?
「確かに、私は颯人のママじゃないよ。総一郎の恋人だったけど、颯人を産む前に亡くなっちゃったし」
「じゃあ他人だろ」
マッドサイエンティストから異世界の事情は聞いている。親父の仲間である聖女の死が、マッドサイエンティストたちにとって大きな転機だった事もあり、恨み節を吐くような説明ではあったがな。
聖女の死から二年で戦いが集結し、それから二年あまりの歳月を経て親父たちがこの世界に帰ってきた。
俺が産まれたのは親父たちがこの世界に帰ってきてからだ。それも出来婚だったと母親から聞いている。心底親父を蔑んだものだ。
ここまでの情報を整理すると、やはり他人でしかない。
親父のかつての恋人とかいう絶妙な立ち位置の女が、ママを自称するとかどういう地獄だ?
「他人じゃないよ!颯人のママとは双子の姉妹だし!颯人が産まれた時からその成長をずっと見てきたんだよ!これはもう!ママと言っても過言じゃないよ!」
「過言だろ」
───イカれているのか、この女は。
最悪なのはこの女が他人ではないことが判明した事だ。
母親の双子の姉妹か。姉か妹かは不明だが、『おば』に当たるのは確かだ。こんなイカれた女と同じ血が流れている?
マッドサイエンティストにお願いして、血を抜き変えて欲しいと思うほどだ。
「颯人がオムツを履いてた時も!友達と遊んでる姿も!恋人とイチャイチャしているところも!全部全部見て!見守ってきた!」
「⋯⋯⋯⋯」
「颯人は聖剣の所有者じゃ無かったから霊体の私は見えなかったけど⋯⋯ずっと傍にいたんだよ」
絵画に描かれる一枚の絵のように、心を奪われる美しい笑み。
一瞬でも見惚れてしまった事実に腹が立つ。
「ずっと傍にいただと?」
「うん!私の活動範囲は聖剣に依存するから、颯人が家を出た後は様子を見に行けなかったけどね」
聖剣の所有者にしか見えず、活動範囲は聖剣依存か。今の話が事実ならば、聖剣の所有者である親父にはこの女の姿が見えていた事になる。
かなり複雑な生活環境だった筈だ。どういう心境で生活していた?
いや、どうでもいいか。親父のことなど。
「だから全部見てたよ。総一郎とのやり取りも、戦いも、全てね」
初めて女の笑みが曇ったな。
泣きそうな顔で俺を見つめている。いや、俺を通して誰かを見ている。それが親父である事は直ぐに分かった。
「で、結局お前は何が言いたい?何がしたい?何のために俺の前に現れた?」
この特殊な状況に陥ったのは初めてだ。
一目で夢と分かるバカが考えたような夢空間。見晴らしの良い草原を駆けるファンシーな生物たち。空を見上げれば微笑む太陽。
あまりにイカれた空間に頭が可笑しくなってしまいそうだ。こんな夢は見た事がないし、見たいとも思わない。
俺の直感でしかないが、この女が俺をこの空間へと導いた。『やっと会えた』だったからな、会いたくて仕方ないというこの女の想いがこの状況を生み出したと考えて良い。
問題なのは何の目的で俺の前に現れたかだ。親父に親しい人物であるのは確かだ。元恋人であり、死した後も親父の半生を共にした人物。下手をすれば母親よりも親父との関わりは深いかも知れない。
聖剣に宿った魂。相棒とも言える存在。
親父と戦い、俺の手で親父を殺したその事で文句を言いたい⋯⋯訳ではなさそうなのが困る。余計にこの女の目的が分からなくなってきている。
「私は二人の間にある誤解としがらみを解いてあげたかった。だって親子で殺し合うなんて悲しい話じゃない!」
「それももう手遅れだ」
「⋯⋯そう、だね。けど、また会えるよ。総一郎の魂は聖剣に宿った。颯人が望めば家族三人で仲良く話が出来るんだよ!」
───会話が辛いと感じたのは九条院以来だな。
誰も親父との和解など望んでいない。それはそっち側の都合でしかない。加えて言うならお前は家族じゃない。
親父側にどんな事情があろうと、既に動き始めた歯車は止める事は出来ない。手遅れだ、何もかも。
俺は悪の組織の一員として生き、血に染まる悪の道を歩くと決めた。今さら元の生活には戻る事は出来ない。
「それに颯人が望めば、聖剣の力を使えば⋯⋯貴方の中の怪人細胞を取り除く事が出来る。まだ戻れるんだよ颯人!」
「そうか⋯⋯」
───夢から醒めて、速攻で聖剣をへし折った。




