第三十五話 踏み砕かれる想い
ヒーロー殺しの悪名で最優先討伐対象に指定されている悪の組織の幹部、仮面の怪人の討伐が正式に決定した。
以前からその危険性を訴えかけてきたというのに、行動に移すまでがあまりに遅い本部の連中に苛立ちを覚えてしまう。
───もう少し早く動いていれば『アルカトラズ事変』と呼ばれる、仮面の怪人が引き起こした惨劇も起こらなかっただろう。
あの戦いで私は半生を共に過ごした友を失った。
仮面の怪人の討伐は本部の決定であると共に、敵討ちの機会でもあった。
───異世界を共に過ごした戦友であり、『ヴレイヴ』本部総司令官であるアレキサンダーの立案した作戦を共に煮詰めた。
世界各国から招集されたヒーローたちに作戦の共有を終えると、仮面の怪人討伐の作戦は実行に移された。
全てが順当だった。
作戦通りに仮面の怪人を誘き出す事に成功し、被害を抑える為に予定していた戦場まで誘導する事ができた。
ヒーローに囲まれればせっかく誘き出した仮面の怪人が逃げると考え、戦闘を行うヒーローは私だけとなった。
ユーベルの戦力を想定すれば、私一人でも仮面の怪人を討伐する事が出来る。それが私と『ヴレイヴ』本部の見解だった。
───それが過ちであったと気付いたのは、全てが終わった後。
私自身の強さを過信した。敵戦力を低く見過ぎた。
その結果が、これか。
仮面の怪人との戦いに破れ、全身に走る痛みによって体は思う通りに動かない。加えてヒーロースーツの損傷が大きい。
既に私に戦うだけの力はない。だが、だからと言って譲れないものはある。私には命を賭してでも守らなければならないものがある。
息子を殺すと言われようと『息子はいない』とシラを切る。動揺を出すな。颯人を戦いに巻き込まない為に、家族の絆を切ったのだ。心を鬼にしろ。
「そうか、なら良かったな」
仮面の怪人が素顔を隠す、仮面を取る。
「お前の前にいるのは、ただの敵だ」
そこにあったのは、愛する我が息子の顔だった。
───何故、仮面の怪人が外した仮面の先に颯人の顔がある?
───何故、ここに颯人がいる?
「どうした、顔色が悪いぞ」
先程までの機械音とは違う。聞き覚えのある声。忘れる事も出来ない大切な息子の声。
現実を否定したい。
有り得る筈がない。そんな筈がない。
込み上げてくる私の想いを否定するように、颯人が笑う。見たこともない無感情の、笑み。
「⋯⋯なぜ⋯⋯颯人がここに⋯⋯」
ようやく絞り出せた声が、震えていたのが自分でもわかった。
「先程まで戦っていた相手に投げる問いかけじゃないだろ?さっきも言っただろ、俺はお前たちヒーローの敵だ。悪の組織の幹部としてここにいる」
颯人の口から告げられた言葉は私にとって受け止める事の出来ない、現実の通告だった。
そんな筈がないと脳が否定する。
だが、現実は私の視界を通して訴えかけてくる。お前は間違えたのだと。
「私はまた⋯⋯間違えたのか?」
戦いから遠ざける事が最良の選択肢だと思った。
颯人と最後に出会ったあの日。
本来ならば事情を話して、共に戦おうと誘うつもりだった。私と妻の血を引くあの子ならばヒーローとしての素質を持っていると確信していた。
だが、あの日私が見た颯人の瞳は死んでいた。
───私と一緒だ。
現実に打ちのめされて、何もかもが嫌になって死のうとすら考えた。あの日の幼い私と颯人の姿がダブって見えた。
嗚呼⋯⋯ダメだ。この子を戦いに巻き込んではいけない。
この子は私と同じになる。
私と同じように戦いに己の存在意義を見出すようになる。
それは血に濡れた修羅の道。
今でも悪夢として見る、忘れてはいけない過去の罪。それは敵を殺す事で賞賛を浴び、戦いに自分の価値を見出したバカな男の過去の話だ。
颯人も戦いに身を置けば私と同じとなる。
同じ道を歩み、私と同じ地獄を進む事になる。
そんな事はしてはいけない。颯人はこちら側に来ていけない。
そう思った私は家族の縁を切る事で颯人を戦いから遠ざけようとした。
荒っぽいやり方なのは認めよう。
それでも悪の組織の魔の手から颯人を遠ざけるにはその手しかないと思った。
『ヴレイヴ』本部で保護すればいずれ、颯人は戦いに魅入られる。それでは意味がない。
私達から距離を取らなければ颯人は必ず戦いに巻き込まれる。
名前を変え、他人を演じた。
そして万が一に備えて、警護の者を颯人につけた。
「そんな筈はない⋯⋯、アイザックからそのような報告は受けていない!」
だからこそ信じられない。
颯人につけた警護の人間は共に異世界で地獄のような戦いを共にした戦友であり、親友でもあるアイザック。
彼以外に適任はいなかった。
心療内科の先生でもあったアイザックならば、心が壊れかけた颯人も救ってくれる。実力も知っていた。
例え悪の組織の魔の手が忍び寄ってきたとしても、彼の実力ならば私が到着するまで耐え凌ぐ事が出来る。
私の選択は間違いではなかった⋯⋯筈だった。
アイザックの報告で徐々に颯人が以前のように明るくなっていったと報告を受けた。
書面の方は互いに面倒になった事もあり、通話による報告に切り替えたが、几帳面な性格な彼は毎日のように事細かく颯人の生活を報告してくれた。
悪の組織との戦いが激しさを増していく中でも、颯人が戦いに巻き込まれず無事であることが私にとって何よりの救いであった。
だが、現実はその全てを否定する。
アイザックが警護する事で悪の組織の魔の手から護った筈の颯人が、仮面の怪人として私の前にいる。
それが意味する事は───親友の裏切り。
「私はまた護れなかったのか」
いや、まだだ!私が諦めてどうする!ここで諦めれば颯人は救われない!私が颯人を救わなければならない!
「私が!!!」
☆
「私が!!!」
傷だらけの体で立ち上がり、必死の形相で親父が迫る。
使命感。正義感。あるいは父親としての意地。
───私の手でお前を救う。
強い意志を感じる瞳は言外にそう言っているようだった。
「誰も求めちゃいねーよ。今更、救いなんて」
あまりに緩慢で、そして傲慢なその行いを全て否定するように。
親父が大切にしていた剣で、その首を切り落とした。
「⋯⋯はや⋯⋯と⋯⋯」
右手を俺に伸ばした体勢で、ゆっくりの体が地に沈む。首から流れ落ちる赤い液体が、赤い血溜まりを作っていく。
「⋯⋯⋯⋯」
───何も感じなかった。
この手で親父を殺したというのに、平然とその死体を見下ろす俺がいた。
「そうか⋯⋯やはり俺はもう」
───人間ではなくなってしまったか。
自分の中の天秤が大きく傾くのが分かった。
自嘲するように笑いながら天を仰げば、雲一つない青空が広がっている。
清々しいまでの青空。だからこそ、ポツリと現れた黒い点は異質であり、その存在に直ぐに気付く事が出来た。
それは恐ろしい速度でこちらに迫っており、数秒もすればソレが何か分かるほど距離は縮まっていた。
「黒月 総一郎ぅぅぅぅ!」
───空から飛来した、藤色の巨竜が既に遺体となった親父を踏み潰した。
「ボスか」
落下する勢いのままにその巨大な足で親父の体を踏み潰しながら現れたのは我らがボスであるユーベル様だ。
普段の子供のような姿と違い、ゲームやアニメで出てくるような巨大な竜の姿をしていた。この姿のボスが所謂本気モードというやつではあるが、普段から慢心しているせいで変身する前にヒーローにやられて逃げるのが常である。
近付いてくるのが遠目に見えた為、ボスが落下してくるのに合わせて取った回避行動が間に合ったが、少し遅れていたら俺まで潰されていたな。
現にその場に捨ててきた親父が大切にしていた剣は、遺体と一緒に跡形も残らず踏み潰されている。これまでの鬱憤を晴らすがごとく、何度も何度も踏みつけてられて。
『ひひひ!実の父親が相手でもお構い無しか!流石は助手君だ!』
頭の中にそれはもう楽しげに笑うマッドサイエンティストの声が響いている。どういう訳か知らないが、この女は俺の手で親父を殺して欲しかったらしい。俺と親父との会話の最中にも煽るような発言を何度かしていた。
ウルフとロビンソンが撤退したからヒーローが駆けつけてくる前に早くトドメを刺せとか、親父の言葉を遮るような真似すらした。
マッドサイエンティストが言っていた面倒な奴というのは、ボスの事で間違いないだろう。俺が殺す前にボスに殺されるのを嫌がったか⋯⋯。
───何か企んでいるな。
別に殺す事に躊躇いはないし後悔もない。だが、あの女の掌の上で踊っているのは癪だ。
面倒ではあるが、一度話し合いの場を設ける必要があるか。
「フォリ聞こえるか」
『ひひ!なんだい助手君?』
楽しそうで何よりだな。俺はお前のせいでテンションが下がっていく一方だ。まぁいい。
「後で話がある。時間を作れ。色々と聞きたい事がある」
『⋯⋯ひひ、了解。異世界の事や助手の親父の事だな』
マッドサイエンティストはワールドの正体が誰か知っているような口調だった。その上で俺と戦わせ、どういう意図があるのか知らないが俺の手で殺させたかった。
それにマッドサイエンティストが遮った事で最後まで聞こえなかった発言。『アイザック』だったか? その名は親父の親友の名だ。
『アイザックからはそのような───』
動揺を隠せない様子でそう叫んでいた。マッドサイエンティストが遮ったという事は、あの女にとって都合が悪い話という事だろう。それを含めて話して貰おう。
この先の事を考えれば避けては通れぬ道だ。
───これから悪の組織がどこへ向かうか、明確化するとしよう。




