第十七話 デジャブ
分かった。俺の認識が甘かった事は認めよう。その上で言いたい。流石の俺もこの女の思考回路を一ミリも理解出来そうにない。本当になんなんだコイツは。
「おもしれー男、だと?」
「面白い!金持ちである私をここまで無下にした奴は初めてだ!」
「そうか」
本当に面白そうに笑っている。その視線の先にいるのが俺でなければ、同様に笑い飛ばす事が出来ただろう。
まさかコミックかなんかで聞いた事があるような発言を聞くとは思わなかったな。先程の扱いを無下として認識しておいて、まだ好意があるのなら尚更イカれているとしか言いようがない。
「知っての通り私は金持ちだ。ものすごい金持ちだ。日本、いや世界有数のとてつもない金持ちだ。貧乏人には分からないだろうが有力者を始め、私は様々な者と関わってきた。多くは私の肩書きを見て近付き、私ではない何かを見て言葉を交わす。何が目的で私に近付いてくるかはその目を見れば嫌でも分かる」
金持ち特有の悩みとでも言うべきか? 庶民である俺には無縁の話だ。金持ちや権力者に気に入られ、甘い蜜を吸おうと企む者は多くいる。
彼女はそういった者たちにそれこそ数え切れないくらい出会ってきた事だろう。欲の孕んだ目と目を合わせ、気に入られようと本音を裏に隠した者と会話をする。考えただけで嫌気がするな。
「その言い方からすれば、俺は違ったと言いたいのか」
「違う。⋯⋯颯斗と出会ったあの店、名前はなんて言ったか」
「『居酒屋立花』だ」
「そう、居酒屋立花だ。そこで颯斗と初めて出会った時に私は確信した。この男は私がこれまで出会ってきた者たちと違うと」
真剣な表情で俺を見る九条院の瞳に僅かではあるが、熱が籠っているのを感じた。嫌な視線だな。
カフェカウンターでこちらの話に聞き耳を立てているマッドサイエンティストに視線をやれば、俺の意図を察したのか小走りで近寄ってきた。
「お呼びでしょうか?」
俺の知っているマッドサイエンティストとは正反対の言葉遣いと、声に笑いそうになったが堪えた。
九条院に話を遮った事を詫びて、何か飲み物を頼まないかと提案し、コーヒーと紅茶を頼んだ。この店ではダージリンを主に扱っているらしい。
注文を聞いたマッドサイエンティストが小走りで離れていくのを目で追っていたら、こほんっと咳払いが耳に入った。九条院が俺の注意を引くためにしたものだな。視線を戻せば満足そうに九条院が頷く。
「すまない。話の途中だったな」
「いや、構わない。私の器は婚約者の我儘を許さないほど小さくない。金持ちには余裕がある」
婚約者じゃないと、先程否定したんだがな。耳が付いていないのか脳みそが腐っているのか、そのどちらかであって欲しい。
「婚約者になる気はないと言った筈だ」
「颯斗は、あの運命的な出会いをおぼえているか?」
「おい、俺の話を聞け」
「あの日は普段持ち歩いている札束を無くした後だった。だが、カードを持ち歩いていたから問題ないと思ってあの店に入った訳だ」
俺の抗議の声を完全に無視して話を進める九条院に、イラッときたのは事実だ。その苛立ちを抑え、頭の中に過ぎった疑問を九条院に投げる。
「その事で聞きたい事があった。何故『居酒屋立花』に入った? あの店は金持ちであるお前が立ち寄るような店ではないだろう」
あの店は仕事帰りのサラーリーマンをメインの顧客にしている民衆向けの居酒屋だ。懐石料理もコース料理も出ない。バナさんの料理が美味い事は確かだが、金持ちが望む料理は出ないだろう。
正直に言って、九条院レベルの金持ちが立ち寄る店としては不相応と言えた。だからこその疑問だ。
「あの店はレッドの⋯⋯同僚の家族がやっている店だ。同僚からお父さんは料理が美味しいと散々聞いていたからな。あのレッドが⋯⋯同僚が美味しいと絶賛するなら一度食べてみようと足を運んだ。そう考えればレッドこそが私たちのキューピットだったと言える!」
九条院がヒーローである確率は高かったが、思いっきり自分の口で言ったな。言い直してわざわざ同僚と言っていたのに、最後は普通にレッドと言い切っていた。間違いないな。コイツがシャイングリーンか。
コーヒーと紅茶を淹れているマッドサイエンティストに目でサインを送ると、親指と人差し指で丸を作るオーケーサインを視認できた。
マッドサイエンティストに何かをしろという命令ではなく、ヒーローだから気を付けろよという意味合いでのサインだ。
補足的な話ではあるが、身長が小学生と変わらないマッドサイエンティスト用にキッチンやカフェカウンターの周辺が床が高くなっている。そのお陰で飲み物の準備をしているマッドサイエンティストの姿が見えた訳だ。
ともかくとして、この面倒事の発端となったシャインレッドは今度見掛けたら怪人に任すのではなく、俺の手でボコる。
いや、待てよ。レッドの父親の店という事は⋯⋯バナさんがシャインレッドの父親という事になるのか。知らない方が良かったな。その方が後腐れもなくシャインレッドを倒せたが⋯⋯。
「分かった。答えてくれて感謝する。話を戻そう」
「そうだな。颯斗に一つ聞きたい。颯斗は店の者と私が揉めている所に颯爽と現れた訳だが、颯斗は店の者と私のやり取りを聞いていたな?」
「俺が座っていたカウンター席はレジに近い。嫌でも聞こえてきた」
「そうか!つまり颯斗は私が金持ちだと分かった上で、私を助けに来た。そういう事だな」
間違っても九条院を助けた訳ではない。九条院に絡まれて可哀想な事になっていたバナさんとその奥さんが助けに行った。
その旨を伝えたが『照れなくていい、私にはちゃんと分かっている』と返答が返ってきて、頭を抱えた。
───ザザっと頭の中にノイズが走る。今の体勢なら自然な形で応答出来るか⋯⋯。指を僅かにずらして人差し指と中指をこめかみに添えて、応答する。連絡の相手はマッドサイエンティストか。
『聞こえているな助手君。飲み物を持っていく時に発信機を渡すから、そこの客に気付かれないように服か鞄に付けて欲しい。頼んだぜぃ』
それから間もなく、コーヒーと紅茶を淹れたマッドサイエンティストが小さな足音と共に俺たちのテーブルへとやってきた。
「ご注文の商品でございます」
コーヒーと紅茶をテーブルに置いたマッドサイエンティストが、机の下でこっそりと俺に発信機を握らせてきた。手の感触からかなり小型だな。落とさないように注意しながら受け取った発信機をスーツのポケットに隠しておく。
離れていくマッドサイエンティストを横目にコーヒーを一口飲む。九条院も同じように紅茶を口にし『美味しい』と感想を漏らしていた。今の反応を見る限り、マッドサイエンティストが俺に発信機を手渡した事には気付いていないだろう。
マッドサイエンティストからの頼みは帰り際にさり気なくボディタッチした時に付けておけばいい。
「なるほど、颯斗がこの店を指定する訳だ。金持ちであるこの私の舌をうならせる味。いい腕だ」
「そうだな」
この店に来たのは二度目だが、一度は移動用で来ただけで実際にコーヒーを飲んだのは初めてだ。というよりマッドサイエンティストが作った飲食を口にしたのも初めてだ。
悪の組織で接するマッドサイエンティストを知っていると、コイツが作った飲食物を食べたり飲んだりしようとは思えない。何が入っているか分からないからな。
だからこそマッドサイエンティストが淹れたコーヒーが思いの外美味くてびっくりした。俺が淹れるインスタントコーヒーとここまで味が違うとはな。
「また話が逸れたな。先程の話の続きだ。お前が言う通り金持ちだと分かった上で九条院を助けた。なら、お前がこれまで出会ってきた者と俺は同じという事になる」
「そうだな。私も店を出るまでは私に恩を売る為に行ったものだと思っていた。金持ちである私は恩を仇で返すつもりはない。相応の謝礼は返すつもりだった」
記憶を思い返してみると店内でのやり取りの時のこいつは今ほど面倒ではなかった。酔っ払いの延長だと思えばまだ、気は楽だった。
こいつの態度が変わったのは───。
「店の外に出て颯斗の目を見た時は、私は心を射抜かれたような錯覚に陥った。私に対する雑な扱い、そして金持ちであると認識して尚、私を見ていない瞳!お前は金持ちである私に興味がなかった。その目に欲がなかった。なら何故私を助けたのか考えた。お前は金持ちではない。ただの私が好きなのだろう?九条院ではない、私が?」
───何を言っているんだこいつは?
「颯斗が私を好きなように、私もお前の顔は好みだったからな。だから付き合っても良いと考えた。けど、途中で考えが変わったんだ。颯斗のような男は初めてで、心の奥底から颯斗を逃すなと訴えかけてくる声がした。それこそが私の本能だ」
───脳が理解を拒んでいる。
「だから私は、颯斗が欲しい。私の伴侶になれ颯斗。金持ちである私はこれから先、一生涯に渡って颯斗に苦労はさせない。私が愛するように私を愛せ」
───恋人も婚約者もすっ飛ばして伴侶になれか。イカれてるのかコイツは?
何時だったか向日葵に『これオススメだから読んでや!』と言われて読まされたラブコメのヒロインの気持ちが少し分かった。
いや、流石に九条院ほど酷くはなかったが、本当に興味も好意もないから冷たく扱ったら『おもしれー女』って興味を持たれるのは引くだろう。それと同じ⋯⋯それ以上の事が現実で起きている事実に目眩がする。
「九条院⋯⋯」
「優馬と呼べ颯斗!」
「最初に言っただろう、俺はお前の恋人になる気も婚約者になる気も、ましてや伴侶になる気もない。これ以上勘違いしないように断言しておいてやる。俺はお前に好意を抱いていない。もっと言えば俺はお前が嫌いだ」
───だから、俺の前から消えてくれ。
俺の言葉に九条院が笑みを浮かべる。嫌な予感がした。
「おもしれー男」
───俺たちの会話を聞いていたマッドサイエンティストが九条院の一言で盛大に吹き出したのが分かった。
「嵐のような女だったな、助手君」
「ここまで話が通じない相手は初めてだ」
体力の全てを持っていかれたような脱力感がある。先程まで九条院が座っていた席にちょこんと座り、俺と同じようにコーヒーを飲むマッドサイエンティストは楽しそうに笑っていた。
「助手君がいくら断っても『おもしれー男』って返すのは爆笑だったぜぃ!」
「ふざけろ」
他人事だから笑えるだろうが、当人である俺からすれば全く笑えない。マッドサイエンティストが言うように何度も断った、好意を持っていない。好きではない。嫌いだ。死んでくれ。罵倒の限りを尽くしたが『おもしれー男』の一言で全てを流してくる。
───無敵かこいつ?
戦慄した。怪人として数多のヒーローと戦い数多の怪人を見てきたがこんな化け物は初めてだった。最終的に、
『颯斗が私を嫌いなのは分かった。好きではなく嫌いなのだな!ならば脈はある!好きの反対は無関心。嫌いという事ならばまだ颯斗に愛が芽生える可能性があるという訳だ!
やはり面白い男だな、颯斗。私の心をここまで動かしたのは間違いなくお前が初めてだ。消えてくれ、諦めろと言うが私は運命の相手を見つけたんだ。簡単に諦めると思うか?
私は颯斗を伴侶とする!その為に私が颯斗の心を掴もう。私を好きになって貰えるように努力しよう。金持ちの私は出来る女だ。必ず颯斗は私を好きになる!好きにさせてみせる。楽しみだな、颯斗が私に愛を囁く日が楽しみで仕方ない!今日は我慢して帰るが、次に会う時は私に愛を囁いてくれ』
はっはっはっ!と高笑いしながら九条院は去っていった。何を言っているか半分も理解出来なかったが、面倒事が何一つ片付いていない事だけは分かった。
殺した方が早いかと思ったが、直前までやり取りしていたのは俺だ。間違いなく怪しまれる。九条院財閥のご令嬢が死んだとなればかなりの数の人間が動く。
───シャイングリーンとして戦場に出てきた所を怪人として殺そう。それが一番簡単な解決方法だ。ウルフにもシャイングリーンを見つけたら殺すように伝えておこう。
とにかく、今日はもう帰ろう。精神的にかなり疲れた。
既に冷めきったコーヒーを飲み干し、帰る為に立ち上がった俺を見てマッドサイエンティストがニヤニヤと笑っている。
「何を笑っている?」
「助手君に朗報だ」
「やめろ、今は聞きたくない」
俺の反応に更に口角を釣り上げたマッドサイエンティストが、トドメの一言を告げた。
「助手君の住んでるアパートの隣の物件、九条院財閥が買い取ってたぜ」




