第十六話 おもしれー男
───Sunday
言ってしまえば日曜日である。
昼食を食べ終え、お茶を飲みながら一服している最中であるが、時計が示す時間が現実を現実を押し付ける。
約束の時刻まで後一時間ほどあるが一分一秒が経過する度にやる気が減っていく感じがするな。とにかく行きたくないというのが本音だ。
そんな憂鬱な気分に蓋をして九条院との待ち合わせ場所に指定したカフェへと向かう事にした。
「九条院と会ってくる。俺がいない間は自由にしろ」
「付いて行くのはダメ⋯⋯だよな?」
「我慢しろ」
「分かった⋯⋯。買い物はこの間済ませているし、部屋の整理でもしながら待ってるよ。だから、早く帰ってこいよ」
早く帰れるかどうかは九条院次第ではあるが、遅くなると伝えれば夏目が悲しむか怒るかのどっちかだ。手短に終わらせて帰ってくると、伝えてからビジネスバッグを手に持つ。
九条院がヒーローである可能性を考え、服装は戦闘服であるスーツを着用している。それに合うようにビジネスシューズを履く。休日であるというのに、スーツ着る事になるとはな。仕事をしている気分だ。
「いや、そうか⋯⋯」
プライベートで会うと思うから気が乗らないんだ。仕事だと思え。会社の得意様の接待だと思えば、いくらか気が楽だ。
「行くか」
それでも行きたくないという気持ちが前に出ているのか、足が重たい。ため息を一つ吐いてから扉を開ける。背後から聞こえた夏目の『行ってらっしゃい』の声を背中に浴びながら家を出た。
九条院との待ち合わせ場所は一応自宅から離れた場所で指定している。その為、俺は一度アジトを経由してから向かおうと思っている。その方が運賃がかからず時間の短縮になるからだ。
さて、以前も言ったと思うが家から10分ほど歩いた絶妙な距離にスーパーがある。このスーパーから更に5分ほど進んだ先に一つの雑居ビルがあり、その建物の三階が悪の組織の隠しアジトの一つである。
古い建物の為、エレベーターなどと言う高度な代物はない。怪人である俺からすれば階段の昇り降りなど、何の負担にもならないが⋯⋯単純にめんどくさいという気持ちはある。
階段を登って三階まで上がって直ぐの部屋が目的地だ。『田中不動産』と書かれた看板があるが気にしなくていい。所詮偽装の為のものだ。
部屋のロックは二段式となっており、一つは鍵による施錠。もう一つが俺の体に埋め込まれたマイクロチップを機械に読み込ませるというもの。
この二つの施錠を行わければ鍵は解除されず、どちらか一つしか行われなかった場合はマッドサイエンティストの元に通知がいく。扉や壁を傷付けた場合も同様に。
二つのロックを解除し中へ踏み込むと、待っているのは偽装として作られた不動産会社のような内装。しっかりとした設備はあるが、一度も使われた事はない。
室内の奥の奥へと進んでいくと、ダンボールが山積みになって部屋があり、その部屋の角に隠すように瞬間移動装置が置いてある。そのまま起動すれば日本の本拠点へと移動する事が出来る訳だ。
瞬間移動装置を起動して本拠点であるアジトに移動した。
ダンボールに囲まれた部屋から、マッドサイエンティストがカスタマイズした目に痛い壁紙が目立つ室内へ景色が変わる。
部屋には親機である瞬間移動装置があるだけで、他には何もない。足元の瞬間移動装置に触れて、目的地を設定してから起動すればまた景色が一変する。
「おやおや、早めの到着だね助手君」
俺を最初に出迎えたのはマッドサイエンティストだった。この隠しアジトに来るのは二度目。そしてこの場所を九条院との待ち合わせ場所にするのはどうかと提案してきたのはマッドサイエンティストだ。
此処に移動すればマッドサイエンティストが居る事は予想は出来ていたが、こんな間近にいるとは思っていなかった。加えて言うなら。
「なんで全裸なんだ」
「助手君は察しが悪いなー。見ての通り風呂上がりって訳さ。今日はお客さんが来るからちゃんと体を綺麗にしたんだぜ」
腰に手を当ててドヤ顔している全裸の幼女。当然ながら色々な物が見えているが微塵も劣情は沸かない。むしろ全裸である事に引いてすらいる。
ため息を吐きつつ、部屋を見渡すと家具が少し増えている事に気付いた。マッドサイエンティストが持ち込んだ物だな。
休憩用の一室らしいが、趣味の悪い品が多すぎて休まる気もしないだろう。
───俺とマッドサイエンティストが現在いる場所は、隠しアジトの一つであり老夫婦から買い取った喫茶店である。
リフォームを終えて今風の綺麗なカフェといった内装になっているが、この店舗も隠しアジトとしか使っていないので営業はしていないと思っていた。
「この店、本当に営業しているのか?」
「土日の二日間だけやってるぜー。フォリ様程の天才となると休みの日に何もしないのは退屈なのさ」
下着を履きながらマッドサイエンティストが答える。悪の組織は土日が完全に休みであるのにも拘わらず、この女はわざわざ店をオープンして働いている。
休む事が苦痛だと思う人種もいるが、マッドサイエンティストはそれに当てはまるだろう。
───カフェ『ジーニアス』。
それがこの隠しアジトの名前であり、今回九条院との待ち合わせ場所として選んだお店だ。普段であれば他にお客さんを入れているそうだが、今回は貸切状態らしい。
「例のお客さんも来るようだし、フォリ様は開店の準備をしてくるぜ」
俺がくだらない事に思考を巡らせている間にマッドサイエンティストが着替えを済ませたらしい。博士服を見慣れている所為かカフェ店員としての姿に違和感がある。
白い襟付きのシャツに、黒のテーパードパンツ。髪色と同じ常磐色のエプロンを付けていた。
普段は流しているだけの髪を低い位置で団子のような丸めている。清潔感のある見た目をしているマッドサイエンティストを見ると、誰だコイツと失礼ながら思ってしまった。
俺一人を部屋に置いて店の準備で出ていったマッドサイエンティストを見送り、スマホを確認すれば九条院からメッセージが届いていた。内容を要約すれば衣装選びに手間取ったので5分ほど遅れるらしい。それはそれでこちらとしては都合がいい。
カバンを室内に置いた後、マッドサイエンティストが出ていった方向へと足を進める。すると普段なら決して見ることがない、皿やティーカップを布巾で丁寧に拭く光景を見ることができた。返り血を浴びていても気にせず作業する女が、食器を綺麗にしている光景はなかなかに面白い。
「何か手伝える事はあるか?」
「なんだなんだ、フォリ様の好感度稼ぎかい助手君!?それだったら床の掃除をお願いするぜー。ピッカピカに磨き上げたらフォリ様がご褒美をくれてやろう!」
喋ればマッドサイエンティストだな。その方が違和感は少なくて助かる。
九条院が来るまでダラダラと時間を過ごしてもいいが、わざわざマッドサイエンティストに場所を提供して貰ったんだ。少しくらいは手伝った方がいいだろうと思い、言われた通りに箒を片手に床の掃除を始める。
といっても定期的に掃除をしているのか、目立った汚れはない。なんでカフェはこんなに綺麗なのに、マッドサイエンティストの実験室はあんなに物が溢れて、汚いんだ⋯⋯。
真反対すぎる現実に頭がクラっとする。マッドサイエンティストがやれば出来る女なのは分かった。なら、普段からしっかりやってくれ。そうしたら俺の中のマッドサイエンティストの評価は今よりもずっと高かっただろう。
「流石は助手君だねー、丁寧な仕事ぶりだ!フォリ様ポイントを1ポイントあげよう」
「いらないぞ」
「100ポイント集めたらこの大天才フォリ様が結婚してやってもいいぜ。あと99ポイント頑張って集めてくれたまえ」
「だから要らないって言ってるだろ」
マッドサイエンティストの戯言を聞き流しながら、渡された布巾でテーブルを拭いていく。机を全部拭いてくれたらもう1ポイントなんて、言っていたがそんな物はいらない。
それにマッドサイエンティストはその時の気分で話しているだけだ。明日になればこの女はそんな事は忘れている。貯まらないポイントに意味はない。報酬もゴミだしな。
「そういえばボスの調子はどうだ?」
「まだ寝込んでるぜー。本調子になるまでもう少しかかりそうだ」
「そうか」
「『アルカトラズ臨時刑務所』への襲撃には参加出来ないだろうが、助手君とウルフの二人とこの間集めた怪人たちがいれば十分さ」
二日経った今もまだ寝込んでいるのか。思っていたより重症だな。『アルカトラズ臨時刑務所』への襲撃や『切り裂きジャック』の捕獲なんかは俺と作戦の補佐がいれば可能だが、『ヴレイヴ』の技術者を狙ったヒーロー本部への襲撃にはボスの力が必要だ。
その旨を伝えればマッドサイエンティストはニヤニヤしている。
「流石の女誑しだな助手君!多分今の一言でボスは復活したぜ。もっと元気にさせたいなら愛してるって一言が特効薬間違いないなし!」
「ボス、愛しているからボーナスを多めによこせ」
「流石は助手君だぜーー!」
ヒューと口笛を吹くマッドサイエンティストが鬱陶しい。会話を交わしながらも作業の手は止めていなかったので、次のテーブルで作業は終わりだ。
「あぁ、そういえば助手君に昨日言われていた件だけど」
「どうだった?」
「怪人になった素体に工藤って奴はいなかったぜ。後は言わなくても分かるよな助手君」
「そうか。手間を取らせてすまない」
やはり適合はしなかったか。分かっていた事ではあるが、これでもう太陽との敵対は免れないな。
最後のテーブルを拭き終えるとマッドサイエンティストからフォリ様ポイントを1ポイント与えられた。正直いらない。
それからしばらく時間潰しで雑用を手伝っていると、店の入口に九条院の姿が見えた。約束の時間になったようだ。
「フォリ、お客さんだ」
「そのようだねー。それとフォリ様の事をそう呼ぶのは久しぶりだぜ。もっと呼べよ助手君」
マッドサイエンティストの言葉を無視して、店の入口に向かう。俺の存在に気付いた九条院が自分の姿を見せつけるようにポーズを取る。衣装選びに時間をかけたと言っていた。無言の行動は俺に褒めろと、強要しているのだろう。
「金持ちである私が来てやったぞ颯斗。婚約者である私と会えて嬉しいだろう。泣いて喜ぶがいい」
扉を開けて、二度目の体面となる女の発言がコレだ。今まで色んな奴と出会ってきたが、ここまでぶっ飛んだ女と会ったのは初めてだ。ラブコメに出てくるヒーローもこの女相手に『おもしれー女』なんて発言は出来ないだろうな。
「色々と言いたい事はあるが、話は席についてからにしよう。付いてこい」
「いいだろう!金持ちの私が颯斗の3歩後ろを歩いてやろう。出来る女だな私は!」
ナチュラルに俺の名前を呼び捨てにしているのも鬱陶しい。念の為、通行人に見られない奥の席へと案内してそのまま席につく。
店内を見渡した後、俺の顔を見てフッと不敵に笑ったのが気になるが、まぁいい。要件は手短に済ませたい。
「私に会えて嬉しいだろう、颯斗。金持ちの時間は貴重だ喜ぶがいい」
「先に言っておく。今回、話し合いの場を設けたのはお前に会いたかったからじゃない。くだらない妄想を垂れ流した事で迷惑しているから、連絡したんだ。俺はお前と恋人になる気も婚約者になる気もない。さっさと俺の前から消えてくれ」
あえて強い言葉を使う事で九条院を突き放す。いくらこの女がイカれていると言ってもここまで言えば我に返るだろう。
そう思っての発言だったが、俺の予想に反して九条院は怒る事も悲しむ事もせずに不敵に笑った。
「おもしれー男」
───俺たちの会話を聞いていたマッドサイエンティストが九条院の一言で吹き出したのが分かった。




