03話 お姉ちゃん(仮)
森の館に住むエルフ、トリーシャに拾われて半年が経った。
「ふわぁ、いい天気だなぁ」
のどかな昼下がり、今日も僕はベビーベッドの上で、本棚からこっそり拝借した魔導書を読んでいた。
前世、ゲームや小説が好きだった僕が、せっかく魔法のある世界に転生したんだ、魔導書を読み始めるのは自明の理というものだろう。
少しだけ開いた窓からは心地よい風が吹き込み、レースのカーテンを揺らしている。
絶好の読書日和だ。
「ふ~ん、ふふ~ん」
しばらく良い気分で魔導書を読んでいると、
ガチャ
突然、ノックも無く部屋のドアが開かれた。
僕は慌てて魔導書を毛布の下に隠して視線を上げると、ドアの前には、パンダのぬいぐるみを抱いた少女が立っていた。
「げっ」
今のは僕の心の声だ。
いや、実際声に出ていたかもしれない。
「ふふふ……お姉ちゃんね、アンタにプレゼントがあるの」
絶対ろくなもんじゃない。
自分を姉と名乗る少女は、片手を背中に隠したまま、金髪のポニーテールを揺らしてこちらに近づいてくる。青く鋭い瞳は、獲物を狙う猛禽類のそれだ。
少女はベビーベッドをよじ登ると、身構える僕の上に跨り、マウントポジションを取ってきた。
「ほらっ!」
「ひぃっ!?」
少女が隠していた手を目の前に突き出すと、巨大なカエルが握られていた。
【種 族】ジオフロッグ
【属 性】地属性
【備 考】森林や草原などに生息する大型の蛙。表皮は岩のように硬いが、肉質は柔らかく、南洋の群島国では食用にもされている。
「このカエルね、南の島の国ではご馳走なんですって」
ゲェコ、ゲェコ、ゲェコ
「だからお姉ちゃんがアンタに食べさせてあげる!」
冗談じゃない。
僕は口を固く引き結び、顔を背けるが、
「む、むぅっ!! むぐう……っ!!」
少女はお構い無しにカエルを押し付けてくる。
(う、うざってぇ……っ)
なんとかこのアホをシバきたいところだが、
【名 前】クロン・エレウシス
【称 号】転生者
【種 族】人間
【性 別】男性
【年 齢】1歳
【属 性】水属性
【戦闘力】314
【精 神】F
【知 能】B+
【幸 運】F-
これが今の僕の能力だ。
あ、ちなみに『クロン』と名付けられました。
【名 前】スオミン・バイ
【称 号】白虎門
【種 族】人間
【性 別】女性
【年 齢】4歳
【属 性】風属性
【戦闘力】860
【精 神】D-
【知 能】F+
【幸 運】S
そして、これがこの少女、スオミンの能力だ。
僕はまだ赤ん坊なので、残念ながら戦闘力では敵わない。
攻撃魔法もまだ練習段階だし、そもそも使う所を見せるわけにもいかない。
(あぁ、もう……! 僕は静かに魔導書を読みたいのに……っ)
このスオミンという横暴な少女は、ここで一緒に暮らす孤児だ。
僕の姉を自称し、暇さえあればちょっかいを出してくる。
最初はだる絡みしてくるくらいだったが、勉強の邪魔なので無視していると、その行為はどんどんエスカレートしていった。
「口を開けなさいクロン! お姉ちゃんの言うことが聞けないの!?」
「むぐぅっ!! むううう……っ!!」
そしてこの状況である。
ウザさが天元突破している。
今の僕にとっては、外の魔物よりもよほど危険な存在だ。
とはいえ、このままやられっぱなしでいるつもりはない。
力で勝てなくとも僕は転生者だ。前世で培った知恵がある。
ばっ――
僕はスキをついてスオミンの手を振り払うと、素早く息を吸い込み、
「 び ぃ え え え ぇ ぇ え え え っ っ ! ! ! ! 」
絶叫を上げた。
「こっ、こらっ! 静かにしなさいよっ!」
それは、通常の赤ん坊のぐずるような泣き方ではない。
腹にありったけの力を込めて、喉を最大音量のサイレン変える。
スオミンは僕の口をなんとか塞ごうとするが、
ガチャン、バタンッ
遠くからドアの音が聞こえた。
どうやらトリーシャが僕の声に気付いてくれたようだ。
すぐにここへ駆けつけて来るだろう。
「もうっ! 覚えてなさいよっ」
するとスオミンは捨て台詞を残し、風のように窓から逃げていった。
「クロン!」
入れ替わるようにトリーシャが部屋に入ってくる。
「……? 今、すごい声で泣いてなかった?」
すでに泣き止んでいた僕に、トリーシャは戸惑っていたが、僕が穏やかに微笑んでいると、しばらくして部屋を出ていった。
「ふぅ……」
静かになった部屋で、僕はホッと胸を撫で下ろした。
これでようやく魔法の勉強を再開できる。
そう思い、隠した魔導書に手をかけると、
ゲェコ……ゲェコ……
毛布の下から、さっきのカエルが出てきた。
スオミンとの攻防のせいで、ずいぶんと弱ってしまっている。
「ごめんよ。君もあのアホの被害者だ」
じゃあ、ここからは実践練習にするとしよう。
◇ ◇ ◇
『魔法』
それは人の願いやイメージを魔力によって実現させる術。
僕はカエルを両手で包み込むと、初歩的な回復魔法の唱句を詠んだ。
「定命に木漏れ日を――『光癒』」
魔力によって自然治癒力が大幅に強化され、カエルは瞬く間に元気を取り戻していく。
ゲェコ、ゲェコ、ゲェコッ
次に僕は、指先に魔力を集中させてサッカーボールほどの水の球を生み出すと、
とぷん
カエルをそっとその中に入れた。
(よし……)
ここからが難しい。
僕はカエルの入った水の球を魔力で操作し、開いた窓へと徐々に近付けていく。
「くっ……」
最初は綺麗な丸だった水の球は、僕の手から遠ざかるにつれて形が歪になり、動きのブレも大きくなっていく。
「はぁっ、はぁっ……」
まだ遠隔操作は難しく、魔力の消費も大きい。
それでもなんとか窓の外まで運び出すと、僕は水の球の魔力を解いた。
ぱしゃん
水の球が割れると、カエルは解放を喜ぶようにゲコゲコと鳴きながら、どこかへと去って行った。
「ふぅ……もうあのアホに捕まるなよ」
一仕事終え、僕は大きく息を吐いた。
思いがけないハプニングだったが良い魔法の練習になった。
【戦闘力】316
ステータスを確認すると【戦闘力】が僅かに上昇していた。
成長は嬉しいのだが、基本魔法の『光癒』と単純な水の生成と操作で、総魔力のほぼ全てを使い果たしてしまった。改めて己の未熟さを痛感する。
とはいえ、僕はまだ赤ん坊だ。転生者というアドバンテージもある。
つまり、伸びしろしかないというわけだ。
「よーし、やるぞーーっ!」
僕は気合を入れると、傍らの魔導書を手に取り、勉強を再開するのだった。