妖忌妃~Act.3 妖忌妃/1
御伽は獣道を走っていた。祠を過ぎ、そのさらに奥にある道へ進んでいく。雨堂河童の移動湖までどのくらいなのかは分からないが、感覚でもう少しなのだと理解する。あの懐かしい感覚が蘇り、御伽は山を下っていく。
不意に、妙に開けた場所に出た。背の高さくらいまである草を掻き分けて進む。すると、その一番奥に、それはあった。流れなど何一つない湖だというのに、いやに澄み切った水と人との接触を拒むような雰囲気。そして、湖の中央に立っている小さな祠。まさしく子供の頃に見た、あの光景であった。雨堂河童の移動湖である。
「ここは―――そう、だ」
御伽が呟く。あのころと何も変わらないその風景に、ゆっくりと歩み出て、そして叫ぶ。
「千歳!」
幼い日、共に遊んだ親友の名を。
「千歳、私です! 御伽です!」
あの時、傷つけてしまった少女の名を。
「一度だけでいい。もう一度だけでいいんです。―――もう一度、あなたに会いたい!」
そして、これが、御伽の旅の終着地。
「千歳!」
池の際が波立つ。御伽はその場所を覗き込んだ。すると、そこから顔を出すのは、あの頃とほとんど何も変わらない少女だった。
「うそ・・・御伽、くん?」
違うのは、あの頃と違い、帽子をかぶっていないこと。水から上がり、千歳は、御伽の顔をまじまじと見つめた。
「すっかり、大人になったんだね。―――人間ってば成長が早いんだ」
千歳の見た目は幼い頃とそんなに変わってはいなかった。妖怪は年を取るのが遅いから、成長期を過ぎればそんなに見た目は変わらないとどこかの資料で読んだことを思い出す。
「ええ、まあ。・・・あれから、もう二十年以上経っていますしね」
「はあ、もうそんなになった? そっか、私も年をとるわけだ」
そう言って、自分の頭をなでる千歳。昔のように皿はない。
「てっぺんはげ、無くなったでしょ? 河童が大人になった証だよ」
これでもう人間と何も変わらない。彼女はそう言って、御伽を見つめた。そして、悲しそうに微笑んだ。
「あと一年、早く来てくれたら、よかったのにな・・・」
千歳のお腹は大きく膨らんでいた。大切そうにそれを抱え、千歳は笑う。河童は十五で結婚し、二十歳までに五人は子供を産んで、沼に子供を残し、人間社会に自立する。そして、高齢になったら、沼に戻り、子供を育てる。千歳はすでに二十歳を過ぎていた。それなのに、未だに沼にいるということは、結婚し、子供が出来て間もないということであろう。
「御伽くんのこと、私、ずっと待ってたんだよ。十九になるまで。でも、河童の掟には逆らえないから。だから、つい半年前、結婚したの。この子も、あと三ヶ月もすれば生まれる」
「そうでしたか・・・。すみません。移動湖の場所を見つけるのに、十年もかかってしまって」
「そう。でも、がんばってくれたんだね。ありがとう、御伽くん」
うれしいよ、と千歳は笑った。でも、御伽はその顔を見ることは出来なかった。
それからしばらく話をしていると、一人の河童が、水から上がってくる。男の河童は御伽を見て、もしかして、と呟く。
「あんたが御伽さんか?」
「ええ。そうですが」
「話は千歳からよく聴いているよ。そうか、会いに来てくれたんだな」
歓迎するよ、と彼は言い、握手を求めた。
「彼は私の旦那なの。―――幼馴染で、こいつも私と同じで行き遅れ」
「何言ってやがる。俺がもらってやらなきゃ結婚も出来なかったくせに―――っと、こりゃ失礼。こいつといるとケンカが絶えなくてね」
「いえいえ。ケンカするほど仲がいいって奴でしょう」
御伽は千歳を見る。とても幸せそうに微笑んでいる彼女に御伽は安堵した。
「私は、千歳さんを傷つけた。―――だから、謝りに来たんです」
本当に、すみませんでした、と深く頭を下げる。しかし、千歳はそんなのいいよ、と手をパタパタと振っていた。
「今思えば、私も若気の至りよね。―――人間の前で帽子取るなんて。そりゃびっくりして酷いこと言いたくなる気持ちも分かるわよ。だから、御伽くんは何も気にしなくていいの」
「千歳さん・・・」
「それよりもね、この子が生まれたら、私たち、人間の世界で暮らすことになるの。だから、御伽くんの家の場所、教えてよ。私、遊びに行くから」
ええ、と御伽はビニールに油性ペンで住所と連絡先を書く。
「これでいいです。私が迎えに行きますから、電話してくださいね」
「うん。分かった。必ず行くから。待っててね」
日が暮れ始めた。御伽はそろそろ帰らなくてはいけないと千歳に伝える。
「じゃあ、またね―――だね。気をつけて帰ってね」
「ええ。旦那さんと、末永くお幸せに」
「まかせておけ、御伽さん。―――今度会うときは一緒に呑もうや」
手を振って見送る二人に、御伽も手を振り返し、湖を離れた。
「―――お前の言っていた通り、変わった奴だな」
河童はそう言って、千歳を見た、千歳はホントね、と笑う。
「だから、大好きだったの。あの人が」