桜散花~Act.3 万年桜/2
遡る事数分前。霊冥姫は妖忌妃を閉じ込めた桜花亭の離れにいた。
トモミは両手両足を鎖でつながれていた。その鎖の先には要石がついている。それだけでトモミの能力を完全に封じ込めていた。
「自分の妖扇子を他人なんかに預けるからよ。あれさえ持っていれば、こんな石なんかで、あなたを繋ぎ止めることも出来ないわね」
「―――今に見ていなさい。山名と御伽が助けに来るわよ」
へえ、と霊冥姫、サクラは笑う。
「あんな人間と、滅んでしまって久しい天狗の軍団長を信じているとでも言うのかしら? ばかばかしい。来るはずないわ」
「来るわよ」
嘲笑するサクラにトモミも嘲笑で返す。
「あなたみたいに、帰ってこない者を待つ女じゃないの、私は。必ず答えてくれると分かっている者しか、信じない」
トモミの言葉に、サクラは咄嗟に彼女の頬を平手打ちした。
「あの方のことを悪く言うのはやめて頂戴。―――あの方は、必ず、ここに、私の元に帰ってくるのよ」
「それこそばかばかしい。死んだ人間が誰しも恨み辛みを抱えているとは限らないのよ」
「そんなこと無い。あの人は・・・あの人は恨んでいるわ。私の父を、世界を、何もかもを。だから、必ず帰ってきてくれる。あの人の魂は、必ずここにやってくるはずよ」
愚かね。トモミは言う。そしてサクラを哀れむような目で見つめた。
「あの人は幸せだったわ。わずかな時間だけでも、あなたとともに過ごした幸せな日々。そして、いつかあなたと共に、もう一度あの桜を見ようという約束。それが果たせなかったことは未練でしょうけど。あの人はそれでよかったのよ。―――約束は果たせずとも、幸せだった日々の思い出を抱いて、あの人は死んでいった」
「黙れっ!」
サクラはトモミをもう一度叩く。しかし、トモミは喋ることを止めようとはしなかった。
「あなたももう分かっているはず。千年も過ぎた世に、あの人はもういないということを。だからこそあなたは私を欲した。もういないのならば、再び作ればいいと思った」
「黙れっ!」
「冗談じゃない。たとえ妖扇子があなたの手に渡っても、そんなことはしない。歪んだあなたの愛情の慰めなんて、ごめんだわ」
「黙れっ・・・」
「あなたは忘れてしまったの? あの人と過ごした時間を。楽しかった日々を。―――もしも、まだ覚えているのなら。もうこんなことやめて頂戴。あの人だって。こんなこと、望んでなんかいないわ」
「黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れっ!」
サクラはトモミの胸倉を掴み、離れの壁に叩き付けた。
「あの人は約束したのよ。私の元に帰って来て、一緒に桜を見ると。あの人が約束を違えるはずなんて無い。だから、ずっと待っているのよ。あの人が帰ってくるのを。この桜の木の下で。いつでも帰ってきてもいいように、桜の花を咲かせながら」
待っていなさい。すぐにあなたの妖扇子を奪い取って、あなたを従えて見せるわ。サクラはそう言って離れを後にした。
「―――気が触れるまで、愛し続ける。体は死に、朽ち果てて桜の下に消えても、妖になってまで愛し続ける。・・・人間っていうのは死して尚、愚かな生き物ね」
同情の余地も無い。トモミは呟く。
時は貴族の時代から武士の時代へ移り変わる頃。一人の姫が、武家の少年と婚約した。姫の名は現代に残る資料の中では大姫と呼ばれている。源頼朝の娘として生まれた彼女は、六歳という若さで源義仲の息子、義高と婚約する。当時、源頼朝と対立していた源義仲は人質として義高を鎌倉に送り、大姫と結婚させることで和睦を行おうとした。しかし、その頼朝と義仲の和睦はわずか一年足らずで破局し、義仲は頼朝の送った兵によって殺される。そして、いずれ成長し復讐を企てられては困ると、頼朝は義高すらも殺そうとする。
しかしそれを事前に察知した大姫は、義高を屋敷から逃がし、鎌倉を離れされる。だが結局、頼朝の放った兵によって義高は殺されてしまう。その事実は屋敷では伏せられていたのだが、偶然、大姫はその事実を知ってしまったのだ。七歳の少女は水すらも喉を通らなくなるほどに悲しみ、床に臥す日々を送る。そして、それから十三年間、大姫は義高を思い続け、誰とも契りを結ぶことなく、二十歳という若さでこの世を去った。
トモミは全て知っていた。サクラの起こりから。今に至るまでの全てのことを。あの日二人が交わした、もう一度ここで一緒に桜を見ようという約束を。そして、幼き日に受けた、愛すべきものを信じていた自分の父によって奪われたという心の傷。愛情と憎しみとが折り重なって、気が触れて、約束を果たしに帰ってくる義高を待ち続け。そして、最後に気付いたのだ。
会えないのならば、会いに行けばいい。
死して尚、強い現世への思いを乗せた大姫の魂は妖となり、冥界にたどり着く。そして、その思いの力を妖に昇華させ、冥界に永遠に散ることの無い万年桜を咲かせたのだ。
桜花亭はあの日の鎌倉の屋敷によく似ている。ただ一つ違うのは、ここには彼女から何かを奪い取ろうとするような者が一人もいないということ。ここは、あの日の約束を果たすために、待ち続ける姫の悲しき屋敷。永遠に帰ることの無い、主を待つ、女の家。
分かっていても、分かりたくない。受け入れるべき事実を、受け入れたくない。そんな少女のわがままの延長線。冥界は、トモミの知らない間に、そんな世界に作りかえられていたのだ。彼女はそれが許せなかった。
「ああ、もう・・・御伽と山名は何をしているの?」
ぎり、と歯を食いしばり、トモミはイライラを募らせた。妖扇子さえ戻ってくれば、こんな状況すぐにでもどうにかできるのに。
そう思った刹那、離れの扉が開く。
「智魅殿っ! ここにいるのですか?」
「来るのが遅すぎよ・・・このバカ」
漆黒の翼を持った天狗はトモミをつないでいた鎖を風の刃で破壊する。トモミはすぐに立ち上がり、山名を見た。
「状況は?」
「時間稼ぎを置いてきてはいますが、そう長くは持ちません。すぐにでも救援に向かいましょう」
でも、そう簡単にはいかないようね、と彼女は言う。
離れは既に、サクラの従えた妖たちによって包囲されていた。
「突破するわよ。山名、援護を」
「了解した。智魅殿」
四百年ぶりに共に戦いましょうぞ。山名は団扇を構えて、先陣を切って突撃したトモミの後を追った。