妖忌妃~Act.1 山の管理人/1
御伽の生業は妖怪コラムニスト。夏になると怪談話や霊媒関係の雑誌に引っ張りだこになる職業だ。しかし、他の季節はそうは行かない。そのため彼は副業として小説家をしていた。その取材と称し、今回はこの山に来ている。だが、小説には別段、この山の話を書くわけではない。御伽はあくまで本業の趣味を兼ねてここに来ていたのだ。締め切りだって近いというのに実に編集者泣かせの小説家である。
この山は役場の職員の男が言っていたように妖怪の棲む山として有名な山だ。その証拠といえば証拠なのだろうが、この山には生きるもの全てを拒絶するような不思議な雰囲気がある。霊感のある人間ならばそれを感じ取り、気分を悪くするのだろうが、残念ながら御伽にはこれっぽっちも霊感というものはない。山道を歩いて既に数十分以上経過しているにも拘らず、未だに人はおろか、鳥や虫すらも見かけていないというのに、御伽はそんなことにもまるで気付いていない様子。
山道はほとんど散歩コースといったようなレベルだ。人や動物が立ち寄らない場所だというのに何故か出来ている獣道を歩いて進む。比較的インドアな御伽でも問題なく進める道のりだった。
その途中、獣道を塞いだ鎖があった。木製の看板は根元が腐り落ちたらしく、もうすでに原形を留めていなかったが、さび付いた鎖の本数で、いかにここは危険な場所なのかは理解できた。御伽はていねいにその鎖を外し、先に進む。それから数分して放置されている場所だというのに、妙に整地された場所に出た。古いが石畳もある。御伽はその道を進んで行くことにした。その先にあったのは既に跡形もなくなっている建物の基礎と、大きな鳥居だった。
「なるほど、ここには神社があったのですか」
御伽は呟き、神社の跡地の方に進む。石畳の終点にあった階段に座り、一度休憩を取る。鞄から水筒を取り出した。中にはカヤノが淹れてくれた紅茶が入っている。
「しかし、やはり、不思議な場所ですね」
あなたもそう思いませんか? 御伽は遠くから彼の様子を伺っていた女性の方を見る。女性は驚いて反射的に姿を隠すものの、もう無駄だと分かったのか、姿を見せる。
「こんにちは。―――よろしければ、あなたもどうですか?」
紅茶の入った水筒を見せ、女性をティータイムに誘う。女性はええ、と一言言い、御伽のほうにやって来た。
「この山には人が立ち入らないと聞いていたのですが。あなたは?」
御伽の質問に、女性はそうね、と呟く。
「私は、この山の持ち主です。管理人とでも、言えばいいでしょうか」
「ああ、そうでしたか。すみません、勝手にお邪魔してしまって」
いいんですよ、と女性は答える。
「どうせ何も無いですし、いつでもご自由に来て下さって結構よ。自己責任で、ならだけど」
「それはありがたい。―――ああ、失礼。私は御伽と言います」
「私は―――トモミ。ここでは、そう呼ばれていますわ」
不思議な言い回しをし、トモミという女性はくすくすと笑っていた。御伽よりも年上にも見えるし、そうでもないようにも見える。服装は山登りをするような服、というよりもただここに散歩に来ただけのような上下黒の服だ。スカートをはいている辺り、本当にただの管理者のようである。
さらさらの黒髪が風になびくと、彼女は御伽から受け取った紅茶に口をつける。そして彼女は何かに気付いたかのように紅茶を見つめた。
「不思議な味のするお茶ですわね」
「ああ、私のお隣さんが淹れてくれた紅茶でしてね。あの子は昔からこういったものに凝ってまして。多分、なにか彼女のアレンジがあるのでしょうね」
私には到底分かりませんが。御伽は笑う。しかし、トモミはじっとお茶を見て、なにやら深く考え込む。
「そうね。あなたには分からないかもしれないわ」
当人には気付きにくいものだから。トモミはそう言って立ち上がる。
「御伽さん、案内しますよ。ついて来て下さい」
「あ、あの・・・どこに行くのか分かっているのですか?」
「あら。この山に来た人間なら、目的は一つでしょう」
わざとらしく驚いたようなふりをして、大妖怪の封印にご案内しますわ、とトモミは神社の跡地の裏手、そのさらに奥に続いていた獣道へと向かう。トモミはこの山の何もかもを知っているように、迷うことなく道を進んでいった。
「この道はかつて旅人達がこの山を越えるために作った道なんです。でも、大妖怪がここに封印されてからは隣の険しい山を越えていくようになったそうです」
よほど、その大妖怪が恐ろしいものだったのでしょうね。トモミはそんなことを言いながらどんどん先に進んでいった。