桜散花~Act.2 山名天狗/2
「やれやれ、このような何の力もない男に妖扇子を預けるなど、智魅殿は一体なにを考えておられるのか・・・」
御伽を捕らえた風は不意にそう呟き、山の頂上に降り立った。頂上には小さな祠があり、その中には古びた地蔵が祀られていた。
「あなたは誰なのですか?」
御伽はその風の中心にいた男に訊ねた。御伽よりも頭一つ大きいその男はやはり人間ではないらしく、背中には大きな漆黒の翼を生やし、手にはよく妖怪の絵などで持っているあの団扇。顔以外の特長を見れば、まさしく彼は天狗そのものだった。
「やはり、天狗ですか?」
「人が答える前に自分で答えを出すんじゃない。―――まあ、間違ってはいないが」
やはりそうでしたか、と御伽は言う。
「妖扇子の気配を感じ、来てみれば。智魅殿はあの霊冥姫に捕まっているし、肝心の妖扇子はお前のようなただの人間が持っている・・・。一体何があったんだ?」
天狗の質問に、御伽はこれまでの経緯を説明する。自分は妖の研究を行う者で、智魅によってここまで連れてこられたと。霊冥姫は妖扇子を狙い、襲撃をしてきたということ。そして、その配下の少女に襲われているところを、彼によって救われたと。
「要するに、だ」
天狗は不意に呟いた。
「智魅殿は俺に託したということか。自分の命運を、そして俺自身の命運を・・・」
「それは、どういう意味です?」
天狗は、説明は後でする、と言い。御伽の腕をつかんで再び空を飛んだ。御伽は一体どうしたのかと思い振り返ると、すぐ後ろに蝶が迫ってきていた。あの霊冥姫の蝶である。ひらひらと舞うように飛んでいるにもかかわらず、蝶は天狗のすぐ後まで一気に近寄ってきた。
「ふん―――。ならば、全力で振り切らせてもらう」
天狗はそう言って、力を解放した。
―――竜巻。地上から発生したその風は、瞬く間に天空に伸び、一つの空の柱となった。天狗はそれをまるで踏み台のようにしてさらに空高く飛び上がった。あっという間に雲の上に到達し、天狗は蝶が追ってこないことを確認すると、竜巻から降り、ゆっくりと飛び始めた。
「このまま、奴のところに向かうぞ」
「奴とは?」
「―――智魅殿を助けられる妖だ。悔しいが、俺だけでは霊冥姫には勝てん。倒せてもせいぜいあの幽霊少女くらいだ」
五大妖と名のつくだけのことはある。あの妖と戦える妖など、同じ五大妖か、あいつくらいしかいない。天狗はそう言いながら、雲の中に突入する。そして、滑空すること数秒。雲の下は見覚えのある風景だった。
「あれは、トモミさんの封印されていた山・・・?」
「目的はその隣の山だ。今はあの山にいると噂に聞いている」
時間がない。霊冥姫に気取られる前にあの男を見つけ出すぞ。天狗はそう言って山の頂上めがけて急降下した。地面につく直前に減速し、一応は安全に着地する。
ああ、そういえば、と御伽は天狗に言った。
「まだ名前を伺っていませんでしたね」
「俺か・・・俺は、山名と呼べばいい。もはやその名を冠する天狗は俺しかいないからな」
そう言って山名は山を下っていく。
「こっちから気配がする。ついて来い」
進んだ先には、一つ洞窟があった。戦時中の防空壕にも似た明らかに人為的に作られているその形状は、どうにも怪しいものがある。しかし山名は一切気にせずにその洞窟の中に入っていった。
「大丈夫なんですか?」
「怖いのなら、入り口で待っていてもいいんだぞ?」
山名は小ばかにしたようにそう言った。しかし御伽は恐怖心以上に好奇心が勝っていた。こうなった御伽はたとえ山名がここに入ることを禁じても入っていただろう。
洞窟というものの性質上、本来ならば奥に行けば行くほどに道は狭くなるものである。まあ、それは特殊な鍾乳洞を除く、自然に出来た洞窟ならばの話でもあるのだが、それを差し引いてもこの洞窟の内部はおかしい。奥に進めば進むほど道が広くなるどころか分かれ道がありその先には部屋とでも言うべき大きな空間が形成されている。ちょうど四部屋あり、快適に一家が暮らせるようなこの洞窟。戦争時の基地だとしても、この完成度は以上だった。
「人の家に土足で入るのは誰だい?」
一番奥の部屋から声がした。山名と御伽は声がした部屋に向かう。
その部屋は天井が無く、空からの光が差す部屋だった。その部屋の一番奥に、寝そべっている少女がいた。
少し色の抜けた赤みがかった長い髪。右腕だけ袖の無いボロボロの服を身に纏い、右腕には黒鉄の大きな腕輪。藁を敷いただけの簡素なベッドに横になっているその少女は、明らかに異質な存在だった。
「あなたがあの酒呑童子の末裔か?」
山名が訊ねると、その少女はにやっと笑った。
「へえ、あんたたち。あいつの客か」
彼女は立ち上がり、屈伸し、腕をぶんと振り回す。
「最近、また姿を消したんだ。あいつ。ここにはいないよ」
「では、あなたは?」
そんなことどうでもいいじゃん。山名の言葉をきっぱりと切り捨てた。そして少女の雰囲気が変わる。もう何度も見たものだ。御伽にだって分かる。これは、戦わなくてはならないと。
「暇してるんだ。ちょっと付き合え」
山名に向けられた右手。その手が赤く光る。
「なんですか、あれは・・・」
御伽が呟いた。山名は御伽に下がっていろとだけ言い、天狗の団扇を取り出した。
「へえ、あんた天狗? そうか。いい度胸してるね」
天狗が鬼とやり合おうなんてさ。刹那、少女のパンチが山名に炸裂する。その瞬間を御伽は見逃さなかった。山名に当たった瞬間、少女の拳がまるで爆発するかのごとく火を噴いたのを。
山名は洞窟の壁に叩きつけられた。少女は右手を軽く振り、発生した火を払っている。
「あれ、一撃でおしまい?」
少女の笑みが、悪魔のように歪んでいるのを、御伽はただ見つめていた。山名は動かない。少女は彼に接近し、完全に気絶しているのを確認すると、今度は御伽のほうを見つめた。
「じゃあ、次はあんただ」
暇つぶしくらいにはなってよね。少女は構える。御伽は二つの妖扇子を抜き、それを開いた。正宗丸の剣を消し去ったあの力ならば、この少女にも勝てると思っていたのだ。
しかし、それは甘いということを刹那に思い知ることとなる。
扇子をよけるようにして、少女の拳が放たれた。反応することすら出来ず、御伽はそれを腕で受け止める。その瞬間だった。
「鬼道拳」
少女の手から炎が発生する。その爆発は今まで受けたどんな衝撃よりもすさまじいものだった。御伽は一気に吹き飛ばされる。しかし、壁に激突する寸前、少女が壁と御伽の間に入り込み、御伽を庇ったのだ。しかし、少女は決して御伽を助けたわけではない。あくまで暇つぶしが目的である彼女にとって、片付けの手間がかかるようなことはしたくない。故に死なれては困るのである。
少女は御伽を掴んで地面に放り投げる。そして、再び対峙した。
「じゃあ、今度はあんたの番」
妖扇子を持ってるなら、少しは出来るんでしょう? と少女は楽しげに笑っている。心からこの状況を楽しんでいるに違いない。御伽は思い、一つ目の妖扇子を開いて、風を起こした。
部屋の藁のベッドがいっせいに飛び散った。しかし、その中でも少女は微動だにしない。体格を見れば正宗丸よりも軽そうなこの少女が、まったく動かないのはおかしいと思うのだが、それは妖の力か何かなのだろう。御伽は深く考えずに判断する。妖には人間の常識など通用しないことはもう分かっていた。
再び風を起こす。当然、彼女は吹き飛ばない。御伽もそれはよく分かっていた。だが、もう一度。もう一度。風を起こす。
「そんなことしても無駄だって」
痺れを切らした少女はそう言う。しかし、御伽はそれでも風を起こすのを止めなかった。人間の常識が通用しない妖たち。だが、御伽はもう一つ、理解していたことがあったのである。
「妖と人間・・・。考えることは、皆同じですね」
同じこの星で、同じ空気を吸って生きてきた者同士なのですから。
敵をだますにはまず味方から。そして、思い込みこそが、一番の敵であるということ。御伽は理解していた。だからこそ、効きもしない風を起こし続けているのである。相手に切り札を気取られないために。
「もういいよ。飽きた」
少女が御伽との距離を詰める。しかし、御伽は一切怯むことなく扇子を思い切り振ったのである。
今まで以上の突風が吹いた。その勢いはさすがの少女も立ち止まって踏みとどまらざるを得なくなる。少女は御伽の扇子から出る風の威力はたいしたものではないと思い込んでいた。あの状況下でわざと本気を出さないなんてことがあるはず無いと思っていたのである。
そして、もう一つ。少女は気付いていなかった。
山名がずっと、気絶したふりをして力を蓄えていたことに。
竜巻を足元に発生させて、山名はその風を体に纏い少女に突進する。その速さは音速を超えていた。とてつもない強風に、御伽は洞窟の外まで吹き飛ばされた。
「どうだ? さすがに効いただろう?」
山名はそう言って少女の姿を確認する。洞窟の壁に叩きつけられた少女はそのまま床に座るような形で落下し、しばらく気を失っていた。