第4話 宝くじと選択の行方
バスの帰り道、俺は「ドリームノート」を膝の上に置き、窓の外をぼんやり眺めていた。橘紗月との会話が何度も頭の中で繰り返される。胸が高鳴る一方で、現実感のなさが俺を不安にさせた。
(これが……俺の人生のターニングポイントなんだろうか?)
頭の中で繰り返される思いに、知らず息を詰める。勉強は頑張れば上位に入ることはできる。けれど、コミュニケーション――人との関わり――それがどうにも苦手だった。学校生活では、クラスメイトと必要最低限の会話しかしない。だからこそ、橘紗月と話せたのが奇跡に思えた。
(高校、大学、そして社会に出たら……成績だけじゃダメなんだろうな。)
橘さんの言葉が頭をよぎる。
「趣味? うーん……漫画とかアニメかな。あとは友達とカフェ巡りしたり!」
あの時は驚いた。彼女のような「カーストの頂点にいる人」は、もっと派手で華やかな生活をしていると思い込んでいた。でも、違った。彼女もまた普通の趣味を持ち、自然体で楽しんでいる。もしかすると、彼女も何か努力しているのかもしれない。そんな考えが、俺の中に小さな変化を生んだ。
(……待っているだけじゃ、何も変わらない。)
ノートの表紙を指でなぞりながら、深く息をついた。「夢が叶うノート」――その力を知ってしまった今、これを使わないという選択肢はもはや頭に浮かばなかった。
「服装や食事代もいるし……デートってなったらお金もかかるだろうな。」
独り言のように呟く。最大の問題は「お金」だ。俺の小遣いでは限界があるし、これからの生活を考えると、それがどうしても気になった。
(……そうだ。ノートを使えばいい。)
ペンを手に取ると、自然とページに視線が落ちた。夢の中の管理者に「倫理的に問題のある願いは無効になる」と言われたことを思い出しつつも、この案ならルール違反にはならないだろう。
『次の金曜日、夢の中でロトくじの当選番号が浮かび上がる。そしてその番号が当選し、受け取った金は誰にも知られることなく俺のものとなる。』
文字を書き終えた瞬間、ノートが微かに光を放つ。胸の奥に妙な緊張感が走った。
その夜、再び夢の中で管理者と出会った。乳白色の光が漂う空間に、ローブを纏った人物が佇んでいる。無機質な空間の中で、その存在感だけが際立っていた。
「君、随分と現実的な願いを書いたね。」
穏やかな声。だが、その言葉にはわずかな皮肉が混じっているように感じた。
「……これが必要なんです。僕がこのノートを活用していくために。」
俺の言葉に、管理者は静かに首を傾げた。
「確かに、君の願いはルールに反していない。そして、叶うだろう。ただし――大金が動くことで起こる影響を甘く見てはいけない。君だけでなく、周囲の人々の運命をも揺るがす可能性がある。」
「……分かってます。無駄遣いせず、必要なことだけに使いますから。」
そう言いながらも、管理者の警告は胸に重く響いた。それでも、俺はペンを走らせた自分を否定する気にはなれなかった。
翌朝、夢の記憶が鮮明に残っていた俺は、早速ロトくじの番号を購入した。そしてその結果――見事に高額当選を果たす。
銀行で当選金を受け取る際の緊張感は尋常じゃなかった。心臓の音が耳に響くほどだったが、周囲は誰も俺に注目していない。予定通り、誰にも知られることなく金を手にした。
その夜、俺は封筒に収められた現金と通帳を見つめながら考えていた。
(このお金で……何かが変わるはずだ。)
それが「変化」であり「前進」だと信じたかった。
放課後、教室を出た俺は、ふらりと図書館に足を運んだ。バスで話した橘紗月さんの笑顔が脳裏をよぎり、静かな場所で頭を整理したかったのだ。
図書館の扉を開けると、空気が一変する。廊下のざわめきから切り離された静寂が、心地よく耳を包む。
本棚を見渡していると、一人の女子生徒が目に留まった。長い黒髪に制服――間違いない、橘紗月だ。彼女は真剣な表情で本の背表紙を指でなぞりながら、何かを探しているようだった。
「杉村君?」
彼女の声が静かな空間に響く。俺が視線を向けると、彼女は軽く手を振った。
「こんなところで会うなんて意外だね。」
「え、ああ……たまに来るんだよ。橘さんも?」
「うん。こういう場所、好きなんだ。」
彼女の横顔を見ていると、普段の明るい雰囲気とは少し違う静けさが感じられた。
「橘さんも、静かなところが好きなんだ?」
「そうだね。落ち着くし、考え事ができる場所っていいよね。」
彼女の言葉に俺は頷く。いつもの彼女と違う一面を知ることができて、胸が温かくなった。
その夜、机に向かいながら、俺は再びノートを開いた。ペンを手に取るが、手が止まる。
(本当に、この力に頼り続けていいのか……?)
ロトくじの当選を通じて手に入れた大金。それが俺に自信を与えるのは確かだが、管理者の言葉が胸に残る。周囲への影響、そして自分自身の変化――それが、取り返しのつかないものになるのではないかという恐れ。
橘さんの笑顔、図書館での静かな時間、管理者の警告。それらが交錯する中で、俺はノートを閉じた。
「次は……どうする?」
その言葉が空気に溶けていくような静けさの中、俺は目を閉じた。
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