第11話 揺れる心と週末の誘い
放課後、教室の窓際で教科書を整理していると、橘紗月が小走りで近づいてきた。その柔らかな髪が揺れ、俺はつい手を止めた。
「杉村君、次の週末、空いてる?」
彼女の一言が教室の静寂を破る。周囲の空気が一瞬止まったように感じるほど、その声は明るく響いていた。俺は心臓が早鐘を打つのを自覚しながら、答えを絞り出した。
「えっと……特に予定はないけど……。」
「じゃあ決まり! 次の日曜日、一緒に出かけよう!」
屈託のない笑顔を浮かべて、彼女は当たり前のようにそう言った。その無邪気な輝きに、俺の思考は停止する。
「……俺でいいの?」
思わず零れた問いに、紗月は首を傾げながら笑った。
「何それ? 当然じゃない! 私が誘ってるんだから、杉村君がいいに決まってるでしょ!」
その言葉に、俺は反論する余地もなく頷いてしまう。
「どこ行きたい? 映画とか、カフェとか、色々楽しそうだよね!」
「じゃあ、映画とカフェ……両方行こうか?」
「いいね、それ! 決まり!」
彼女は嬉しそうに笑いながら去っていった。その背中を見送った瞬間、教室全体の空気が変わったのを感じた。
「おい、杉村……今の何?」
隣の席の榊原が、驚きを隠せない声で問いかけてきた。その声が引き金となり、教室中にざわめきが広がる。
「橘さんが杉村を誘ったって、本当か?」
「ありえなくない? あの橘さんだぞ?」
「罰ゲームじゃないの?」
低い囁き声や笑いが耳に飛び込んでくる。周囲の視線が一斉に自分へと集まり、鋭く刺さるようだった。
「杉村、お前らってどういう関係なんだ?」
「いや……別に、そういうんじゃなくて……。」
しどろもどろになる俺に、榊原が腕を組みながらじっと目を向けてくる。
「お前、いつからそんな器用な真似ができるようになったんだよ。橘さんに誘われるとか、何か秘策でも使ったのか?」
周囲の陽キャ男子たちも興味津々といった様子で笑い合う。その笑いには悪意はない。それでも、俺の心はざわつきでいっぱいだった。
女子たちの視線も気になる。
「なんで橘さんが杉村君なんだろうね?」
「普通もっと目立つ人といるでしょ。」
その一言が胸に突き刺さる。視線を伏せると、机の上に置かれた手が微かに震えていた。
(なんで……俺がこんな目で見られるんだ?)
それでも、頭の中には紗月の言葉が繰り返される。
「当然じゃない!」
彼女のその一言が、まるで盾のように周囲の声を跳ね返してくれる気がした。
その夜、気分転換に本屋へ立ち寄ると、内藤麻奈の姿が目に入った。彼女は真剣な表情で本棚を見つめている。だが、その横顔にはどこか疲れが滲んでいた。
「内藤さん、また会ったね。」
声をかけると、彼女は一瞬驚いたように振り返る。
「杉村君……また偶然?」
「そうみたい。いい本、見つかった?」
「まあ、候補はいくつかあるけど……。」
彼女は視線を本棚に戻す。その疲れた表情が、何かを抱え込んでいることを物語っていた。
「最近、忙しいの?」
思わず口にした問いに、彼女は俺をじっと見つめる。その視線には、ほんの少し戸惑いが混じっていた。
「……どうしてそんなこと聞くの?」
「なんとなく。顔色が良くない気がしてさ。」
「ふふっ、そんなこと言われたの、初めて。」
彼女は微かに笑ったが、すぐにその笑みを引っ込めた。
「まあ、色々あってね。でも、別に気にしないで。」
「無理しなくていいんだよ。誰かに頼るのも悪いことじゃない。」
そう言うと、彼女はしばらく沈黙した後、小さく息を吐いた。
「杉村君、ほんと変わってるね。でも……ありがとう。」
その一言に、胸の中が少しだけ温かくなった気がした。
夜、ベッドに横たわりながら、今日一日を反芻していた。橘さんと内藤さん、それぞれの存在が胸の中で交錯する。
橘さんは明るくてまっすぐで、一緒にいると自然と元気をもらえる。彼女に誘われた瞬間、感じた喜びは、これまでにない特別なものだった。
(でも……教室でのあのざわめきは、本当にキツかった……。)
「なんで杉村が?」
「罰ゲームじゃないの?」
「ありえないよね。」
次々に飛び込んでくる声が胸を締め付ける。それでも、紗月の言葉が俺を支えてくれた。
「当然じゃない!」
一方で、内藤さんのことも頭から離れない。彼女の孤独を思わせる横顔に、昔の自分を重ねてしまう。
(だから、放っておけないんだよな……。)
橘さんとのデートを楽しみにしながらも、内藤さんのことが気になる――そんな自分の心の揺れを感じながら、俺は静かに目を閉じた。
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