星羅の彼氏の顔を見ると呪われる
放課後、私は生徒会室でパソコンに向かっていた。教室から離れた場所にある生徒会室は静かで、窓から差し込む陽射しが心地よかった。
私は高校1年生の葉月。私には少し変わった高校三年生の姉がいる。名前を弥生という。
姉はいわゆる「中二病」を患っていて、ある時はけがをしていないのに左手に包帯をぐるぐる巻いていたり、ある時は悪魔契約書と書かれたノートを持ち歩いていたり、様々な何か物語の登場人物になりきることがある。
今は、眼帯をしている。姉を知ってる人たちからしたらそれは日常的なことで、誰も姉に「目を怪我したの?」とも言わない。
その姉から「生徒会を手伝って欲しい」と頼まれた。
姉が手書きで作成した資料を、私がパソコンで清書するだけの単純な作業だった。手伝いの報酬は駅前の喫茶店で、特製パフェを食べさせてもらうことに決まった。
「葉月、これもお願い」
姉が書類を差し出した。私がパソコンで資料を作るよりも姉が手書きで資料を作る方がずっと早い。だから、私のところにはまだ清書しなきゃいけない資料が溜まって来てる。
「はーい。これ、パフェ一杯では割に合わない気がしてきた」
「そんなこと言わないで。みんないなくて困ってる」
生徒会室には私と姉しかいない。
生徒会の人は姉ともう一人を残して、みんな入院しているそうだ。姉にどうして入院したのか聞いたけど、姉は他人に興味がないので、知らないそうだ。
姉は私の隣に腰を下ろし、手元のメモ帳に何かを書き込んでいた。私は作業に戻る。私がキーボードを叩く音だけが響く。
その静けさを破るように、姉がぼそりと呟いた。
「こっちを見ないで」
気になって姉を見たら、じっと一点を見つめていた。私に言ったわけではないみたい。視線の先には棚の上に大きなバッグが置いてあった。誰のものだろうか。
「あのバッグがどうかした?」
私は姉に尋ねたが、姉は黙り込んでしまった。彼女の顔には恐怖と不安が浮かんでいるように見えた。
何か隠しているのは明らかだったが、私はそれ以上問い詰めることはしなかった。姉のことだから、また何かのキャラになりきってるだけで、意味などないのだろう。そう思った。私は再び作業に戻ろうとした。
しかし、姉は、続けて言った。
「葉月、星羅のこと」
「星羅先輩がどうしたの?」
星羅先輩は生徒会長で、姉の親友。今は席を外しているが、いつもはこの生徒会室で一緒におしゃべりしながら作業をしていることが多い。
「星羅の彼氏のこと、聞いた?」
「……<うわさ>は聞いたよ。でもあんな<うわさ>酷いよね。だからここでは言わないでおこうと思ってた」
その<うわさ>が学校に広まったのは先週のことだ。クラスメイトたちもその<うわさ>を話していたので、葉月も聞いてしまった。
「<星羅の彼氏の顔を見た者は呪われる>」
姉がそう口に出したとき、生徒会室に冷たい風が吹いた気がした。窓は閉まっているのに?と思って生徒会室の中を見回してみたが、気のせいだったのかもしれない。
「ただの<うわさ>でしょ?」
「葉月は、<うわさ>信じてないの?」
「信じるも何も、なんで星羅先輩の彼氏を見ただけで呪われちゃうの?星羅先輩にも彼氏にも失礼じゃない」
姉はとてもびっくした表情で私を見ていた。日頃は無表情なことが多い姉の驚いた顔はかなりレアだ。私は続けて言った。
「それに星羅先輩の彼氏、見たことがないよ。この学校の人なの?」
「うん、あなたには見えてない」
「見てない?お姉ちゃんの教室には行ったことあるけど……、同じクラスだったりするの?」
「うん、星羅とは幼馴染で同級生」
「素敵じゃない!幼馴染で恋人なんて。私ちょっと憧れちゃうかも」
「……」
「どんな人なの?ってお姉ちゃんに聞いても無駄か」
姉は他人に興味を示さない。だからどんな人かと聞いても、男性としか認識してなさそう。「目が二つで鼻は一つ」なんて説明を真顔でしそうだ。
「うん」
「あんな<うわさ>はひどいよね。悪口にしたって他にあるでしょうに」
姉は言葉を失い、視線を床に落とした。
「お姉ちゃん、どうしたの?なんか怖がってるみたい」
「……説明できない。でもこれから恐ろしいことが起こる」
姉は怯えていた。
「お姉ちゃん、何があったの?教えて」
姉は目から涙を流しながら、私を抱きしめた。
「葉月、お願いだから、星羅の彼の顔を見ないで。絶対に」
「呪われたりしないよ?」
「お願い、葉月。何も聞かずに」
「……わかった。お姉ちゃんの言うことを聞くよ」
姉の切実な訴えに、私はただ頷くしかなかった。生徒会室の静寂は再び戻ったが、その静けさは先ほどとは違い、重苦しいものだった。
私たちの間に漂う不安と恐怖。生徒会室の窓から差し込む陽射しも、どこか冷たく感じられた。この静かな午後、私たち姉妹の間に新たな影が差し込んだのだ。
それがどれほど深い闇を秘めているのか、私はまだ知らなかった。
◇ ◇ ◇
学校には常に何かしらの噂が飛び交っている。
でも、その<うわさ>は異様だった。
「ねぇ、葉月、聞いた?<星羅の彼氏の顔を見た者は呪われる>って」
友人が興奮気味に話しかけてきた。私はうんざりしながら、何度も繰り返した言葉を吐いた。
「私は姉のお手伝いしてるだけ、星羅先輩の彼氏は見てない、呪われてない」
「なんか棒読みだよ、どうしたの?」
「みんな聞いて来るんだよ!男子まで聞いて来るし。しかも「お前、やっぱ呪われてるんじゃないか」って面白がって。これで私がイジメられたら――」
私は周りで聞き耳たててる人たちに向かって大きな声で言った。
「――みんな恨むからね!」
みんなは笑ったりびっくりしたり、それぞれの反応だった。そんな事しないよ!と答えてくれる子もいた。自分で言うのも変だけど、私はクラスでの人間関係をしっかり築いてるつもりだ。
友人も苦笑しながら「まあまあ」と私を宥めながら、続けて言う。
「星羅先輩って、すごい美人だよね。それに親が大きな病院しているって。そりゃもう、モテモテだよね」
「お姉ちゃんの方が美人だよ、ちょっと変わってるけど」
「葉月のお姉さんは、ね」
友人はなぜか私のトートバッグを見るも、隣の席の子が「だめよ」と窘めた。気を取り直して、友人は口を開いた。
「でね、私は別の噂を聞いたのよ」
「別の噂?」
「そう。星羅先輩の彼氏、幼馴染で同級生なんだって。この学校にも通ってたらしいよ」
「幼馴染っていうのは聞いたよ。でも、通ってたって、今も同級生なんでしょ?」
「今は学校には来てないらしいよ。重い病気になって、星羅先輩の病院に入院してるらしいよ」
それは知らなかった。姉もそんなことを言ってなかった。今も、姉と星羅先輩の教室に行けば、彼氏もいるんだと思ってた。
「それが噂?」
「ううん、そうじゃない。これは3年生ならみんな知ってる話。私が聞いた噂はここから」
「もったいぶらずに言ってよ」
「星羅先輩の彼氏のご両親、遠くに引っ越したらしいの。変じゃない?自分の子供が重い病気でこの町の病院に入院してるのに、一人だけ置いて遠くに引っ越すなんて。そしたらね<息子が呪われてしまったから逃げた>んじゃないかって、噂があるの」
「誰から聞いた噂なの、それ」
「私は塾で仲の良い子から聞いた。でもその子は親から聞いたらしい。その子の親は取引先で聞いたって」
「……なにそれ、噂っていうか、嘘なんじゃない?」
「もう一つの噂もある。星羅先輩の彼氏、友達が入院先にお見舞いに行っても会わせてもらえないらしいよ。これはけっこう有名な話」
「へんじゃない?誰も会わせてもらえないのに、なんで顔を見ると呪われるのよ?」
「会わせてもらえないから、だよ。星羅先輩の彼氏は、重い病気で顔が二目と見られないほど、ひどい顔になってしまった。だから、その顔を見ると――」
私はすごく気分が悪くなった。噂に腹を立てても無駄かもしれないけど、もし本当に星羅先輩の彼氏が病気してるのなら、仮に、その顔が醜くなってしまったのだとしても、見たら呪われる、なんて。
イジメじゃないか。
「だめだよ、病気の人をそんな風に悪く言うのは。私は嫌いだよ?」
友人が悪いわけじゃないけど、つい、私は強く言ってしまった。
「ごめん。私が噂したわけじゃないの。とにかく、何かあるんだよ。葉月、先輩に聞いてみてよ」
「嫌よ。星羅先輩はそんな<うわさ>を嫌がってると思う。聞けないよ」
「葉月のお姉さんなら聞けるんじゃない?親友なんでしょ?」
「お姉ちゃんこそ、無理よ。なんか最近は様子がおかしいの」
「そうなんだ。まあ、チャンスがあったら是非!お願い!」
友人は拝むようにそう言うけど、チャンスなんて来るはずがない。私は気が重かった。
◇ ◇ ◇
放課後、生徒会室で作業をしていた。姉は用事で席を外していたので一人だった。
「あら、葉月ちゃん。手伝ってくれて、ありがとう」
生徒会室に星羅先輩がやって来た。星羅先輩は大きなバッグを椅子に置いてから、トートバッグを机の上に置いて、中から書類などを取り出している。あの大きなバッグは星羅先輩のものだったのか。
「そのバッグ、星羅先輩のものだったんですね。何が入ってるんですか?」
私が星羅先輩に聞くと、なぜかひどく動揺した様子で、私に尋ねた。
「この椅子に置いたバッグのことかしら?」
「はい。姉が気にしてるようだったので。何か重そうですね」
「これはちょっと、ね。それより出来てる分のチェックをするわ。出力してもらえるかしら?」
明らかに誤魔化したのはわかる。星羅先輩は、大きなバッグを手にして、壁際の棚の上に置いた。昨日も同じ場所にあったから、定位置なのだろう。私はそれほど興味もないので、追求はしない。
「あ、はい、すぐに出力しますね」
「さすが弥生の妹ね。仕事が早い」
印刷したものを星羅先輩に手渡しながら、頭に友人のお願いが頭をよぎったが、聞けるわけもなく、喉まで出かかった言葉を飲み込んだ。
でも、星羅先輩から、その話が飛び出してきた。
「葉月ちゃんのクラスでも、<うわさ>は広まってる?」
すぐになんの話か分かったけど、つい、とぼけてしまった。
「<うわさ>ですか?」
「ええ。<星羅の彼氏の顔を見た者は呪われる>よ」
星羅先輩は何でもないような口調でさらりと言った。
私はびっくりした。これだけ校内で噂になっているのだから、本人の耳に届いていても不思議はなかったけど、きっと気分を悪くしてるだろうから、あえて触れないようにしていたというのに。本人から聞かされるとは、思わなかった。
「はい、聞きました。星羅先輩は気分悪いですよね」
「そうね。でも、噂ってそんなものよ。そっか、一年生にまで広まってるんじゃ、ますますデートが難しいわね」
星羅先輩は不思議なことを言った。彼氏とデートすることと<うわさ>がどう関係するのか。
「星羅先輩の彼氏って、重い病気で入院してるって聞きました」
「そうよ。でも、今は出歩ける程度に体調が良くなってるの」
「そうだったんですか!噂っていい加減ですね、面会謝絶で誰も会わせてもらえないって聞きましたよ」
「ああ。そういう時期もあったの。今は回復に向かってるわ。たまに学校にも来てるわ」
「ほんと、ひどい<うわさ>ですね。私も言われたんです、お前、呪われたんじゃないか、って。ムカつきました。病気の人のことを悪く言う噂、私は本当に嫌いなんです。高校生にもなってそんな噂でイジメようだなんて!」
私がそう怒ってると、なぜか星羅先輩は少し涙しながら、私に言った。
「ありがとう、葉月ちゃん。<うわさ>のことで怒ってくれてるの、葉月ちゃんだけよ」
「そうなんですか?まあ、姉はそういうの、関係ないって言っちゃう人だからしようがないですけど」
「弥生はいいの。でね、彼と近所でお散歩デートしようかって相談してたのよ」
「良いですね!私は彼氏いないから羨ましいです」
「あら、葉月ちゃんは可愛いし、元気で明るいから、モテるでしょ?」
「なんかうるさいって振られました」
「あら。そんな男、フラれて正解よ。葉月ちゃんの魅力がわかってない!」
話の矛先が私の方に向いちゃったので、修正をかける。
「あ、ごめんなさい、話の腰を折っちゃいましたよね。デート、どんどんすればいいと思います!そうすれば<うわさ>なんて、やっぱり嘘だったってみんな思い知りますよ」
「でも、こんな<うわさ>が広まってたら、私が彼と歩いているだけで、騒ぎになりそうじゃない?」
確かに星羅先輩の心配は、考えすぎだとも言えない。学校の生徒ならみんなこの噂を知っているだけに、星羅先輩が彼氏と歩いていたら、皆が一目見ようと囲みそうだ。そして、呪われるぞ!って騒ぐ馬鹿が居ても不思議じゃない。本当に迷惑な<うわさ>だ。
「遠くには行けないんですか?」
「難しいわ、良くなってるとは言え、急変することもあり得るもの。彼の体調を考えたら、出来れば、長距離移動は避けたいの」
「それは心配ですね」
私は星羅先輩の様子から、<うわさ>はまったくのでたらめであったことを確信する。そりゃそうだ、そんなわけがない。病気の彼氏との時間を大切にしてる一人の女子を、こんなに困らせるなんて。
ひどい<うわさ>を広めた人を見つけたら、殴ってやりたい。
星羅先輩は本当に困ってる様子なので、私は一つ提案をしてみる。
「星羅先輩と彼氏さんだとわからないくらいの変装をしたらどうでしょう?」
「バレないかしら」
「校内だと目立つかもですけど、商店街だったら、他人の顔なんて、マジマジと見たりしないじゃないですか。きっとバレませんよ」
「なるほどね、それは良い案かもしれないわ」
星羅先輩は考え込むようなしぐさをした。なぜか、ちらりと大きなバッグの方を見たような気がしたが。
「先輩の彼氏さんは、どんな人なんですか?」
星羅先輩の顔が輝いたように笑顔になった。
「彼はとても優しくて、私のことをいつも大事にしてくれるの。私が何を望んでいるのか、何を考えているのかをすぐに理解してくれて。そして、彼の唇!あの完璧な唇が、私にはたまらないの!」
「唇?」
私は星羅先輩の高まったテンションに驚いて聞き返した。
「そう、彼の唇は本当に理想的。形も色も柔らかさも肌さわりも完璧で!キスするといつもドキドキするのよ!」
星羅先輩は夢見るような目で話し続けた。
「彼の唇が私の全て。だから、いつもリップクリームを持ち歩いて、彼の唇を完璧な状態に保つようにしているのよ」
そう言って、星羅先輩はトートバッグから、リップクリームを取り出して見せてくれた。
私はドン引きしていた。彼氏自慢は、友人などからも聞き慣れてるが、こんな気持ち悪いのも初めてかも。
そんな私の様子を見て、自分がしゃべりすぎたことに気付いたのか、星羅先輩は咳払いしてから、少し怖い表情で、私に言った。
「葉月ちゃん、人にはそれぞれ事情があるわ。弥生ならこう言うはずよ。他人のことに踏み込みすぎるな、と」
姉ならそう言うだろう。好奇心のあまりに首を突っ込みがちな私を姉はよく諌めている。それを引き合いに出されては、私も黙るしかないのだが。
それでも私はこれだけは聞いてみたかった。
「写真だけでも見せてもらえませんか?」
星羅さんは静かに首を振った。
「それはできないわ。彼のプライバシーを守りたいの」
あれだけ嬉しそうに彼氏自慢する人のセリフと思えず、その言葉に私は納得できなかったが、星羅先輩の目には断固たる意志と、一瞬の恐怖が浮かんでいたように見えた。その光景が私の心に引っかかった。
「そうですか。すみません、星羅先輩。色々と聞いてしまって。後から姉に怒られそうです」
「良いのよ、私も、弥生も、あなたのことが大好きだから、許すわ」
そう言って微笑む星羅先輩は優しくて上品な先輩に戻ったようだった。
しかし、私の胸には疑念が渦巻いていた。星羅先輩の彼氏の噂は、誰が何の目的で広めたのだろう。病気で苦しんでいる人を悪く言うような悪意のある噂を広めて、何の得があると言うのだろう。
生徒会室の窓から差し込む夕陽が、部屋の中を赤く染めていた。星羅先輩の顔がその光に照らされ、不思議な影を作り出していた。
その影が、まるで彼女の内に潜む何かを示しているように伸びていった。
◇ ◇ ◇
次の日。教室で、友人たちがひそひそ話しているのが耳に入った。
「ねぇ、聞いた?また変なことが起きたんだって」
「何?今度は何があったの?」
「美術室で誰かが突然叫び出して『顔が見てる!』って言いながら走り去ったんだって。石膏像のデッサン中だったんだけど、その人が書いた絵って、顔の部分がぐちゃぐちゃに塗りつぶしていたそうよ」
私はその話を聞いて驚き、思わず耳を傾けた。最近、校内で奇妙な出来事が増えているのは知っていたが、こんなに具体的な話を聞くのは初めてだった。
「他にも何か聞いた?」
「うん。先生もおかしくなったらしい、三年生の授業をしていた先生が、急に何も言わずに教室を見回したかと思ったら『顔が!顔が!もう見たくない!』って泣き叫んだらしいよ」
「なにそれ、ストレス?」
「先生だけだったら、そうかもだけど。この学校って、他にもへんなことあるよね。そもそも人形を――」
何が起きているのか理解できなかったが、どの話にも「顔」が登場するのだ。顔を見たくないとか、顔が頭から離れないとか、とかく顔に対して恐怖を感じている様子らしい。
「オレは、星羅先輩の彼氏、見ちゃったかも」
別の男子が話してるのも聞こえてきた。
「え!マジ?大丈夫か?」
「あの<うわさ>って顔を見たら、だよな?」
「ああ、見たのか?」
「いや、後ろ姿だけ」
「じゃあ、大丈夫なんじゃないか。なんともないんだろ?っていうか、後ろ姿なら何で先輩の彼氏だってわかるんだよ?」
「だって、星羅先輩と腕を組んで歩いてたんだよ。星羅先輩は顔が見えたからすぐわかったんだけど、その瞬間に<うわさ>が頭よぎって、もしかして!と思って、咄嗟に目を逸らしたんだ」
「マジで!それ目を逸らさなかったら、呪われてたな」
私は、その男子たちに文句を言ってやりたかった。なんで彼氏と腕組んで歩いてるだけで、そんなこと思われなきゃいけないんだ!
何かが起きている。集団ヒステリーが発生しようとしているのかもしれない。
そのきっかけはあの<うわさ>だ。
◇ ◇ ◇
その日の放課後、私は生徒会室で一人で作業をしていた。
いつもなら姉が一緒にいるはずだったが、星羅先輩と共に職員室で先生と打ち合わせがあるようで、あとで戻ってくると言ってた。
静かな部屋で、私は一人でパソコンに向かっていた。姉の書いた書類をせっせと清書していく。
でも、最近の校内での異常な話が頭をはなれない。いったい何が起こっているのか。
冷静に考えてみよう。
まず、星羅先輩の彼氏を見たら呪われるという噂。こんなの考えるまでもなく、そんなことをあるはずがない。
でも、星羅先輩と話したときに感じた違和感。彼の事を大切にしていると言いながら、彼女は変なことを言った。
『いつもリップクリームを持ち歩いて、彼の唇を完璧な状態に保つようにしているのよ』
彼氏自身がリップクリームを持ち歩いてるのなら、わかる。でも、なんで星羅先輩が彼氏の唇のケアをしているのだろうか。
病院で自力では起き上がることも出来ない、というのならまだわかるのだ。恋人である星羅先輩が足蹴く病室に通い、そして彼氏の世話をしている中で、リップクリームを塗っている、というのなら。
でも、星羅先輩は言ってた。一緒にお散歩デート出来る程度には回復していると。学校にもたまに来てる。見た人もいるみたいだ。
キスをする前に塗ってあげているとか、そういうことなんだろうか。
<ゴトッ>
「!」
何かが物音をたてて、私はびっくりした。
恐る恐る生徒会室の中を見回すけれど、誰もいないし、何か落ちたようなものもない。
音がした方をじっと観察していると、ふと、大きなバッグが気になった。星羅先輩の持ってきたバッグだ。形としてはボストンバッグ、色は黒、中には丸い何かが入っているみたいで、膨らんでいる。
星羅先輩は、学校で使うものなどは可愛らしいトートバッグにいれて持ち歩いている。つまり、あの中身は教科書などではないようだ。
この大きなバッグはいつも持ち歩いているわけではない。星羅先輩が今日みたいに用事があって出かけてるときは、生徒会室に置いてあることが多い。姉も、星羅先輩も、意味ありげに大きなバッグに視線を向けることがあるのを、私は気づいていた。
いったい中身はなんだろう。
私は立ち上がり、吸い寄せられるように、大きなバッグに向かって歩き出す。他人のバッグを勝手に開けて見てはいけない、そう理性が止めるのも聞かず、好奇心だけが暴走している。
鼓動の高鳴りを感じる、とてもドキドキとしている、手のひらに汗をかき、それなのに不思議と背中は寒気すら感じている。
大きなバッグに手を伸ばそうとした時。
「戻りましたわ」
「葉月、ごめん、おそくなった……、どうしたの?」
その時、星羅先輩と姉が生徒会室に戻って来た。私は慌てて一歩、二歩と下がった。
私は悪戯を咎められたようで、びっくりして何も説明できなかったが、二人は気にしない様子で、お互いに荷物などを机に置きながら、二人で話を始めた。
「星羅、今日の話は議事録としてまとめておくから、あとでサインを」
「わかったわ。お願いね。私はお茶を入れるわ」
そういって、星羅先輩がお茶やポッドのある方へと目を向けるので、私はあわてて言った。
「あ、私、入れますよ!」
「そう。おねがいね、葉月ちゃん」
私は急いで大きなバッグから離れて、お茶をいれるために湯沸かしの電気ケトルを手に持つと、生徒会室を出て、水道のある給湯室へと向かった。
内心は、恐怖していた。今すぐにでも姉に泣きつきたかった。星羅先輩が居なかったら、そうしていただろう。
何故ならボストンバッグに近づいたとき、私はボストンバッグから声を聞いた気がする。
言葉にならないうめくような声だった。
そんなはずはない、きっと気のせいだ、二人が入ってきたから慌てていたから、空耳が聞こえたんだ、そう自分を説得した。
◇ ◇ ◇
週末を挟んで、月曜日。
放課後の生徒会室は、いつもとは違う重苦しい雰囲気に包まれていた。
週末に商店街で起きた事件が大きな話題になっていたからだ。
私はスマートフォンで商店街の報道ニュースを再生した。
【 商店街での暴動騒ぎです。現場となったのは、◯◯駅前の商店街です。日曜日の午後、通行人が多く賑わっていた商店街で、突然人々が次々に倒れたり、嘔吐したり、叫んで暴れたり、殴り合いを始めるなど、異常な行動を取る騒ぎが発生しました。
現場に駆けつけた警察は事態の収拾に努めましたが、集団ヒステリー状態で、混乱はなかなか収まらず、暴徒鎮圧用の催涙ガスを使用してようやく鎮めることができました。この騒ぎで数十人が負傷し、周囲の店舗にも被害が出ています。
警察は現在、毒ガスや化学兵器の使用の可能性を調査していますが、専門家はこれを否定しています。集団ヒステリーのきっかけとなったものは、現在、被害者などから事情を聞いて、調査中とのことです。
警察の調査が進展し、さらなる情報が入り次第お伝えいたします。】
「すごい騒ぎになってますね」
スマートフォンを机の上に置きながら、私は二人に話しかけた。
「ええ、ずっとそのニュースで持ちきりね」
星羅先輩は新聞の一面に視線を落としながら、頷いている。姉はどこか心ここに在らずといった様子で、落ち着かないようだ。
意を決した様子で、姉は星羅先輩に尋ねた。
「星羅、あなたはどこにいたの?」
星羅先輩は一瞬躊躇したが、観念したように、小さく息を吐いてから答えた。
「私は彼と一緒に商店街にいたの」
「やっぱり……」
姉は小さな声で呟いた。私は姉の様子がおかしいのも気になりながら、星羅先輩に尋ねた。
「前に言ってたお散歩デートですか?」
「そうよ、葉月ちゃんが考えてくれたから。二人で変装してデートしてきたの」
「わあ!良かったですね!」
星羅先輩は嬉しそうだ。もしこんな騒ぎが起きてなかったら、詳しくデートの様子を聞きたいところなのだけれど。
「でも、私たちは騒ぎの中心にはいなかったの。商店街を二人で歩きながらお店を覗いたり、食べ歩きしただけ。そしたら騒いでるのが聞こえたから、彼の体を気遣って、商店街を離れたのよ」
「そうだったんですね、せっかくのデートだったのに、ゆっくり出来なくて、残念ですね」
「ええ。でも、葉月ちゃんのおかげで二人でデートできたの。ありがとう、葉月ちゃん」
「お役に立てたのなら、良かったです」
「本当に久しぶりだったから、こんな騒ぎがあったのに不謹慎かもしれないけど、嬉しかったわ」
「そうですね、でも、知らなかったんですから、良いと思います」
私は星羅先輩に話を合わせ、口では良かったですねと言いながら、気になってることを星羅先輩にぶつけてみた。
「星羅先輩、SNSである写真が話題になってるの、知ってますか?」
私は再びスマートフォンを手に取り、SNSアプリを開く。
「SNSで?」
「はい、商店街で撮影された写真なんですが、この騒ぎの原因じゃないかって言われてます。この写真を見た人がなぜか気持ち悪くなる写真らしいです」
そう言って、スマートフォンの画面をを星羅先輩に見せた。そこには一枚の写真が写っており、サングラスやマスクで変装している女性が、大きなバッグを肩から下げてる。
星羅先輩を知ってる者なら、それが星羅先輩だとわかるような、簡単すぎる変装だ。
なぜかSNSでは「このカップル、気持ち悪い」って書かれてるけど、人混みの中を歩いてるのは、変装してる女性だけだ。写真に見切れて腕だけ写ってるのが彼ということなんだろうか。
隣では姉が小さく震えてる。星羅先輩は目を伏せ、困ったように唇を噛んだ。
「私たちは普通にデートしていただけよ。騒ぎが起こったのは私たちとは少し離れたところだったわ」
「星羅先輩。私は呪いなんて本当にあるとは思っていません。あの<うわさ>にしたって、星羅先輩と彼氏さんに対して、ひどいと思ってます。でも、何かがきっかけになって、集団ヒステリーが発生しているんじゃないかと思ってるんです」
「彼の<うわさ>のせいだ、私のせいだと、葉月ちゃんはそう言いたいの?」
「校内でもへんなことがたくさん起こってます。星羅先輩ももちろん耳に入ってますよね?先生が突然泣き出したりしたのは、先輩も受けていた授業だったと聞きました」
「ええ、そうよ」
「私は星羅先輩を責めてるんじゃないんです。でたらめな<うわさ>だからと放っておけない、誰が何の目的で広めた<うわさ>なのか、学校側にも報告して、第三者によって、きちんと調査すべきじゃないかと、そう思ってます」
私は意見を言った。生徒会でもない私の意見なんか取り上げられないけど、責任感の強い星羅先輩なら、私の意見に賛同して、すぐに学校側に交渉してくれる、と思ってたのに。
「そうね。たしかに、校内がとても混乱してるのはわかってる。でもね、そんなことはどうでもいい。私は彼と幸せになりたいだけ」
星羅先輩は笑った。その笑みが、私にはとても怖いと感じた。私が言ったことが、全く伝わっていない。
「星羅先輩……?」
私は何か言おうとした、でも、姉が震えながら私の腕を掴んだ。
「葉月、それ以上はダメ」
弥生姉の声は震えていた。
「お姉ちゃん?」
姉は何も答えなかった。だれも、何も言わないまま、重い沈黙が生徒会室に広がった。堪らずに、私は席を立ち、そのまま生徒会室を出た。
◇ ◇ ◇
その夜。私は姉の部屋に向かった。
昼間の生徒会室での出来事が頭から離れない。姉はいったい何を恐れているのか。
姉の部屋のドアをノックをした。小さく「はい」と姉の返事を聞き、ドアを開ける。
「お姉ちゃん、話を聞かせて」
部屋に入ると、姉はベッドに腰掛け、無表情に私を見ていた。私が来るのを待ってくれていたのだろうか。
「葉月、無駄と思うけど、言う。もう星羅に関わらないで」
「それは出来ないよ。きっともう私は他人事じゃないんだよ。私がどう関わってるのか分からないけど、もう何も知らないまま、見て見ぬふりしたから安全とは思えないの」
「……そうね。葉月に星羅は興味を持っている。おそらく、星羅は葉月に彼氏の顔を見せる。でも私はそれを阻止したい」
何故だろう。星羅先輩の彼氏のことは、聞く相手によって全く印象が違って聞こえる。
姉は、ひどく怯えていた。友人は、彼氏が呪われてしまったから両親が逃げたと言ってた。校内や商店街は、集団ヒステリー状態だ。
でも、星羅先輩の話を聞く限りでは、病気の彼氏を支えてる健気な女子だ。
「お姉ちゃんは言ったわ。これから恐ろしいことが起こる。そして、その通りになった。きっと今回の一連の出来事で、もっともよくわかってるのはお姉ちゃんだよ」
「すべて話す。でも、何があっても、星羅から見せられたとしても、彼の顔を見ない。それだけ約束してほしい」
「分かった、約束する」
私は座り直して、姉の話に耳を傾けた。
「星羅には隠された過去がある。半年ほど前、ある事件を起こした」
「事件?」
「彼は幼馴染で同級生。仲が良くて、みなが羨むカップル。でも、それは表向きの顔。裏で、星羅は彼を支配していた」
「支配?どういうこと?」
「すべて星羅が決めたことを彼はする。起きる時間も寝る時間も。起きた後も寝る前もスキンケアは星羅が決めた通りにする。食べる物も時間もすべて星羅が決める」
「そんな、ことって」
「私から見ても異常。彼が自分の言うことを聞かないと、星羅は怒り狂った」
私は、自分が知っている星羅先輩とは全く違って、声も出ない。彼を支配したがる女性もいるとは聞いたことがあるけど、そんなレベルじゃない。それは恋人と言うよりも――。
「特に、彼の唇に対して異常な執着があった。いつもリップクリームを塗るように指示し、それを怠ると激怒した」
それは私が星羅先輩に彼の事を聞いたときも言ってた。聞いたときも違和感があった言葉だ。
「それ、星羅先輩から聞いたよ。怖かった」
「あの日、彼がリップクリームを塗り忘れたことが原因で、星羅はナイフを持ち出し、彼の顔を斬りつけたの。何度も何度も。彼は顔を斬りつけられながら、ずっと謝ってた」
「そんなの!事件じゃない!ニュースになってるんじゃないの?」
「なってない。目撃者は少なかったし、ほとんどは金で黙った。彼の両親ですら、金を貰って彼を残して遠くに逃げた」
噂は本当だった。ある意味で、彼は呪われ、両親は彼を捨てたんだ。
「そんな…どうしてそんなことを?」
「星羅の狂気はそこにあるの。執着し完璧さを求める。その執着が暴走したとき、理性を失う」
「星羅先輩がそんな人だったなんて。それで、その事件が明るみに出るのを嫌だから、今回の件も、何もしないというの?」
「違う。そんな話じゃないの。すべては彼のためよ」
「彼って、その顔を切られた人、今も星羅先輩の彼氏、なの?」
「そう。もう彼は星羅から逃げられない。もう表にも出られない。学校はすでに辞めてる。飼われてるのと同じ。でも、そんなことさえ、今はもう関係ない」
「え、大事件だよ、監禁してるってこと?」
「そのあと星羅が彼氏にしたことを思えば、どうでもいい」
「なにを、したの?」
「……」
「お姉ちゃん?」
姉は震えながら顔を伏せた。そして、意を決したように顔を上げた。
「葉月、何度も言う。絶対に彼の顔を見ないで。私は、星羅が彼にしたことを知っている。その彼の顔を見てしまったから――」
そう言うと、姉はゆっくりと眼帯を外した。そこには、眼球が抉り出されて空っぽになった目のくぼみがあった。
「――っ!目が、ない!?」
私は恐怖した。自分がどんな悲鳴を上げたのかさえわからない。何がどうなっているのか理解できず、ただその恐ろしい光景を見つめるしかなかった。
姉は呟くように小さく「やっぱり」と言った後で、続けて言った。
「彼の顔を見たものは呪われる。私は呪われてしまった。でも、咄嗟に自分で自分の目を抉った」
「ど、どうし、て?」
「呪われて、狂ってしまうから。私は完全に狂ってしまう前に、こうするしかなかった」
姉の声は震えていたが、その中には確固たる決意が感じられた。
私は声なき悲鳴を上げ、後ずさりした。目の前の現実が信じられず、頭が混乱していた。
「葉月。私は星羅を見捨てない、見捨てられないから一緒にいる。でも、葉月はそうじゃない、関わらなければ、あなたは無事でいられる」
姉はそう言いながら、再び眼帯を戻した。
「どうして、お姉ちゃんは……」
「私は半分だけ正気。でも、残り半分は呪われて狂ってしまった。私の中で常にせめぎあっているの。校内の噂を聞いたでしょう?恐ろしかったでしょう?私もそうなるかもしれない」
「どうすれば、彼の呪いを解くことが出来るの?」
「わからない。でも、きっと星羅と彼氏が居る限り、呪いは続く。二人を殺すことが出来るなら、殺してほしい。でも、出来ないなら、関わらないで欲しい。その覚悟が必要」
「私、お姉ちゃんを助けたい。こんなの、だって、異常だよ」
私は震える声で言った。
「二人を殺して。私は手伝えない。それでも星羅は親友だから」
「そんなこと、できないよ」
「なら、見捨てて。私は葉月が呪われるのは見たくない」
「お姉ちゃん……」
私はついに泣き出し、姉は私を抱きしめて、二人で泣き続けた。
◇ ◇ ◇
学校は異常事態のままだった。
生徒たちも先生たちも次々と体調を崩し、誰もが不安と恐怖に囚われていた。原因不明の感染症だと発表されているが、学校自体が閉鎖されることはなく、授業も行われている。
その異常性に皆が気付いているのに、目を逸らし、日常を取り繕ってる様子が、私にはとても恐ろしい。
放課後、私は姉と生徒会室に向かった。
姉には、二人だけで星羅先輩と話をしたいと告げた。もちろん、姉は反対した。でも、私の決意が揺るがないとわかり、姉は隠れて話を聞いてくれることになった。
私も星羅先輩と二人きりになるのは少し怖かったが、もう後には引けなかった。生徒会室のドアを開けると、星羅先輩が一人で机に向かっていた。
「こんにちは、星羅先輩」
私はなるべく平静を装って挨拶した。
「こんにちは、葉月ちゃん」
星羅先輩はいつもの優しい笑顔で答えたが、その目には何か隠しきれない不安が漂っていた。
「今日は少しお話ししたいことがあるんです。いいですか?」
私は心の準備を整えながら話を切り出した。
「もちろん、いいわよ。どうしたの?」
星羅先輩は穏やかに尋ねた。
「昨日の話の続きをしたいんです。星羅先輩は私に問いました。星羅先輩の彼氏の<うわさ>のせいで、校内が混乱していると言いたいのか?と。それに、はっきり答えましょう」
「ええ、答えてちょうだい」
「あなたの彼氏の<うわさ>のせいです」
「そう。だとしても、私にどうしろと?前にも言ったわ、私が<うわさ>を広めたわけじゃない。私は彼と穏やかに暮らしてるだけよ」
星羅先輩の声にはわずかに苛立ちが混じっていた。
「姉から聞きました。星羅先輩は過去に彼氏の顔を傷つけたことがあると」
その言葉に、星羅先輩の表情が一瞬険しくなった。
「本当に仲の良い姉妹なのね。弥生がそんなことをあなたに話すなんて。弥生はあることと引き換えにして、誰にもそれを話さないと誓ったというのに」
私は、次に話そうと思った事が話せなくなった。姉は、事件の事を黙っていることで、何か星羅先輩と取引をしたというのか。
「姉は何を引き換えにしたんですか?」
「あら。それは話さなかったのね。弥生は眼帯をしているでしょう?あれが関係しているわ」
「眼帯の下は見せてもらいました。空っぽになってました」
「空っぽ?いえ、眼帯の下には、目をいれたわ」
「義眼のようなものですか?」
「本物の目よ。どうやってそれを手に入れたのか、私は知らないわ。悪魔と契約したと言ってたけど、いつもの妄言でしょう。私も見せてもらったけど、とてもきれいな目だった。弥生はよっぽど気に入ったみたいで、自分で目を抉ったから、そこに私が移植してあげたわ」
星羅先輩はいったい何の話をしてるんだろうか。
そんなものあるはずがない。もう虚構と現実が区別できなくなってるのだろうか。簡単に他人の目を移植なんて出来るはずがない。姉の眼帯の下も、間違いなく空っぽだった。星羅先輩はすでに狂ってしまったんだろうか。
「まあ。私の過去のことや弥生のことなんて、どうでもいいわ。彼は私にとって特別な存在なの。それが何でいけないの?」
「……皆が苦しんでいるんです。何かを見てしまったせいで」
「そこに誤解があるのよ。私は誰にも彼を見せていない。あ、弥生は別よ、彼女だけは私の親友だから、特別に見せてあげたわ」
「見せてない?」
「ええ、<うわさ>はこうでしょ?<星羅の彼氏の顔を見ると呪われる>、でも見ることが出来ないのなら、誰も呪われないでしょう?だから私たちは<うわさ>は無関係というわけ」
「でも、たまたま見てしまうこともあるんじゃないんですか?商店街をデートしたときみたいに」
「ああ。あのときね。きちんと隠していたから、誰も彼の顔を見ることはできなかったはずよ」
「でも、SNSで……」
「葉月ちゃん、あなたには分からないわ。彼がどれだけ私にとって大切な存在か。彼と一緒にいることでどれだけ救われるか」
その言葉に、私は困惑した。星羅先輩の言葉の裏には何か深い悲しみと狂気が混じっているように感じた。
「あなたは彼氏に、なにをしたんですか?」
星羅先輩の目が冷たく光った。
「会わせてあげる」
「え?」
「あなたが自分の目で、確かめたらいいでしょ?私が彼に何をしたのか、何が人々を狂わせていくのか。本当に<星羅の彼氏の顔をを見ると呪われる>のか」
そう言うと、星羅先輩は、椅子から立ち上がり、生徒会室の棚の上に置いてある、大きなボストンバッグを手に取った。そして、机の上にもってきて、ドスン、と置いた。何か重いものが入っているようだ。
「さあ、ご覧なさい。これが私の彼氏よ」
星羅先輩はそう言いながら、ボストンバッグのチャックを開き始めた。黒い髪が見えてーー。
その瞬間「見ちゃだめ!葉月!」と姉の声が響き、隠れてた姉が飛び出してきた。
私はとっさに固く目を閉じた。視界が真っ暗になり、何も見えなくなった。
「あははは!もう遅いわ!目を閉じたところで、狂気は伝播する!商店街で試したもの!見たでしょう?バッグに入れたまま移動しただけで、みんな狂ってしまうの!」
星羅先輩の叫び声が聞こえた。
「葉月を巻き込まないで!」
姉の声は震えていたが、強い決意が感じられた。
「見たいというから見せてあげてるのに!?彼は私の理想なのよ!」
星羅先輩の声には狂気が混じっていた。
「それがどれだけ危険か、あなたもわかってるでしょ!彼の顔を見た人がどうなるか!」
「だから何?私には関係ないわ。彼は私のもの。誰にも邪魔させない」
「だめ!葉月だけは!他の誰に何をしようと黙っていようと思ってた。関係ないと思ってた。でも葉月だけは許さない!」
「あなただけは!あなただけは私たちの関係を祝福してくれてると思ってた!」
「私と葉月に関わらなければ、祝福でも呪詛でもしてあげる!」
「彼と私は一緒にいるべきなの。あなたと葉月のように。誰にも邪魔させーー」
そこで星羅先輩の声は不自然に途切れ、続いて、星羅先輩の悲鳴が響いた。
「きゃああああ!」
「許さない」
「あなた、何をするの、だめ、やめて、その目を見せてないで、その目で見ないで、もう、くるいたくないクルイタクナイ!」
「星羅」
「いや、イヤ、イヤああアア!」
星羅先輩が悲痛に叫んだ。
次の瞬間、何か重い物が落ちる音がした。外から悲鳴が聞こえている。私は何が起きているのか理解できずにいた。
私はそっと目を開けて、姉を探した。
姉は呆然と窓から下を見ている。星羅先輩と争ったのか、髪は乱れ、シャツのボタンもはじけ飛んでいる。眼帯も外れてしまったのか、姉は自分の手で目をおさえている。
私は姉に近づき、姉が見下ろしている窓の外をそっと覗き込むと、地面に倒れている星羅先輩の姿が見えた。彼女はうつ伏せに倒れていて、動かない。
「星羅先輩……」
私は震える声で言った。
「もう手遅れよ、葉月……、彼女は、彼女自身の狂気に飲み込まれてしまった」
私は信じられない思いで、窓から見下ろしている光景を見つめた。
◇ ◇ ◇
星羅先輩が窓から飛び降りた事件の後、学校は混乱と恐怖に包まれていた。
警察が駆けつけ、事態の収拾に努めた。星羅先輩は奇跡的に怪我だけで済んだ。彼女が抱えていたボストンバッグがクッションとなり、命を取り留めたのだ。
警察がボストンバッグを開けると、そこには男性の頭部だけが入っていた。星羅先輩の彼だった。
彼は行方不明になっていたことさえ、世間は知らない。両親も星羅を恐れ、息子を捨てて、逃げてしまっていたから。
凄惨な事実に誰もが言葉を失った。
死後、腐らないように防腐処理(エンバーミング処置)が行われた形跡があり、いつ殺されたのかわからないそうだ。ナイフで切り付けられた傷は癒えておらず、姉が見た殺傷事件の直後にもう殺されていたと推測されている。
悲惨な死体を見慣れている専門家たちでさえ、目を覆うような悲惨な遺体だったと報道されてたが、呪われたという話は聞かない。
もう呪いは解けたのか、あるいは星羅先輩と一緒にいる時だけ呪われるのか。
あるいは<うわさ>がデタラメだったのか。
体は見つかっていない。星羅先輩は体には興味がなかったのか、覚えてないと供述してる。たぶんもう見つからない。誰にも知られないように防腐処理ができるように、星羅先輩は父親の助けを借りて、死体を処理することが可能だった。
星羅先輩は逮捕され、殺人容疑や死体損壊、死体遺棄などの罪に問われることとなった。
星羅先輩の狂気と、その行動の裏に隠された真実を知りたかったが、恐怖と悲しみが私の心を支配して、家から出られなくなっていた。
数週間後、私宛に一通の手紙が届いた。それは星羅先輩からで、精神鑑定のために留置された医療施設から出された物のようだ。
震える手で封を開け、中身を読み始めた。
---
葉月へ
未だに正気を保てる時間は長くないので、用件だけを書きます。
これは、葉月を守るために、伝えたいことです。葉月だけが、私が彼の話をしたときに、真剣に聞いてくれた。噂を聞いても怖がらず、私の事を気遣ってくれたり、噂を怒ってくれたり、デートを喜んでくれたり、一緒に考えてもくれました。だから、葉月だけでも救いたい。
なぜこんなことになってしまったのか、自分でもよく分かりません。もともと、彼のいい加減なところに苛立ちを感じていたのは事実です。でも、決して彼を傷つけたりはしません。彼は私にとって特別な存在であり、私の理想の彼氏だったのです。
しかし、私は”目”を見たのです。煌々と赤黒く輝く”目”は、常に私を見ていました。そして、気づけば私は彼を傷つけていました。それからの記憶はあまりありません。ただ、何かに操られているような感覚がずっとありました。
あの日、再び”目”を見ました。以前にもまして禍々しく輝いていました。そして悟りました。私は”目”によって狂わされたのです。
なんということをしてしまったのでしょう。その移植をしたのは他でもない私です。彼を傷つけてしまったとき、そのことを黙っている代わりに頼まれました。いったい自分の目に何をしたのか、私にもわかりません。
葉月、どうか気をつけてください。”目”には何か恐ろしい力が宿っています。私はその力に負けてしまいましたが、葉月ならきっと。
あなたのこともわかりません。
生徒会室でずっと私の彼と一緒にいても、あなたは平気だったのはなぜなのでしょう。
生徒会は私を残してみんな狂ってしまった。校内を彼と歩いただけで、みんな狂ってしまった。だから私はもう彼を移動させられないと思っていた、彼とデート出来ないと思ってた。
でも、あなたは違ったから、もしかしたら校内の騒ぎと彼は関係ないのかもしれないと、思った。だから、思い切って商店街をデートしてみたのです。
結果は、あなただけが特別だった。
あなたは眼帯の下を見たと言いました。あの目を見たはずです。なのに、なぜ、葉月は明るく元気なままでいられるの?あなたがなにかしたの?私は葉月が心配です。葉月だけは救われて欲しいのです。
どうか、真実を見つけ出し、この狂気の連鎖を断ち切ってください。
星羅より
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手紙を読み終えた私は、全身に冷たい汗が流れるのを感じた。
私は姉の部屋に向かい、ノックする。小さく「はい」という声が聞こえたので、ドアを開けると、姉はベッドに座っていた。彼女の眼帯が目に入り、胸が締め付けられるような思いをした。
「お姉ちゃん、星羅先輩から手紙が届いたの」
私は震える声で言った。
「そう。何て書いてあったの?」
「星羅先輩がひとつだけ、不思議に思ってたみたい」
「なに?」
「星羅先輩はあえて誰かに見つかるように、校内を彼の頭を入れたバッグを持ち歩いて、<うわさ>の広がりを観察していた。それによって、彼の影響力を測り、人の多い商店街を彼とデートすることが出来るか、確認していた」
「そのせいで校内に呪われた人が増えた」
「うん、星羅先輩は<うわさ>が思ったより早く広がったから、その影響力から、お散歩デートは断念するつもりだった。でも、私がいた」
「……」
「ずっと生徒会室に彼の頭はあった。だから、星羅先輩は私がいつ狂うのかと思って心配さえしてた。私はずっと生徒会室に通っていたから」
「うん」
「でも、私は変になる様子がない。それどころか、デート出来るように、背中まで押してしまった。先輩、嬉しかったみたい。私が応援したことで、彼の影響力の心配より、自分の夢を叶えることの方が勝った。だからお散歩デートは実行された」
「だから、あんな馬鹿なことをしたのね。私はびっくりしたわ」
「でも、わからないことが残った。星羅先輩は私だけが特別だと言った。私はどうして何ともないの?」
私は、姉に聞いてみた。答えなんかあるはずがない、そう思って。でも、姉は言った。
「星羅の言うとおり、葉月だけが特別」
「私は普通だよ?なにも特別なことなんてない」
「その瞳は、偽りを写さない。葉月には大きなバッグに見えていたんでしょ?」
「うん、黒いボストンバッグでしょ?誰のだろうと不思議に思ってたから、よく覚えてた」
「いいえ、葉月以外には星羅の隣には星羅と腕を組んだ彼氏が見えていた。校内の学生や先生も、商店街の通行人も、SNSの写真もそう。あなた以外はみんなそう見えてる。もちろん、私もそう見えていた」
私は、いろいろな出来事がようやく線で結ばれていくのを感じた。だから、姉は言ったんだ。
『うん、あなたには見えてない』
今思えば、変な発言だった。私はてっきり「見る機会があったのに、見てなかったのね」と言ったのだと補間してた。姉と会話するとき、言葉足らずなことが多いから、自然とそうなっていた。
姉は眼帯の上から目を指さした。
「葉月は私のこの目も、くり抜かれた空洞に見えてる。でも、私や他の人には、悪魔の目が見えているの」
「星羅先輩が手紙に書いてあったよ」
悪魔の目、星羅先輩は「禍々しく輝いて」と書いてあった。
でも、変だなって思った。
星羅先輩は傷害事件の口止めとして、姉の目の移植したと言ってた。同時に、星羅先輩が傷害事件を起こしたのは、姉の目を見たからだとも手紙に書いてる。どっちが先だったのだろう、それによって原因が変わってしまう。
「星羅先輩の彼の顔を見たから、お姉ちゃんは呪われて目をくり抜いたの?それとも、お姉ちゃんが目をくり抜いて悪魔の目を手に入れたから、星羅先輩は彼を傷つけてしまったの?」
「……」
「どっちがーー、いえ、はっきり言うね。お姉ちゃんが元凶なの?」
「そう。私が親友を狂わせた」
それを聞いて、私は満足した。胸のつっかえがスッと取れた気分だった。
「そっか。お姉ちゃん、ありがとう。聞きたかったことは聞けたよ」
「葉月、私を軽蔑しないの?」
姉が変なことを言う。いや、それはいつものことか。
「どうして?私はお姉ちゃんが大好きだよ。そういえば、生徒会のお手伝いしたお礼のパフェ!食べに行こうよ!学校はしばらく休校だし!」
私は立ち上がり、自分の部屋に戻って、着替えてきた。そして姉の部屋に戻ってみても、姉は呆然として、何かを呟いている。
「どういうこと?常識改変が起こってる……?私はいったい、なにものなの?」
「お姉ちゃん!早く着替えて、お出かけしよう!家に篭ってると気分が塞ぎ込んじゃうよ!」
そう言って、私のコーディネートで姉を着替えさせた。
うん、今日も姉は可愛い。姉を抱き上げて、私たちは家を出た。
「じゃ、お姉ちゃん、行こう!」
ホラー小説は初めてです。書きなれてないので、勝手がわからず。怖くないかも。