メアリー ⑦
「大尉〜〜心臓が縮まる思いでしたよ······」
少尉は顔色を青くしながら待っており、大尉を見るなり安堵の息をこぼす。
「交渉は上手くいったぞ。この子の所有権は俺に移った」
「あの残忍な少将がよく聞いてくれましたね」
「ああ、奴は出世に取り憑かれた男だからな。参謀本部への良い報告と交換だ」
「なるほど、それなら奴にとってもいいことでしょう。ところで、その子をいただいてどうするんですか?」
少尉は私へ目を向ける。
「少将閣下には、先の戦術を研究するためにくれと言った」
そう、大尉はそのように願い出た。
真意について疑問しかなかったが、少将との面会で大尉の考えをようやく聞くことができたのだ。
私はこの後、中央に連れて行かれ、実験や観察などを行われるのだろう。新たな戦術開発のために。
痛みには慣れているのでどんな実験にも耐えられるだろう。
だが
「────というのは、ただの建前だ」
「え······」
ここにきてまた、大尉の真意が分からなくなる。
私は思いがけず声を出してしまった。
「彼女は我が隊に迎え入れる。表向きは俺の秘書官としてだ」
「············」
私はまた、静止する。
「ということは、奴隷兵として扱われなくなるってことですね?」
「そうだ。あんな使い捨ての道具のような扱いなど、二度とさせてたまるものか」
大尉は私の正面に向いて腰をかがめる。私と視線を合わせるように。
「俺の名前はウィリアム・アイゼンハワー。君は今から俺の秘書官だ。突然のことで戸惑っているだろうが······」
戸惑う······?
その感情に覚えはないが、確かに今、思考が停止するような感覚を経験している。これが『戸惑い』というのだろうか······。
「君に名前はあるか?」
ふと、質問を投げかけられる。
「いえ、ありません」
「そうか······」
名などない。
識別番号すらない。
私には『自分』がない。
「では、俺が名付けてもいいか?」
だが、思いもよらぬ申し出を受ける。
名付ける? 私に?
こんなこと、返答できるはずが────
「はい、よろしくお願いします」
しかし、自然と言葉を発する。
それが自分から出た言葉だと分かり、咄嗟に口に手を当てる。
私が言ったのだ、「お願いします」と。
まるで私が私でないように思えた。
「名前······そうだな······」
戸惑う私の前で、大尉は口に手を当てて考える。
瞬きをするたびに白銀のまつ毛が揺れ、エメラルドグリーンの瞳が淡い光を放つ。
それに目を奪われていると、鮮やかな双眸をこちらへ向けて言葉を放った。
「メアリー」
それは、名前であった。
「君の名前はメアリー。祝福を意味する名前だ。これからの新しい人生を祝福するよ、メアリー」
その時、戦場に秋風が吹き抜ける。
目にかかっていた前髪がなびき、大尉と私の視線が合わさった。
────トクン
胸を打つ初めての衝撃を感じ、胸部に手を当てる。
何かが身体を打った。
物理的な感触だったはずなのに、体に患部は見当たらない。なのに、感触は今も残っている。
微笑む彼を見たまま、胸に手を当てたまま、私は沈黙し、鼓動の音だけが耳に響く。
不思議な時間。
解明できない感覚。
けれども身体は温まり、緊張や痺れがすうっと消え去る。
私はこの日より「メアリー」として、新たな人生を歩むこととなった。
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