第2章
幕末の坂本龍馬とか、戦国時代の織田信長なんていいかもしれないと思った。しかし考えてみれば竜馬は池田屋で暗殺されるし、信長だって本能寺で殺される。
転生先で命を落としたならばどうなるのかと考えたが、まあ池田屋や本能寺に行って危なくなった時に、呪文を唱えて現世に戻ってこればよい。なにせその先のことを知っているわけだから。
でもそんな時代に行ったとして、何か世界を変えることが出来るのだろうか。
そもそもタイムマシンが出来たとしても過去は変えられないという法則みたいなものがあると聞いている。でも現在に影響がないとしても、その当時に思いのまま変えていくのも面白いかもしれない。
僕は、苦手な歴史を学びなおすことにした。なにせ、高校での日本史や世界史といった科目は、いつも赤点ギリギリだったから。
幕末や戦国時代なんかも楽しそうだが、やっぱり海外が良いな。殆ど旅行気分である。
海外と言えばやっぱりパリかな? そうだったら、フランス革命かなと考えた。だったらやっぱりナポレオンか。
僕は再び神社を訪れ、10円のお賽銭を投げ入れ、鈴を振って呪文を唱えた。転生したらマリー・アントワネットとも友達になって、彼女をギロチンの処刑から救ってあげたいと思った。
「ボンジュール、メルシー」
僕の口から自然とフランス語が発せられる。
どうやら僕はナポレオンになっていた。
「撃て!」
僕の号令に合わせて、大砲が鳴り響く。
「命中しました」
部下が報告する。双眼鏡で見ると、確かに船が煙を上げて沈没していくのが見える。
「よくやった」
船は反革命軍側のスペインの軍艦だ。
僕はその功績もあって順調に昇進し、市民から英雄視されるようになってきた。この後皇帝まで伸び詰めることは知っていたから、僕はイケイケドンドンだ。最後に幽閉される直前に現生に戻ればよい。
しかし僕にはマリー・アントワネットを救い出すという目的があった。彼女は僕より14歳上だから、二十歳過ぎの僕にとってはいいおばさんではあるが、それでもその美貌は、やっぱりフランス中で評判だった。
僕は密かに宮廷に仲間を作り、マリー・アントワネットと会う段取りを付けることが出来た。
「あなたがかのナポレオンさんね」
「はい」
「革命側でしょ。そんなあなたがどうして?」
「ええ、個人的にマリーさんのファンなので」
僕は彼女がこの後辿り着く運命について語った。
「まあ恐い。でもそうなるとは限らないわよね」
僕は歴史を知っているからそうなることは分かっていたが、その時代で彼女を納得させる必要がある。
「今市民の、王朝に対する反感が急速に高まってきています。それに対し旦那さんのルイ16世さんは何ら対応が出来ていません。そしてその反感はあなた自身にも向けられています」
「まあ、どうしよう……」
「それでご提案があります。私が影武者を用意しますので、あなたは私がご用意する安全な場所に身を隠してください」
「まあ、突拍子のない話ね」
一回目の会談では突き返されたが、社会情勢が徐々に王朝に敵意をむき出してきて、さすがに彼女も身の危険を感じ始めてきたのか、彼女の側からナポレオンに連絡がきた。
「あなたの言う通りかも。私逃げることにしたわ」
「それが正解です。私が安全な隠れ家をご用意します」
彼女は僕の用意したマルセーユの海辺の家に辿り着く。地中海の風景を見ながら僕たちは食卓を囲む。
「ブイヤベースね。本当に美味しいわ。幼少の頃は海何て見たことがなかったから」
そう言えば、彼女はオーストリア出身だ。
「まあ、海を見ながらのんびりと暮らしてください。必要なものがあれば、彼にお伝えください。まあ宮廷ほど立派なものはお揃えできないとは思いますが」
「いいえ、私そんなに贅沢は必要ないんです。オーストリアではもっとつつましく暮らしていましたから」
「そうだったんですか」
僕はマリー・アントワネットという人を再評価した。そして14歳上のおばさんだが、見れば見るほどその美しさに感動を覚え、つい手が出そうになってしまったが、何とか抑えることが出来た。
代わりにたてた影武者は、容貌だけはそっくりだったが、とにかく宮廷の贅沢な生活が味わえるという条件で引き受けてもらったから、宮廷ではやりたい放題のようだ。
「パンがなければお菓子を食べたらいい」と言ったのも影武者の方である。
その数年後、ブルボン王朝は倒され、マリー・アントワネットの影武者はギロチン台にかけられる。でも影武者は一時でも贅沢な暮らしが出来たことで満足だったようだ。
マリー・アントワネット本人は、ナポレオンの庇護の下、マルセーユでゆったりとした生活を送ることが出来ていた。
もう少しで皇帝まで駆けのぼるはずだったが、相次ぐ戦争で、人を殺したり身の危険を感じたりとするのが嫌になり、そろそろ現世に戻ろうかと思って呪文を唱えようとして、しかしその呪文を度忘れしてしまっていることに気が付いた。
正直焦った。このままナポレオンとして皇帝まで上り詰めるのはいいとしても、最後は幽閉されて毒殺されてしまうかもしれず、そんなことはやっていられない。
そのとき僕は、転生した直後、自分の引き出しの中に呪文を掻いたメモを残していたことを思い出した。長年も戦争が続いたので、そのことをすっかりと忘れていた。
僕は革命で盛り上がっているパリに密かに戻り、自分のオフィスの机からそれを取り出す。フランス語で書かれたその呪文を唱えると、僕は無事に現生に戻って来た。