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VGOO(ボーゴ)〜嘘の導く並行世界渡航〜  作者: 喫痄
プロローグ/クライス・プロダクション編
9/53

#8 追憶するもの:架殻木ノア・11の夏

【前回までのあらすじ】

囀きりかから、かつて自分が嘘で誤って消失させてしまったはずの同級生・涼霜壮の名を語る男の写真を見せられ、動揺するノア(19歳)。ノアは、仲間である牙隈未良へ自らの過去を語る。


※登場人物(現在時点準拠)

・架殻木ノア:ハーフの学生。現在はSNS「ABY」にて身分を隠し「サク」の名で活動する“情報屋”。嘘を本当にする力を持つが、その発動は任意ではなく絶対で、制御できるものではない。

・囀きりか:本名は「笠井希理花」。声優として活動している。ノアから同級生だった小学生時代に絶交を告げられて以来、8年振りの再会を果たす。

・涼霜壮:ノア、きりかと同様小学生時代の同級生。二人の関与している事件の背後に名前と写真が浮上。

・架殻木ゲルトラウト:ノアの母。純ドイツ人。

 その日の朝も、居間のテレビは冗長なニュース番組を流していた。

 ノアは扇風機の間近に陣取って、外から窓を(つんざ)く蝉の鳴き声へ無心で耳を傾けている。


「ノア、おはよう……」


 頭を掻きながら顔を出すのは、父の()(がら)()(れい)()だ。


「今日も特に予定なしか?」


「……いや、友達と遊ぶことになってるし」


「おお、本当か!何するんだ?」


「そんなの、何でも良いじゃんか……」


 ノアは慌てて目で周囲を見渡して、代わりの話題を探す。しかしそれらしいものもないので、やはり空虚な内容のテレビに目線を合わせた。


「そんなことよりさ、父さん。最近、テレビ変じゃない?なんか中身薄いの、俺でも分かるよ」


「……ああ、『メディア・ハザード』と言って、今は番組を作るのが苦しくなってるらしいからな。もしかしたら、こうしてテレビで朝から夜まで番組が見られるような時代も近いうちに終わるんじゃないかって話だよ」


「まあ、それは学校で聞いたことあるんだけど。どうしてそんなことになるのか知らなくて」


「……難しいぞ?」


「分かるようにしてよ」


 嶺二は顔を顰めて少し考えると、ノアの横に腰を落として語り出した。


「まず、NFTって分かるか?」


「何となく」


「昔はそんなものは無かったんだよ。でもそれが流行って普及してくうちに、誰が何を言っただとか、何が起きただとか、細々としたニュースの欠片みたいなものもNFTとして取り扱われるようになった。テレビ局もニュースを作るとしたら、そういう欠片のNFTを買って、それを証拠にしないと視聴者から信用されなくなって来た」


「……それが、最近ってこと?」


「いや、それ自体は少し前からそうだった。マスコミの不祥事が続いていたのもある。ただ、最近のこのタイミングで特に勢いを増した理由は、そのNFTの値段が急に上がったから。売る側が値段を釣り上げたのもそうだし、NFTの会社には売買する度に手数料が行くことになってるんだけど、その比率が何十倍にも膨れ上がった。テレビの内容が薄いのは、予算が足りなくてまともなニュースが用意できないからだよ」


「どうして値段が上がったんだよ?」


「すごく普及したからだよ。もう情報をやり取りするのに、NFTの存在は欠かせなくなってきた。こういうのは、一度染み付くと中々元に戻れない。いくらで売っても売り上げる個数が変わらない状況なら、できるだけ値段を高くして儲けを上げたいと思うだろ?」


「……ふーん」


 ぼんやりとテレビのある正面の方を眺めていると、肩を掴んで嶺二が身を乗り出してくる。


「何だよー、自分で聞いたのに興味なさそうにして」


「あ、ごめんなさい。そうじゃなくて……」


「……ま、いいや。今日は俺が飯作るから、母さん起こして来て」


「うん」


「――ああ、それと」


 嶺二は台所、ノアは寝室へ向かう為にお互いが背を向けたところで、嶺二は一言だけ付け加えた。


「友達と用なら嬉しいし、近場くらいなら俺に言う必要ないけどな。仮に本当なら、母さんに場所くらいは伝えておけよ」


「……本当だっての!」


 昼過ぎに、ノアは母のゲルトラウトへ嘘の予定を伝えて家を飛び出した。特にそうまでする理由があった訳ではない。ただ、嶺二との会話の流れで思わず口を衝いただけの強がりだ。

 ドイツと日本のハーフのノアは、髪色も顔立ちも母親似だ。全校生徒の中でも容姿で異彩を放っていたノアは、その扱いも平等なものではなかった。最近でこそ話の出来るクラスメイトも数人出来たが、今も大半はそうではない。見た目だけで勝手な敵意を向けて来る同級生もいて、それは当然許せないが、そうでない人間にも第一に「ハーフであること」を求められる。ノア自体は日本生まれ日本育ちで、ドイツ人の母親も流暢に日本語を話す。何もかも普通の日本人として生活してきた。それにも関わらず、意識的にしろ無意識的にしろ、皆が最初はそのレッテルを貼って接して来る。「どんな子か知りたくて、話題を作っているんだろう」と両親は言ったが、ノアにはそうやって割り切ることが出来なかった。そんな苛立ちはやがて態度や性格に表れて、特に同年代の小学生に対して普通に接することが出来なくなった。

 そんな環境でいる内にノアの癖になったのが、「強がる」ということ。やったことのないことを経験があると言う、あるいはできないこともできると言えば、自分に対して周囲の皆も、ハーフ以上に何かしらの印象を抱くに違いない。学校でも浮いている今、それを嘘つきだと罵られることもあるが、ノアは最早「嘘つき」呼ばわりでも良かったのだ。

 嶺二は今回のように余計な詮索もして来ないが、恐らくノアの心の内を見透かしている。今やノアの言葉を一度は肯定して信じてくれる(気付かない)のは、母親のゲルトラウトだけだった。


 ノアは特に行く当てがなく、かと言って両親に見つかる訳にもいかなかったので、学区で知っている限り最も家から遠い公園で時間を潰していた。ちらほらと半端に設置された遊具が一層用途を減らしているような狭さで、夏休みでも人気のない公園だ。普段は持たされているスマートフォンも、GPSで居場所が特定されないようわざと置いて来た。しかし、そのせいで結局は暇を潰す方法もなく、ノアは古びた木のベンチで仰向けになる。蝉の鳴き声は家で聞くよりもずっと喧しく聴こえた。


「ノア、くん?」


 青空と枝葉が映った視界に突如割り込んで来たのは、クラスメイトの(かさ)()希理花(きりか)だった。


「何してるの?こんなところに一人で……」


「それは……」


 希理花は一応、最近出来た僅かな友人の一人ではある。かといってノアが正直に物事を話す訳では無かったが、彼女は嶺二と同様、それをある程度許容してくれているようだ。

 気の利いた嘘が思い付かず目を逸らしていると、希理花はくすくすと笑い出す。


「私ね、ちょっと面白い用事ができて、誰か誘おうと思ってたんだ。良かったら一緒に来る……?」


 希理花が優しく笑いかけるので、ノアは鼻白みながらも、ベンチから体を起こす。


「何?面白い用事って。それ次第では行く」


 ノアが起き上がって空いたベンチの隣に上機嫌で飛び乗った未良は、背負っていたリュックサックからタブレットを取り出す。ノアはそちらに身を寄せて、――を見る。



「……どうしたの?」


 気付くと、ノアは首を起こしていた。希理花が不安そうにこちらの頭を持ち上げていたのだ。

 何故かその一瞬、意識が飛んでいた。


「ごめん、ちょっとボーッとしてた」


「そうなの……?ほら、これの話」


 タブレットに表示されていたのは、何かの紙を撮影した写真だった。


「子供の頃からこの街で暮らしてる私のパパがね、掃除してて30年ぶりに見つけたっていう地図とヒントの文章。ここにね、パパのタイムカプセルが隠してあるんだって」


「ふーん。もしかして、それを掘り返しに行くの?」


「埋めてる訳じゃないって話なんだけどね……。パパお休みなのに体調悪かったし、せっかくなら私が取りに行きたいって言ったの」


 希理花はそっと両手をこちらの手首に触れさせて、そのまま立ち上がる。


「行こ?私だけじゃ見つけるの大変かもしれないし……。宝探しのつもりで、さ?」


 どうしようか逡巡していると、希理花の笑顔がみるみる不安げなものに変わっていくので、ノアは慌てて口を開いた。


「ああ、ああ!行くよ!だからそんな顔すんなって!」


「本当?嬉しい、じゃあさ、このまま手繋いで行こうよ?」


「いや、誰かに見られたら恥ずかしいからイヤだ。本当に……」



 次に意識の飛ぶ感覚があったのは、目的地であった図書館に二人が到着した直後だった。手にはいつの間にかジュースが持たされている。話によると、どうやら希理花を入り口で待たせて勝手に自販機で購入したらしい。


「ノアくん、大丈夫?」


「うん……。でも、本当にここにタイムカプセルが?」


 埋めている訳ではない、と言っていたが、この図書館も流石に30年改装が入っていない訳も無さそうで、施設内に私物が残っているとは思えなかった。


「架殻木、笠井。お前らがこんな所に来るとはな。読書感想文か?」


 声をかけて来たのは、クラスメイトの涼霜(すずしも)(そう)だった。


「いや、その荷物の差……。偶然会ってここまで来たってところか」


 鼻を鳴らす壮。ノアの容姿に関して偏見を持たず、話しやすい一人ではある。しかし彼は実家が裕福で、学年一の秀才。常日頃から高慢な態度で接してくる辺りが、単純に気に食わないとも感じていた。


「あのね、ノアくんにも言うところだったんだけど、パパが30年前に隠したタイムカプセルの秘密がこの図書館の中にあって、蔵書を探せばあるんだって」


「蔵書にタイムカプセル……?」


 壮は怪訝そうな反応を見せる。


「手紙の類なら確かに本の間にでも挟めば良いんだろうが、30年もその痕跡が残っているとは思えない。諦めた方がいい」


 全く表情を変えず応じる壮の様子がどうにも腹立たしく思えたノアは、希理花の抱えていたタブレットを掴んで、画面を壮に見せる。


「そんなの、実際に見ないと分からないだろ!本の名前とページ数が書かれてるから、まずはそれを探してからだ!」


「あ、あのね。涼霜くんも頭良いし、協力してくれると嬉しいんだけど……」


「……まあ、いいよ。夕方の塾までの暇つぶしくらいにはなる」


 壮はノアが睨みつけるのを無視して、タブレットの画面を覗き込むと、目を細めた。


「これが、タイムカプセルねえ……」


 本自体は、設置されたパソコンから検索して簡単に特定することができた。「旧約聖書」の日本語訳。しかし当時のものは劣化が激しく、実物は既に処分されていた。


「やっぱり、ダメみたいだね……」


「……いや、まだ何かある」


 (うな)()れている二人に反して、壮は当初よりもずっと強い興味を抱いているらしかった。


「ここまでの違和感に、今時ネットで検索すれば載っているような『旧約聖書』の和訳をあえて指定したことを踏まえると……。間違いなく意味がある」


 壮は何かを思い至ったのか、離れたところに女性のスタッフを見つけるとそこへ飛んでいって、何かを質問していた。スタッフは驚いたような顔をすると、壮と共にパソコンのあったこちらへと歩いて来る。


「その本、確かに数年前に処分したんですけど、資料保存の目的から、データ上では残されているのよ!記憶が正しければその『旧約聖書』も、ちょうどここの図書館にあった本が撮影に選ばれていたはず」


 壮はすぐさまその『旧約聖書』の資料にアクセスし、指定されていたページへと進む。

 それは創世記、「ノアの方舟」の物語を指していた。


「やはりそうだ」


 壮は手を止める。


「恐らく、記述が改竄(かいざん)されている。需要があまり無く閲覧数の少ない資料だからこそ、この不一致も問題視されてこなかったんだろう」


 それは、神が“ノア”へと授けた言葉の内容。『旧約聖書』の知識などなくとも、本来と異なった記述がされていることは明白だった。


 「神はノアへ告げられた。『私は人を根絶やしにする。人はその生こそが混沌であり、彼らの狂酔とは世界に酒を盛って犯すにも等しき陵辱であるから、私は彼らの全てを、その目に映る世界ごと消し去ろう。あなたはここへ記される手順に従って、船を手に入れなさい。まず電子機器に簡易的な地図を書き記しなさい。そしてこの書の眠っていた場所から外に出て、その出口と北北東へ500m行った地点とを往復し、掛かった時間を正確に計測しなさい。その際往路と復路で道順は変更し、その道順とそれぞれの所要時間を地図へ記録しなさい。その後更に第三の道順を考案して地図へ書き記した後、作成した地図はインターネットにアップロードしなさい。ただしこの際、NFTやクラウド等、機密性の有無や強弱は問わない。一通りの作業を終えた後、元の場所から東南東778.1m地点へ向かえばあなたは船を手にする機会を得る。なお、船の数には限りがある』。ノアは全て神の命じたとおりにした――」


「にしても、回りくどい話だ。写真に残したヒントがあるのに本の内容を差し替えるなんて大胆な二段構えを用意するとは……」


 壮は一人、腕を組んで何か考え込んでいる。


「笠井、これって本当にタイムカプセルなのか?」


「えっと……。うん。そうやって聞かされたのは確かだよ。ただ、パパがこんなことするってちょっと想像できない気もする。内容は偶然ノアくんの名前とも被ってるし、なんだかちょっと不気味……」


「一度問いただす必要はあるだろう。今日は一旦家に持ち帰った方が――」


 その腕を押し除けて、ノアは壮の顔に目の前まで近付いた。


「大丈夫だ!場所の見当は付いてるんだから、そこに行ってタイムカプセルを探すだけのこと。希理花のお父さんが用意したって言うなら、それを心から信じていれば良い!万が一何があっても、その時は自力で解決する!」


「そんな曖昧な見立てをしたい訳じゃなくて――」


「……私も行きたい」


 ノアの肩へ後ろから手を置いた希理花。ふと背後を振り返ると、僅かに頬を赤らめてはにかんでいた。


「元々、パパには何が入っているのか聞かされてなかった。もしそのタイムカプセルに何か秘密があったとしたら、中途半端に詮索しても教えてくれないと思うの。なら、先に実物を見つけないと。私達なら、きっと大丈夫。ね?ノアくん」


 壮はポケットに手を入れて、不満そうにそっぽを向く。


「……まあいい。それじゃ、俺もバカの躾くらいには付き合ってやるよ」


「フン、こっちのセリフだよ」



 結局三人は指示された通り、図書館の入り口と指定された地点とを往復し、使用しなかったものを含めた順路と所要時間を書き記す。その際作成した地図は自動でクラウドに保存されるので、これもインターネットに載せたと言えるだろう。

 そして最後に指定された地点へ、三人は横並びで向かっていた。


「やっぱり、ちょっと気味が悪いよね。今の往復とか計測とか、どういう意味があるのか分からないし」


「そうか?俺は嫌いじゃないな。なんかゲームの裏技みたいで」


「……涼霜君は?」


「今日は珍しく親の監視がなくてな。目当てもなく図書館まで来たんだが、あそこを彷徨(さまよ)っているよりはずっとマシだったな」


「はっ、素直じゃないヤツ」


「それ、ノアくんが言っちゃうんだ……」


「推察するに、ネットへアップロードするのがミソだ。面倒な手順を踏ませるのも、目的を明確にする秘密の合言葉といったところじゃないか」


 澄ました顔で話している壮がどうにも目に余ったノアは、思わず外方を向いて視界から彼を追いやった。ノアはそのまま、立て続けに吐き捨てる。


「でも、船ってなんなんだろうな?プラモデルかな」


「パパにそんな趣味があったなんて、聞いてないけど」


「タイムカプセルということなら、自分への手紙が鉄板だ。さっきのはカプセル自体をボトルシップに見立てた文章、ということじゃないか。『ノアの方舟』を(いじ)るくらいだからな」


 直後、自分でも不可解な程に湧き上がる苛立ちが抑えられなくなって、ノアはその場で立ち止まった。


「お前、つまんねえ。さっきからムカつくんだよ」


「何?」


「頭いいのか知らないけどよ、何でもかんでも適当に知ったような口利きやがって。実際がどうかなんて、いくらお前だからって分からないだろうが。水差したいなら帰れよ」


「確かに確証は無い。しかし適当なことを宣うことに関して、お前に言われる筋合いも無いな」


「何だと――」


「第一、俺の発言は自分の頭で考察し、自信を持って提示しているものだ。対してお前のは、何の根拠もない単なる妄言。重みがまるで違う」


「ちょっと涼霜くん、そんな言い方しなくたって……」


「そんな妄言をポジティブに捉えて有り難がってる奴も大概だがな」


 希理花はばつが悪くなったのか、言葉の途中で口を閉ざした。見かねたノアは、彼女が抱えていたタブレットを手にとって、横並びになっていた列を崩し、数歩前に躍り出る。


「ごめん希理花、少しこれ借りる」


「借りるって、一緒に探すんでしょ?」


「いや、方針変更だ!こいつ、俺がとっくに通過してる考えをいちいち代弁してドヤ顔すんのがウザい!ありがた迷惑な解説がなくたって、“船”は俺一人で手に入れられるって証明してやるんだよ!」


「あ、待って!」


 ノアが走って飛び出してふと背後を確認すると、後ろからはすぐに壮が追って来ていた。希理花も続いて駆け足ではあるが、彼女は元々体力がない。既に疲れの色が見えていて、二人からは距離を離されたようだった。


「778.1――ここだ」


 ノアを急かしたのは、『船の数には限りがある』の一文だった。

 そこにあったのは、ただのごみ捨て場。しかし何故その場所が指定されたのか、目の前の光景を前にした今は、何となく想像が付いた。


「おい、勝手に行くな!笠井じゃないが、決して危険がないとは言い切れないぞ」


 直後に駆け付けた壮もその投棄されたごみの様子を見て、感じるところがあったようだ。


「――開かれたノートPC、か。ごみにならないからそのままになっている、とも受け取れるが、長期間放置されていた様子もない。電子機器やらインターネットやら、呪術の類にしてはここまでの指示も現代的過ぎたし、その違和感と類似した感覚は覚えるな」


「そういうのウザいって言ってるだろ。どう考えても怪しくは見える」


 ノアがパソコンへ手を伸ばすと、壮がその手首を掴む。彼はこの日見た中で最も険しい表情をしていた。


「何か変だ。やめた方がいい。聖書を書き換えたのがずっと前のことで、このごみが置かれたのは恐らく最近なんだぞ?俺たちの送信した地図のデータを傍受した誰かが置いたんだ。何か得体の知れないものに見張られている恐れが――」


「知ったような口利くなって言ってるだろ!?」


 ノアは壮の手を振り払い、怒鳴る。


「やってみなきゃ分からない事だってある!そうやって何でもかんでも答えを決め付けるのが親切だと思うな!」


「……お前、何にそこまで苛立ってる?」


「そんなの決まってる」


 再び振り返って、パソコンに手をかける。壮は腕を押さえて引き留めるが、抵抗するより前に電源は付いた。


「待て、架殻木!とりあえず、笠井が追いつくまでは抑えろ!」


「分かってる!分かってるけど!俺だってお前みたいに――」



 それから先の言葉を言ったのか否か、ノアは覚えていなかった。またしても、あの意識が飛ぶ感覚だ。


 その時、何が起きたのかは分からない。

 ただ、ノアが次に目を覚ましたのは、また別の場所。その意識と意識の狭間では何らかの出来事が起きていて、自分自身の記憶からはっきりと抜け落ちている、という自覚はあった。

 ()()()()()()()は分からなくとも、()()()()()()ことははっきりと分かった。


 顔をくすぐる茂みに違和感を覚えて、ノアは身を起こす。電車の線路沿いで、人の入ろうとしない草むらの中だ。それに、既に日はすっかり落ちている。


「起きたか」


 壮も隣で倒れていたようで、気怠そうに胡座をかいて声を掛けてきた。


「何があったんだよ?」


「知るか。まあ、生きていただけマシなんだろう。俺の言う通りだったってことだ」


「……ああ」


「遅いし、このまま解散しよう。ここ、どこかと思ったら同じ最寄駅の線路みたいだからな。スマホも盗られてなかったから、今調べた」


「そっか……」


「そういえば、笠井の連絡先を知らない。あいつの安否も重要だし、無事ならお前から電話して安心させてやれ。というか、通知来てるかもな」


 ノアは言葉に詰まる。今日はスマートフォンを置いて家を出た。


「なんだ、持ってないのか?」


 今度の受難はノアの勇み足によるところが大きい。強がって極端な選択へ自分自身を追い込んだのが悪い、という自覚はあった。

 しかし、今回も簡単には素直でいられない。目の前の涼霜壮という男に対しては、何としても対等な関係でいたいという思いを捨てられなかった。ノアの知る同世代で、本質の自分を受け入れる唯一の他人が希理花なら、本質の自分を真っ向から見下す唯一の他人が壮だ。だからこそ、何よりも癇に障る。何よりも明確な実体を持った敵であり、実体を持った踏み台にも感じられた。


「スマホだろ?うるさいな、持ってるよ。充電があったか考えてただけだ」


 ふと、太ももの片方に異物感を覚える。パンツのポケットを探ると、覚えのある手触りをした物体がそこにあった。


「あった……」


 置いて来たはずのスマートフォンを実際に取り出して、ノアは開いた口が塞がらなかった。

次回は過去編の続き+α。10/9(月)に投稿します。

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