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嘘を現実にする能力を手に入れたので、SNSで「預言者」に君臨する。  作者: 喫痄
プロローグ/クライス・プロダクション編
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#6 忘却するもの

【前回までのあらすじ】

声優事務所・「クライス・プロダクション」(クラプロ)を調査すべく嘘によって開催させたオーディションに未良が参加したが、改変の影響で登場した“情報屋”・渥美駆真にその素性を疑われることになる。「サク」の活動に対する障害になることを警戒したノアは、嘘の事実を未良へ吹き込むことであえて駆真を“般若街”に呼び寄せ、その真意を探ろうとした。バーで偶然を装って出会うノアと駆真。ノアが最も恐れていたのは未良と話した時点で「サク」との関係にまで勘付き、ノアまでも探ろうとしていること。それを確かめる為、ノアは自ら「サク」の名前を出し、駆真に「サク」の疑いがあると吹っ掛けた。これによりノアは駆真に「サク」として疑いの目を向けられる一方で、“般若街”を訪れた理由が「サク」にはないことを知る。その日の駆真が目当てとしていたのは、客の一人に紛れたクラプロの元社員・八鍬大紀。どうやらクラプロでは突如記憶障害を起こし、それを機に勝手に会社を離れ全く別の場所で全く別の人生を送り始める――“離隔”と称する奇妙な現象が何度か起きているらしかった。

 役者・牙隈(きばくま)未良(みら)の新たな一歩は、快調とは言い難かった。

 声優が主に所属しているクライス・プロダクションとはいえ、自分の進路変更までを決意した訳ではない。あくまで未良の夢は岼(ゆり)果(か)のような、映像作品を主戦場とする女優だ。きっかけはノアの協力だが、別のアプローチで演技について学ぶことは決してマイナスにならないと考えていた。

 現場に関して言えば、「サク」が言ったような劣悪な環境は既に過去のものだ。中でも特徴的なのは、実物の台本や映像を用意したアフレコの実践だろう。抑揚や息遣いのひとつひとつに詳細な指導が入るのは、手厳しい一方、全てが新鮮で充実感がある。

 その一方、周囲の反応を見れば自分の実力がどの程度かは分かる。事あるごとに力不足を思い知らされた。


「あ、未良ちゃん!」


 レッスンを終えた夜、未良はきりかと鉢合わせる。


「……こんばんは」


「どうしたの?元気ないね」


 未良はきりかに誘われるままに、事務所の誰もいないカフェスペースへ辿り着く。

 力なく座り込んだ未良は、きりかから砂糖入りの缶コーヒーを貰い、口に運ぶ。


「――いやいや!未良ちゃん演技は上手だよ?」


 未良が視線を落としたまま悩みを打ち明けると、向かい合わせに座っていた彼女は素っ頓狂に声を上げて応じた。


「私だって、それで未良ちゃんを推薦したんだもの。お世辞じゃなくて、センスはお姉さん譲りだよ」


「でも、周りはそんな反応じゃありませんよ」


「そうね。でもそれは下手なんじゃなくて、未良ちゃんがまだプロになる用意ができていないってことだと思う」


「プロになる用意、ですか?」


「そう、それは演じる役に成り変わるだけではダメなの。この世界、それでも突き詰めれば端役専門の役者さんみたく生きる道はあるけど、それこそ並大抵の努力では務まらない。まず大事なのは小細工じゃなくて、未良ちゃん自身の演技を見つけること。変な話だけどね」


「私の演技……」


「そう、レッスン生なんて技術がなくてもいい。今回合格した他の皆は、むしろそういう人間的な部分を評価されてるの。その点では、確かに貴女を本人としてじゃなく、お姉さんを見て合格にしたというのも否定できないのかもね。大事なのは、貴女自身がどう在りたいか。評価されるためには最初にそれを見つけて、自分の表現へ還元しなきゃいけないの」


 生きてきて初めて言われる類の指摘だったが、最も苦手なことを突きつけられた自覚はあった。姉に憧れ役者を志し、姉の為に努力し、ノアの為にこうして環境を大きく変えたのが未良。未良の本質は常に他人にあった。

 それを悪いと思ったことはない。むしろ社会生物として最上級の処世術で、長所だとすら思っていた。しかし、そこで岼果の言葉がちらつく。

『やりたいことを自分の体でやってくれたなら、私もそれが幸せだから』



「ごめんね?私もまだまだ駆け出しなのに、偉そうなこと言っちゃって」


「そんなこと……」


「でも、一度決めた事なら、本当に諦めがつくまでは辞めてほしくないなって思うの。私には少し前まで、事務所の先輩で凄く仲の良かった人がいてね。その人は、やむを得ない事情で辞めちゃった」


 そう語るきりかの苦笑いには、どこか覚えがあった。未良が出会った当初から感じていた親近感は「岼果が好き」というだけに留まらない。途端に、彼女に対する興味が膨れ上がって来た。


「あの!きりかさんは、どんな風になりたいと思って仕事してるんですか?」


「私は常に自分と向き合っていたいと思ってる。後悔するのが嫌いなの。声自体はだいぶ細くて弱いし、気が強いキャラを演じることなんて殆どないけど、ハキハキと演技する時はギャップがあるって褒められるし、その塩梅が決め手で役のオーディションに受かったこともあるから。そういうのって大事なことだと思うよ」


 確かに、きりかの声自体は独特の優しさというか、所謂甘さがある一方で、その内面にはあからさまな自意識の強さを感じさせる。それはどこか自分に言い聞かせているようで、他人には有無を言わせないと言わんばかりの芯の太さが感じられた。

 それがどうも不自然に思えて、未良はやけにそれを問い正してみたくなった。


「あの、ノアくんから聞いたんですけど。絶交、したんですよね。小さい頃に」


「……うん」


「それは、後悔してますか?」


「――正直、覚えがないんだ。ノアくんに突然もう会わないって言われて、私が何をしたのかも未だに分からない。でも、あのモヤモヤした気持ちを二度と味わいたくなかった。今思うと、あの時がきっかけだったのかも」


 未良は思わず立ち上がっていた。きりかも、少し驚いた様子でいる。


「あ、ごめんなさい。コーヒー飲み終わったし、捨ててこようと思って。ご馳走様でした!」


 きりかから背を向けて、カフェスペースの自販機横にあるごみ箱へ足を運ぶ未良。

 きりかが何をしたのか覚えていないのは、恐らくノアが嘘できっかけの出来事を消し去ったからだ。関係が壊れるような事件を消して、その後でわざわざ縁を切るというのは、まるで意味のない行為のはずだ。未良には、その行動の真意が何だったのか、たったひとつしか思い浮かばなかった。

 ――なんだよ、お互い未練タラタラじゃん。

 未良はごみ箱に空き缶を投げ捨てた。



「えー、今回集まってもらったのは他でもなく、みなさんが元々社員だか声優だかでクラプロってとこにいて、“離隔”された被害者4人だからです」


 駆(かる)真(ま)の事務所にて、ノアは調査に帯同している。参考人たちはリモート形式で呼び集めており、ノアも同じ場所から架(か)殻(がら)木(き)ノアとしてのノートパソコンで参加しており、横で話している彼の実物にも注意をもって眺めていた。

 駆真の本職は“探偵”。現状“情報屋”との機能は統合されている側面もあるが、“情報屋”は本職や環境などの要因から労せずして手に入れられるような情報を扱うことが主だ。地道な調査から情報を掴み取るということに関しては、探偵に一日の長があると言っていい。

 調査に参加するきっかけは、駆真からの提案だった。自分を「サク」として疑うのであれば、妙な行動を起こさないか自分を監視すればいい、と言うのだ。

 しかしこの言葉の真意は真逆だ。ノアを付かせることで、駆真の方がノアを監視している。ノア自身が口にした言い分からすれば、これを断る方法はない。


「俺は一度ずつアンタらに会ってると思いますけど、きっかけは館(たち)平仁(ひらひと)さん。アンタのご家族から依頼されてクラプロを探り始めた。アンタらは元々、確かにクラプロという事務所に属していたが、ある日を境に忽然と姿を消した。連絡先が変わってなくてアンタらはすぐに事務所からの連絡に応じたが、『そもそも入社・所属した覚えがない』の一点張り。仕事だけじゃなく家族まで置き去りにして、他所で全く別の人生を始めてたんだ。そして、当のアンタらはそんな記憶は失っていて、言われるまでは微かに覚えのあった仕事を続けていたつもりだ、と語っている。これが俺の言っている“離隔”なんだけど、念の為――自分は違ってるって人います?」


 うろうろと椅子の周りを歩き回っていた駆真は、そこで着席して改めて4人へ呼びかける。


「こないだ俺とこっちの架殻木ノア君に捕まった八(や)鍬(くわ)さん、本日はどうも逃げずに来てくれましたね。アンタがその始まり、2年前起きた最初の“離隔”だ。そっから3人ポツポツと出てきて、つい最近5件目が起きた。レッスン生の大量辞退事件。まあきっかけになったのは俺の小遣い稼ぎなんだけど、いくらなんでも全員やめて姿を消すなんて思わなかったし」


 駆真のリークはあくまで辻褄合わせ。この事件を起こしたのはノアであり、「サク」の嘘投稿に始まっている。

 ――入学辞退がそれほど現実味のないことだったのか?

 ノアは駆真から画面越しに気付かれぬよう、不動のまま考えていた。自らの嘘以上に奇妙なことが、過去改変の影響で発生している。これほどにまで大きな余波が現れたことは、経験上初めてだ。


「事件のことを調べる上で、入学前のレッスン生に話を聞いても仕方ない。事務所とは接点皆無みたいなものなんでね。で、今日は俺が絶賛目にかけてる優秀な探偵のタマゴ、ノア君を呼んでみて、色々推理してもらおうと思ってね」


「探偵でもタマゴでもないけどな」


「はいはい。君には事前に4人が“離隔”前に使っていた『ABY(アビー)』アカウントと、俺の推理のベースを教えてあるよな?とにかくそこから、一人ずつ話を聞いてもらうよ」


 駆真は、この中に元「公安」がいると考えているらしい。1年ほど前に拾得された持ち主不明のスマートフォンを事務所が保管しており、その中身を駆真が解析したところ、削除されていた潜入捜査の記録がいくつか復元された。調査の末、内部犯に限った場合は記憶を持たないこの4人以外、全員の候補者の潔白が示されたとのことだった。


「えー、はい。2年前にそんな連絡を受けた八鍬大紀(ひろき)と申します。社員だった、と告げられました。年齢は33歳。現在は製薬会社で働いております」


「先日はどうして“般若街(はんにゃがい)”のバーにいたか答えられますか?」


「ついこの間まで芸能事務所で働いていたと聞いたら、自分の過去を疑いたくもなります。はっきりと覚えていることは何もありませんが、『自分がこうして来た』という実感が常にあるんです。例えるなら引っ越しし立ての頃、間違えて前の家の最寄り駅へ向かってしまうときのような……。体に染み付いたルーティンのまま仕事に行きましたし、周囲にも何事もなかったかのように受け入れられました。それが何もかも違うと言われたら、こちらは動揺しかありません。でも記憶がないのも事実なので、“情報屋”から自分の昔を知る人に会ってみようと思いまして……」


「なるほど。渥美駆真とは接点を持っていたが、人の弱みに漬け込む危険な空気があったから避けた、と」


「はい……」


「おいおい、キツイな二人とも」


 ノアはここで「ABY」の投稿が記録された資料を見直す。元声優に関しては詳しい乙丸(おとまる)から事前に詳細を聞いているが、元社員の情報はここで読み取れるものが全てだ。

 八鍬のかつての「ABY」アカウント――つまり彼の過去に関して、特筆すべきは2つ。1つは、彼はクラプロにいた時、囀(さえずり)きりかのマネージャーを務めていたということ。

 もう1つは彼の“ギャラリー”。ギャラリーとは「ABY」の主要機能のひとつで、プロフィール画面にて自分を表現する為、画像や動画、文章など、「ABY」に対応する「wallaby」であれば、あらゆる類のNFTを自由に貼り付けられる機能のこと。自作のものはもちろん、自分の好きなコンテンツから発信された版権のNFTや、実在する「推し」がいる場合なら、そのアカウントの印象的な投稿を購入し貼り付ける事もできる。

 八鍬のアカウントを装飾していたのは、クラプロから更に前職で勤務していたと謳っているドイツでの生活を撮影した写真だった。

 同様に、彼を映したカメラ映像ではケルン大聖堂らしきフリーイラストがバーチャル背景に設定されていた。


「わ、私、吉(よし)木(き)沙李奈(さりな)って言います……。去年の年明け以前の記憶はありません……」


 吉木は無機質な暗色のバーチャル背景の中でも、猫背で小さくなって画面を覗き込んでいる。


「声優って声だけと思いきや、結構表に出ますよね。私、そういうの絶対向いてないというか、普通にやりたくもない性分だと思われるんですけど……。なんか、手違いってことはありませんか……?」


「あの、吉木さん?無いんで、ちゃちゃっと自己紹介だけ」


 駆真が呼びかけると、吉木は一層背を丸めて顔を隠し出す。


「はい!ごめんなさい、ごめんなさい!歳は25で、今は“案内業者”に勤めております!」


“案内業者”とは、歓楽街で言う無料案内所がより一般化され、複数エリアにチェーン展開されたものと考えればいい。特にカジュアルな消費社会に関して、「メディア・ハザード」の影響で店の“良し悪し”のような信用を測る指標が無くなった。劣悪な情報というリスクがあっても時間的なロスの方を嫌う人も多く、慎重な人間に向けたサービスではあるが、こういったローカルで退行的な信頼関係を利用したビジネスモデルも再検討され出している。


「気弱を剥き出しにしているところすみませんが、ネット弁慶っぷりが凄かったみたいですね。手元の『ABY』を確認していますが、以前の貴女は特にスレッドへの参加率が高く、自分の主張をはっきりと述べることが多い。記憶だけでなく、性格まで変わるとは聞いていませんが」


 ノアは「ABY」に目を通しながら吐き捨てる。「ABY」は動画やギャラリーを含め、全てのコンテンツがスレッドの対象となり、タイムラインもスレッドの対話が見やすく表示される仕様になっている。つまり、投稿そのものを無料で拡散する手段は無い代わりに、投稿でより多くの返信を得ることが同量の拡散に相当する仕組みだ。


「そ、そんなの私も知りません……」


「いや、友人にそれとなく声優時代の貴女のことを聞いてはいるんですよ。ハスキーボイスと破天荒な中身で有名だったとはね」


「そ、そんな噂話酷いです……。私、ほんとに何も覚えてないし、絶対違います……」



 次にノアは、痩せ型の男へ話を振る。


「次は、館平仁さん。記憶をなくしたのは一ヶ月ほど前でしたよね?」


「はい。今はNFTアートを描いて収入を得ていて、この後ろの背景も今回必要になると思って自作したんです。今年で36歳なんだけど、確か変な芸名で呼ばれていたみたいで……」


「アイダホ・タチさんね」


「ああそうそう!実は帰国子女だから出身地を取って、みたいな!アメリカにいたような記憶も無いんだけど。……でも、今は何となく納得してるよ。記憶のない頃に同棲してた彼女と結局結婚したんだけど、そうじゃなきゃかなり生活苦しかったし」


 アイダホ・タチはかつて「サク」と同様に「ABY」上でファンクラブを開設していたようだ。正式には「有料フォロー」と言うが、これは一定の発信力を持っているアカウントだけが得られる機能だ。一応得意分野の方面に関しては“離隔”を通しても受け継いでいるようで、ファンクラブ内では彼の描いた絵に関するコンテンツもあったらしい。しかし、漫画やアニメのイラストを趣味で投稿していただけの当時とは打って変わって、現在のアカウントでは仮想世界に出力できるオプティカルアート的な抽象作品を発表している。そのため、ファンはまだ活動しているのに気付いていないようだ。


「木(き)鋤(すき)唯(ゆい)。確か8ヶ月ほど前、元は社員だったらしいね。28歳で、現在はフリーのライターをやってるんだ」


「ライター、ですか?具体的にどんな記事を書くんです?」


「『イカロス』って知ってる?フルダイブ型のVR」


「ああ、やったことはありませんけど。個人情報の登録が面倒だとか」


「まあそういう意味でも話題にはなったよね。最初は空を飛んで散策するだけのゲームだったけど、フルダイブ操作の先駆者だった分凄く流行ってるし、今や色んなゲームやサービスと連動して、メタバース界のプラットフォーム的な役割も持ってる。私は仮想世界の出来事を主に書いてるって訳。それで、発信するのも向こう。だから正直、普段は一日中引きこもっててね」


 磊落(らいらく)な立ち振る舞いは話していても分かるが、背景もそれを過剰なまでに主張していた。唯一実物を映しているにも関わらず、恐らくは他の誰よりも乱雑でゴミの散らばった自宅だろう。その一方で窓の奥を覗く限り、高層マンションに居を構えていることは視認できた。


「仮想現実の現状は規模を大きくした村社会みたいなものと聞きます。現実の『メディア・ハザード』下でも比較的ライターは活躍しやすいでしょう」


「そう、匿名性が一切排除されているし、言い方は悪いけど、パノプティコン的な監視社会が成立している。下手をすれば簡単にプレイヤー資格を奪われるし、場合によっては逮捕もされる。だから民度も高いんだよ」


 話に聞く限り、「イカロス」は初回起動にあたり専用の施設に足を運ぶ必要がある。全身の3Dモデルをはじめとしたあらゆる個人情報を先んじて登録して、ログインする際はその情報を参照した生体認証が必要となるのだ。

 それに加え「イカロス」では、ゲーム内全ての行動や発言がリアルタイムでブロックチェーンを掛けて記録される。しかしそれはこちらから活用や消去ができる代物ではなく、運営側が管理する情報。言わば決定的な「証拠」として機能するものだ。このシステムがメタバース内での法整備を促進し、現実世界以上の厳格な環境を実現した。手続きの億劫さや監視社会の居心地の悪さから敬遠する者も少なくないが、現実にも展開する服の試着や商品の試用など、一般向けのサービスにも広がりを見せていることから、年々普及率は高まっている。


「で、そのライターを始めたのがいつかは記憶してますか」


「えっと、ライターのバイトを大学で始めてから、勧誘されて一度会社に入ったんだと思う……」


 木鋤の「ABY」に関して、“離隔”以前は一般人で投稿も少なく、ヒントになりそうな要素はない。しかし「イカロス」に関しては、“離隔”以前から登録されていたアカウントのようだ。“離隔”後の「ABY」アカウントの資料を確認すると、その言動からプレイ記録への記憶に関してはさほど齟齬(そご)が生じていなさそうなことは気に掛かる点だった。


「……さあ、ノア君。何か分かったかな?」


 収穫は十分にあった。公安が誰であるかも、これまでの会話から概ね見当はつくし、推理する過程で様々な事実が浮き彫りになる。

 ひとつ不審なことがあるとすれば、その人物に対して誰かの面影を感じていることだった。いつ、どこでその人物と会ったかは定かではない。しかし、胸の内では「思い出せ」と言葉が木霊している。それが看過できない出会いだったことだけは確かに察知していた。

 しかしそれとは全く別で、ノアには最初に明らかにすべき疑惑を抱いていた。


「少し待ってくれるか。大(・)学(・)の(・)知(・)り(・)合(・)い(・)か(・)ら(・)連(・)絡(・)が(・)来(・)た(・)み(・)た(・)い(・)だ(・)」


 勿論そんな事実はなかったが、取り出したスマートフォンには既に着信が用(・)意(・)さ(・)れ(・)て(・)い(・)る(・)。例によって未良は避けるのに加えて、この場面では乙丸とも連絡しづらい。この嘘だと台詞に違和感が出ない上、余程のことがなければ誰から連絡が来るのかは想像が付く。


   「かがっち、よっすー」


 夏海(なつみ)の与太話に付き合って文字を打ちつつ、こちらの様子を伺っている駆真からは背を向けて、パソコンの会議画面を横目にして参加者4人の動きを見た。

 ――やはりだ。


   「今アイダホ・タチって声優とリモートで会ってる 今は記憶喪失で別の仕事してるらしいが」


 夏海にはそんな文章を送信すると、すぐ既読が付き、その瞬間たった一点だけ目についた変化があった。アイダホ・タチのバーチャル背景と現在の「ABY」から抽象作品が姿を消し、“離隔”以前と同系統のイラストへと塗り変わった。

 これは「ついで」程度の実験だったはずが、思いがけず成功したことで真相へ大きく近付く材料になった。しかし、考えたくない可能性を示唆するものでもあった。

 ひとつ深呼吸をしてから、ノアは口を開く。


「時間を作ってくれた4人には申し訳ないが、そんな協力をする義理は無い。俺の方は答えが出たからな、お前が『サク』なのか、そうじゃないのか」


「……へえ。まさかここでその話をするとは」


 駆真は頬杖をついて、薄ら笑いを浮かべている。


「まずはアンタの仕掛けた罠を暴いておくよ、渥美駆真。この被害者達だが、ひとりだけ偽物が紛れている。そうだろ?木鋤唯さん」


「……どうしてそう思うんだい?」


「背景だ。他の3人がプライバシー保護のバーチャル背景を使用している一方で、貴方だけは自宅らしき部屋から接続しているのが丸分かりだ。問題なのは、その生活感も窓から外景を覗かせているのも、あまりに露骨だということ」


「根拠が弱いなあノア君」


 実物の駆真が椅子を回して、こちらの方へ言い放つ。


「『バーチャル背景を使わなかったから』が根拠になる推論なんか、この世に存在しないよ。大体それがどうして俺の罠になるのか分からないね」


「でも、バーチャル背景の3人は同(・)じ(・)場(・)所(・)に(・)集(・)ま(・)っ(・)て(・)る(・)んだろ?ひとりだけ仲間外れなのはお前側の意図を感じてならないが」


「……どうしてそう思う?」


「逆算したんだよ。もしお前が『サク』を追っている“情報屋”で、俺を疑っているとしたら、という仮定をすればお前の意図には予想が付く。レッスン生の集団“離隔”を間近で見ていたお前は、『サク』を容疑者としてマークした。“離隔”のプロセスはさておき、規模的には集団的な犯行だと睨んで然るべき事件だ。俺をこの探偵事務所に縛り付けた時点で、別にいる執行役が動くのではと推理したんじゃないか?“離隔”後の「ABY」アカウントについての情報は偽物だ。それであたかも木鋤唯の記憶障害が上手くいっていないように見せて、現行犯の証拠を掴もうとした、ってところだ」


 黙ってこちらを睨みつけている駆真に対し、ノアはスマートフォンを取り出して掲げて見せる。


「カマをかけられた身としては、やり返さなきゃ腹の虫が収まらなくてな、こちらも罠は張らせてもらった。あのとき誰かと連絡を取る仕草さえ見せれば、お前達が動くと予想は付いていた。集められていた他の3人も、場所を特定される危険性は事前に聞かされていたんだろう。並んだデスクに座っていて、後ろには駆真の協力者がいるんだろうな。角度は違えど全員が同程度に背後を気にしているのが確認できた」


「……ふうん」


 駆真は頬杖をついていた腕をずらして、気怠そうに頭を掻く。


「ま、シラを切っても仕方がないか。……この人は宮尾(みやお)麗音(れおん)といって、事務所で働いてもらってる人。同じく探偵兼“情報屋”なんだ」


「はは……どうも、宮尾です。まさかこうもあっさり見抜かれるとはね。ちなみに、『木鋤唯』自体は証言も含めて実在するよ」


 ノアは僅かに体の力を抜く。しかし、駆真はそれを見逃さなかった。潜るようにして頭をこちらの胸元まで寄せてくる。


「もし架殻木ノアが『サク』ならクラプロを調べる口実を残しておきたいはずだから、俺への疑いを止めるはずがない――そう思って欲しいのか?」


 ノアは無表情に徹したが、その迫力に心中は確かに掻き乱されていた。

 駆真の言う通りなほど楽観視していた訳でもないが、この敵が想定以上の厄介さを見せてきたことには辟易せざるを得ない。というのも、ノアの予想が正しければ駆真はいくつもの可能性を考慮して、この事情聴取の中にあちこち罠を張り巡らせている。それはここにいる全員を疑い、場合によっては従来の科学や常識をも疑う覚悟だ。ノアが木鋤の罠を見抜いたところで、彼からすれば“現実的な犯行”の可能性をひとつ切り捨てただけのこと。

「ABY」が嘘で動かせないなら、この駆真だけでも無関係の人物に仕立て上げられないだろうか――そんな考えも過ぎった。


「ま、それはないか。お前が『サク』だとして、このタイミングでそれを切り出す理由だってちゃんとあるんだから。お前は独自の調査に切り替えて、用済みで邪魔なだけの俺とは顔を合わせたくないんだ。今回の件、次の焦点は定まってるからな」


 完全に駆真の言う通りだった。ノアは八鍬にある人物の画像を共有して見せる。


「バーにいた時も聞きましたけど、本当にこの人が先日貴方を尋ねて来たんですよね?」


「ええ、記憶も消えていません。はっきりと覚えています。“情報屋”には気をつけろ、と言っていて、それが頭の片隅にあったからこの前も抜け出そうと……」


「サク」が次に向かうのはこの画像に写っている人物ただひとり。

 八鍬大(ひろ)紀(き)が“離隔”前にマネージャーをしていた囀きりかだ。

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