#9 世界
――松波改殺人事件について、徐羅寧容疑者は概ね犯行を認めている模様――
「その“男”というのは何者だ?貴女の犯行動機はあまりに薄い……教唆があった可能性も無視はできないが」
「教えませんよ。今の世界では、本当の意味で無関係だから。そんな証拠も出てきてないんでしょう?」
寧はこの状況にあっても、普段通りのの微笑を貫いている。
「何にせよ、あの人が楽になれたようで良かった。彼の考えは、たとえ彼自身だとしても正すことができなかった。今はただ――その肩の荷を下ろしていればいいなと思う」
「一体何の話をしているんだ……?」
「ああそうだ……弟とも、また会って話したい。手配してくださる?」
渥美探偵事務所では、いつもの通り宮尾麗音と渥美駆真がその本業に勤しんでいる。
「君はどう思ってる?結局『サク』の目指した通り、『メディア・ハザード』は解消の道を辿り始めた。彼自身が目指したもの……『ABY』を失った社会は本当に実現するのか。
従来のメディアは細々と生き残っていた企業から続々と事業を再拡張し始めているけど、果たして失われていた信用を取り戻すことができるんだろうか?」
「興味ないね。俺の価値基準はただひとつ、金になるかならないか。これからのSNSに気を張る価値なんてないっての」
「いや、そんな話がしたいんじゃなくて」
「でもそうだろ?今後のSNSは直接的に稼げない、従来の形に戻る。そいつらは稼げもしないのに、貴重な余暇を費やして“慈善”で発信するんだろ?『サク』の中身もそうだったが、そんな頭のおかしい人間をどうして信用できるんだ?情熱と言えば聞こえはいいが、その時点で公平さなんてどこにもない。
その点で言えば、市場を見れば利害関係が明らかな分、マスメディアの方がずっと簡単で良いよ」
「でも、そしたら彼の目指したものは何だったって話じゃないか?そんなことを言うなら、人間は『メディア・ハザード』でなくとも、元から何の情報も信じられないということになる」
「その通り、俺がいつ奴を肯定した?
本質はずっと同じさ。メディアリテラシーなんて言葉はもうずっと前からあるが、それでも考えなしに物事を鵜呑みにしたい、どこかに用意された真実が転がっていると信じて止まないバカが無視できない数存在してる。そんな中、過激で安っぽい思想か、傲慢で利己的な思想か――それを勝手に二択にして、好みのまま安易な方へ尻尾を振っているだけ。
個人は組織に及ばない。これは“経済価値”を見ても当たり前のことだ」
「はあ。まあ君らしい、温かみに欠ける持論だとは思うけど」
「ああ、ただそれで言うと“情報屋”の稼ぎが減ったから、やっぱり『サク』の方が悪ってことだわな」
「はは、それは言えてますね。私も、最近家計簿を付けるようになったし」
再出発を始めて久しい「クライス・プロダクション」には、ひとつの転機が訪れていた。
「あの、今のはどうだった?」
事務所に設置されたブースから顔を出した「先輩」に対して、囀きりかは満面の笑みで駆け寄った。
「はい、ばっちり!もう、私が覚えてる吉木沙李奈の演技そのものですよ!」
「あのさ、その敬語やめてよ……もう同級生だって知っているのに」
「嫌です、私にとっては先輩だもの!」
そして、“情報屋”サークル「メフィスト」のアジトでは――
「徐羅一判が過去に触れて“予定調和”へと認識を修正していたことで、現在の状況にはほとんど変化が無かった――って。まだ監視カメラを置いてあるここに集まっていれば、あの時の無意味に覚悟を決めた顔も動画にして永久に楽しめたのにね」
乙丸の言葉に対して、ノアは鼻白む。
「いや、全部の可能性を想定しなくちゃいけなかっただろ?何も無かったんだから掘り返さなくていいだろうが」
「違うね、何も無かったからこそ掘り返すんだよ。あの時は身近な人間にも起こる被害を無視して、独断専行で有無を言わせなかったんだからさ。本当に勝手な奴だよ君は」
「というか、僕は最早全部無かったことにしてくれてた方が良かった気がしてきましたよ」
「あ、陸朗君お疲れ」
荷物を片手に、陸朗が玄関から顔を出す。大学の授業が多い陸朗やノアは、こうして合間を縫って活動に参加していた。
「今の『メフィスト』の稼働量、現役大学生の青春を完全に奪ってますから。ぶっちゃけ、入った時にはそんな大事になるとも思ってなかったのに」
「別に頼んでないだろ。真琴の脱退は容認してるんだから」
そう言われたことで、陸朗は怒りの形相をノアへと向けた。
「ああ、そうですか。確かに見るからに刺々しいあの人がいなくなったことで、本当の意味でタチの悪い先輩の存在を炙り出すことは出来たみたいですしね……!」
「うるさいな。多少の私語は構わないが、君の声は大きくて困る」
「ああ、すいません」
黙々とパソコンと睨み合っていた龍生から声だけで釘を刺され、陸朗は押し黙る。サークル長はノアのままだが、今やその実権は貢献度の高い乙丸や龍生に握られつつあった。
「そういえば、これ届いてないですよね?ノアさん、あの人と気まずいし」
「え?」
陸朗から見せられた画面には、真琴と夏海が行っている旅先の写真が映っていた。プロを目指す夏海の撮影だけあって、よく撮れている。
夏海から話には聞いていたが、確かに連絡は貰っていなかった。
「今だ未良ちゃん!」
真琴が陸朗に送ったとも思えないが――と思考に耽っていた途端、視界がフラッシュの光で覆われる。
そして、陸朗の背後からスマートフォンを構えた未良が飛び出してきた。
「ありがとうございます、陸朗さん!いい加減緩んでくれればいいのに、今更のキャラ変が恥ずかしいからって意固地になってるノアくんの朗らかな笑顔、ようやく激写出来ました!」
「そんな、今は別のことを考えてて……」
しかし、未良から今しがた撮影した写真を嬉々として見せつけられる。自覚こそなかったのだが、そこには言い逃れの難しい微笑を確認することが出来た。
「どうしてくれちゃいましょうか、まずはあの2人に返信して……」
夏海はともかく、真琴に行き届けば気持ち悪がられるに決まっている。
こうなれば、今のノアに残された手はひとつ。
「それは写真を見て笑ったんじゃない。未良が覗いているのが丸見えだったから笑ったんだ」




