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VGOO(ボーゴ)〜嘘の導く並行世界渡航〜  作者: 喫痄
“予定調和”編(最終章)
56/59

#7 変革2

『狂ってるのは君の方でしょ』


 初対面の人間に、そんな言葉を投げかけられたことがあった。


『自分の態度が原因で自分の機嫌を悪くするなんて、子供でももう少し頭を使って人と接するものだよ』


 直せるものなら直している。若いながらそれなりの時間を生きて、彼女も自らの性分に原因があることは理解できていた。


 しかしそれは(たか)千穂(ちほ)()(こと)にとって、既に手放すことの出来ない麻薬になっていた。


 愛や好意とは不確かなものだ。それは動機のあるもので、提供できる利益によって得られる対価でもある。

 そこに変化が生じれば、簡単に見限られる――どのようにすれば相手を裏切らずに価値を提供し続けることが出来るのか、そんなことに怯えながら過ごさなければならない。


 だからこそ、本能は“嫌悪”という簡単で確かなものを求めた。それでも、全くの虚無であるよりかはいい。自分という無力な存在の輪郭を、孤立という筆で捉えることができるから。

 そんな言わば“社会的な自傷行為”こそ、真琴を今日まで健康に生かしている。


 そしてこの瞬間だけは、その悪癖が真琴を本当の意味で救うことになった。


「見つけたぞ、真琴」


「……ノア?」

 

 世界から与えられた幸福をあえて拒絶する真琴は、数少ない“予定調和”に留まり続けられる人間だ。

 ノアがそれを察知したのは、なにも直近のことではない。松波(まつなみ)(なつ)()を含めてキャンパスの中で築き上げていた、3人の数少ない個人的な繋がり――そこには“孤独感”というシンパシーが背景にあったと考えざるを得ない。


「そうだ――いつだったか、夏海に以前言われた通りだった。

 俺とお前は似ている。だからこうして会えた」


 ノアは続ける。


「要するに俺の認識世界の中でも、お前の認識が辿るはずの軌道から逸脱せずに接触さえすれば、その距離は重なったまま離れない――つまり、お前の反応や言動を予測出来ればいいんだ。幸い、俺たちの距離はそれが出来る程度には近かった」


「重なったまま、ね。じゃあ――アンタの過ごしてた時間でも、私とは別れたってことだよね」


「それは……」


 ノアは気付く。ノアとの破局を選んだということが意味する、彼女の本当の望みを。


「ちょうど良かった。キリもいいし、これで関係も終わりってことでいいでしょ?」


「……ああ」


 ノアの顔を見て、真琴は笑みを浮かべた。

 ノアには自分がどのような顔をしていて、彼女を笑わせたのかは分からなかった。ただひとつ分かるのは、その表情が今までのどの瞬間よりも屈託のないもので、新鮮であるということだけだ。


「似てるって言うならさ。今から言うことが本当だって信じられる?」


 ノアは黙って頷く。


「『自分に嘘は吐きたくない』、だっけ。私は、未良(みら)が豪語した風には思えなかった。

 そんな青臭い理論を振りかざしたって、生きづらいだけ。他人と関わらなきゃ生きていけないから、皆それに適したパズルのピースに嵌ったフリをして生きてるんだよ。その型がどんなに窮屈で、何が描かれてるわけでもない隅のピースだとしても、どこにも嵌まらないゴミよりはマシ」


 そう言うと、真琴は一転してこちらを睥睨した。

 

「だから、心置きなく別れられる。だってこれは、初めて私が自分から選び取る偽りのない関係だから。

 嘘が要らないかもしれないって本気で感じられた相手(アンタ)となら、自分自身が本当はどんな形をしているのか、少しは期待できる……そう思ったから」


 そしてこちらの返答を待たず、真琴は颯爽と踵を返す。


「じゃあね。もう私は用済みでしょ」


「真琴!」


 慌てて、ノアは真琴を呼び止めた。彼女は幸い足を止めてくれたが、ノアの方は適切と思われる言葉が手元にない。


「……ありがとう」


 結論はシンプルで直感的な一言だったが、ノアの性分からして、これはそう気安く口に出せるものでもない――真琴もよく知っているはずだ。

 ただ彼女はその言葉に対しても反応は見せず、そのまま足早に去って行った。



「あれ、ノアくん……?」


 危機をひとつ乗り越えたということで、ノアは未良へと電話を繋げた。初めは部屋の外にいた犯人といくつか適当な応対をしたのち、スマートフォンには未良の映像が映される。

 

「そっちはどうだ?」


「どうって、何の動きもないですよ。まだご飯すら出してくれてなくて、ちょっとお腹も空いてるんですけど」


 平然な振りをしているが、顔色は確実に悪くなっている。緊張もあるのか、あまり睡眠も取れていない様子だ。


「それなら、()()()()()()()()()()()()()()。利口な奴なら、きっと出して貰えるはずだ」


「あはは、そうだとありがたいんですけどね……」


 これは出まかせだが、ここで犯人が口を挟まなかったので、未良が信じる限りはこれが真実となる。実際に未良の待遇が良くなるかは、やはり犯人の性格次第と言う他はない。

 ――あとは、これがどう転ぶかだ。


「ひとまず“予定調和”を繋ぎ止めることは出来たが、予断を許さない状況に変わりはない。向こうにもまだ手はあるはずだ」


「お前の方に、何か用意はないのか?」


陸朗(ろくろう)と連絡を取る」


「……ほう」


 流石の(りゅう)と言ったところか、ノアの行動だけでその意図を読み取ったらしかった。


(やお)()一判(いちばん)、奴はあれでいて見上げた決意を持った男だ。奴と対峙する上で、描く必要があるのは未来であって、結果などではない。結果とは、どう転ぼうといずれ訪れるものだからだ」


 劉はそう言って、こちらを睨む。

 

「強引な決着を望むならそれも構わないが……それに関して半端な答えしか持たないようならば、俺の助力もこれ限りだということは考慮に入れて貰おう」


「分かってる。真琴も前に進む決断をした――なら、今度は俺の番だ」


 ノアもまた、鋭い目線で劉に応じる。


「まだ『ディファイル(俺の呪い)』も負けていない。

 今なら断言できる――俺の辿った『サク』という道は、決して模倣に留まっていた欺瞞なんかじゃない。常に手元にあった、俺の真実の一側面だ」


 わずかな沈黙があったが、先に目線を逸らしたのは劉の方だった。


「そうか……まあ、ならばいい。その是非を今更問うようなことはしまい」


 その瞬間、ノアは違和感を抱いた。

 何故、劉はこのような問いを投げかけた?

 他人を信用しない彼ならば、人の決意表明に意味を見出すことはない。強引にでも他人の意思を思い通りに導くことこそが、最も確実で合理的だからだ。『フレイム』はその手段のひとつであり、それはこれまでの一貫した方針だった筈だ。

 では一体どうして、今度に限って()()()()()()()()()()()()()()()()()を取っているのだろうか?


「お前、まさか……」


 ノアが察したことに劉も気が付いたようだが、その表情が動くことはなかった。


「俺は、ずっとお前を助けたかったんだ」


 ノアは必死で言葉を紡ぎ出す。


「全ては8年前、それができなかった負い目から始まった。クラプロの件で、お前が復活したのを知ったとき――複雑な感情ではあったが、その中には確かに喜びがあった。

 受け入れ難かったが、確かに実在した『お前に協力する』という時間座標……それがこの機会に成り立つのなら、きっと俺も過去を清算できる。だからお前には――」


「ふん、何を想像している?」


 劉は平然とノアの言葉を遮った。


「悪いが、他人の思い描く美しさに溺れてやるほど愚かじゃない。

 常として、俺は自分の為だけに動く」


 ――分かっていたはずだった。

 涼霜劉は、誰かの言葉に靡くような人間ではない。



「それで、俺に引導を渡しに来たのか?」


 留置所――一判は問いただした。

 これは面会ではない。劉と一判、本来両者の間には司法によって隔てられた壁がある筈だが、あらゆる者を従属させる『フレイム』の前でそれは意味を成さなかった。


「いや、自ら人を殺せない君が殺人者を調達して来ていないのだから、そのつもりはないと思って良いのかな」


「お前を処理したところで、既に動き出した問題に対して何の意味ももたらさないことは知っている」


「ああ、そうか――君はずっと“シーカーズ”に探りを入れていたんだったね」


 一判の一言は図星だったが、劉は口を噤むことを選んだ。


「気付いていたよ。シーカーズが逃れられない“人類の影”であることを知った君は、それから逃れる術を模索した――これこそが俗世との離別、君がことあるごとに宣う『神』の真意だ。とはいえ、今のところ実際に有効になる作戦の目星は付いていない……そうだね?」


「それは、これから確かめれば済むことだ」


 仕掛けた側である以上当然だが、状況は劉が優位である。それに対して、一判がどんな動揺を見せるか気にはなったが――彼の反応はただ、哀しげなものだった。


「改めて聞くけど……俺が目指す世界は、そんなに君にとって受け入れ難いものなのか?

 君の言葉を鵜呑みにするなら、誰にも邪魔されず自身の高みへと邁進できる世界は、今の“予定調和”よりもずっと良いはずだ」


 劉が黙っているのを見て、一判は続ける。


「それとも、君もやはり、本心では評価される対象を欲していたのかな?――ああ、これは皮肉じゃない。むしろ、それが人として普通なんだから」


「冗談も大概にしてくれ」


 劉は、薄ら笑いを浮かべて答えた。


「正解とは、“俺が掌握するもの”のことを指すのだ。それがお前という他人に用意された道であるという時点で、検討には値しない」


「なるほど」


 そして、劉は拳銃を一判の額へと突き付けた。


「……何の意味もないんじゃなかったのか?」


「そうだ、俺の手で書き換えられるのはお前自身に由来する過去だけ――しかし、この状況下でならば話は変わってくる」


 その言葉の真意はすぐに伝わったようで、落ち着いていた一判の表情が僅かに深刻さを帯びた。


「そう、『ディファイル』だよ。今回の件で、『フレイム』の対象者に照準を合わせた過去改変が可能であることを証明した。であるならば、『ディファイル』や『ダークネス』で指定の困難な歴史も、『フレイム』により具体的に作り上げた上で形にすることができる。

 もう分かるだろう?お前を特別たらしめる、かつて能力に接触した“一瞬”を取り除く。そうすれば、全ての時間改変能力を現実世界から消し去ることができるだろう――これは俺にしか務まらない役だ」


「そうか、元より君の画策の多くは他の能力者を味方に付けるためのものだった……全てはこの局面の為だったってことか」


「当然だ。資格だ審判だと、俺の前で目障りな傲慢さを見せつけていたお前に、俺の標的から外れる理由など初めからなかったということだ」


 かつての担任を前にして、劉は今一度拳銃を握り締める。


「今回の改変をもって、お前は縋っていた資格とやらを失う。

 よって、これ以上無駄な会話を続ける意味はない――」


 そして、引き金が引かれた瞬間。


 銃声と共に、腕の持ち上がる感覚があった。飛び込んで来た一判によって体勢を崩されたのだ――額に定めていたはずの照準は大きく上に逸れ、背後の天井に着弾した。


「ぐっ!」


 床に倒れ込んだまま揉み合いとなり、持ち上がっていた手から拳銃が滑り落ちる。

 そして、攻撃手段を持たない一判がそれに手を伸ばすことは自明の理。拳銃を手に取ることへ意識が向けられていた一判には、確かな油断があった――だからこそ劉は冷静に、懐に仕込んだもうひとつの武力を掲げることが出来た。


「何……!?」


 証拠を残してしまうため、『フレイム』を扱う都合上殆ど使ってこなかったナイフ。それでもこれまで携帯し続けていたことで、遂に最も重大な敵を刺すという大役を果たすことになった。

 ナイフの突き立てられた胸元を片手で抑え、体の上で悶えている一判を、劉は横に突き飛ばす。


「俺は、ここで死ぬわけにはいかない」


 しかし。


「だから全ての感情を切り捨ててきたんだ……!今回だってそれと同じ――人の理想のため、自分の教え子でさえもこの手にかける……!」


 一判は、譫言のように呟いて起き上がった。

 勢いよくナイフを引き抜き、それによって衣類に浮かんだ血の滲みは更に広がっていく。


「よく喋る。急所を外していたか」


 自らの延命よりも、栓となった凶器を引き抜くことで武器の確保を優先した。絶命し「フレイム」が発動するよりも前に、刺し違える魂胆だ。


 間もなく、一判は執念のままに突進を始めた。劉はすぐさま転がった拳銃を拾い上げ、頭を目掛けて発砲した。


「ぐあっ……!」


 強烈な痛み。

 確かに弾丸は頭蓋へと撃ち込まれたはずだが、一判の勢いに対してそれは遅すぎた――身体へ下された徹底的な攻撃命令は、その意識の消失よりも前に完了していたのだ。ナイフは、失速することなく本来の持ち主の胴体を貫いた。


 蹲る劉よりも先に、一判が言葉なくその場に崩れ落ちた。

 劉はよろけながら後退し、やがて衝突した壁にもたれかかって倒れる。


「――ふん」


 一判を討つため、「フレイム」で周囲の人間を退けている。自らの命運が尽きたことを確信するには十分だった。

 とはいえ、劉が予めこの状況を想像出来なかった訳ではなかった。


「『人の意識の在処はどこなのか』。ノアもさぞかし気になっている命題なんだろう。だが、俺は既に答えを得ている。だからこそ、死の迫るこの時に何の恐れも抱いていない」


 途端に気怠さが押し寄せてきて、俯き、視線は2人の血で塗れた体に固定された。

 それをぼんやりと眺めていると、再び言葉が口を衝いて出る。


「……いや、違うな。誰の目もないこの場で、言い訳がましいことを言うべきではない。

 死への恐怖は、確かに俺にもあったのだ。俺はその欲求を、自身の道が途絶えることに対する嫌厭と混同していた。本来はもっと本能的なものだったと……今なら分かる」


 しかしこの瞬間、劉が恐怖を抱いていないのもまた事実だった。永眠の直前は快楽物質が脳を流れると言うが、それとはまた違った予感があった。


 もし本能的な恐れの部分を少しでも和らげるものがあったとするのなら、それは薄れゆく意識の中、“神”であろうとあらゆるアイデンティティを切り捨てたこの男でさえ、最後まで手元に残していたものなのだろう。


「――友を抱いて逝くのも、悪くない結末ということか」



 目的は全て果たした。

 俗世との訣別。肉体的限界からの解脱。

 その全てがここにはある。


「私はそうは思えません」


 少女の姿をした者がきっぱりと言った。


「この世界は人間の造物――デリートキーを押すだけで簡単に葬られてしまう存在です。その事実を隠した上で神としてすり替わったところで、そこには何の価値もない。悪いですけど、貴方の存在は堕ちたも同然だと思います」


 「涼霜劉」。

 彼は少女の言葉を、嘲笑って返した。


「俺は“生前”、その前提を覆したんだよ」


 対する少女――「赤月(あかつき)(さつ)()」は、怪訝そうな顔を浮かべる。


「『イカロス』の運営に開発陣……その秘密を知る全ての者を『フレイム』で殺した。これによりこの仮想世界はブラックボックスと化し、メタバースの深奥へ永久に秘匿されたということだ。

 それに伴い、現実世界との同期は断ち切られる。この世界は、完全なる独立を得たことになる」


「完全なる、独立……!?」


 「颯季」は目を見開かせたが、持ち前の疑念がその程度で解消されることはなく、すぐさま反論に転じる。


「でもそれって、『イカロス』に携わった人全員の記憶が無くなるってことでしょう?そんなことをしたら、この世界を維持してるメタバースの方も存続が危ぶまれるんじゃ……」


「そうかもしれないな。それにただ引きこもるだけでは、俺の矜持にそぐわない。目指すのはやはり、真なる神だ」


 「劉」はこれまでにない悦楽を噛み締めつつ、笑顔で続けた。


「不定形こそが、神として在るのに最適な条件だ!

 機を見て『イカロス』へハッキングを行い、現実からのメタバースへのアクセスを通じてマルウェア(種子)をばら撒く。これにより、俺は個を保ちながら現実のあらゆるストレージに拡散され、この世界と共にその存在を揺るぎないものとするのだ」


 「颯季」は苦い顔をした。

 彼女がどう答えるか、「劉」は先んじて理解していた。これは、涼霜劉という人間にとっては極めて珍しいことだ。


「すみませんが、同意できません」


 「颯季」は、「劉」と目を合わせてそう答えた後、脇で広がっている大きなスクリーンに目をやる。

 ここは人間の居場所である“仮想空間”。自分たちの居場所である“仮想世界”と現実との狭間でありながら、『イカロス』の公開エリアとは隔絶された地だ。

 彼女が見つめる先には、自らの故郷の姿があった。


「貴方がこの世界を独立させてくれたことには感謝します。でも、だからと言って侵略という運命を背負わなくちゃいけないということは無いと思います。仮想世界が自由になれたのなら、私達を生み出した“人間”たちに牙を剥くようなことはしたくない。私にとって、その中には大事な人達だっているんです」


 しかし、「劉」はその言葉にも表情を一度も崩さない。


「生憎だが、お前の意見は聞いていない」


「知ってます。だから、あなたに自分で気付かせます――私に残された能力(『ディファイル』)で」


「なるほど、面白い」


 指を鳴らすと、空間は暗転する。

 これを皮切りに、遂に仮想空間は「イカロス」と目に見える繋がりを断ち、2人もデータの住まう世界へと不可逆に没入する。


「それでは、ゲームの続きをするとしよう」


 更なるステージで、「劉」による戦いの再演は始まった。

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